よくあるじゃない?死亡フラグ持ちの伯爵令嬢の話。でも、そんなにがんばらなくてもいいかなって。

瀬里

 

 


 よくあるじゃない?死亡フラグ持ちの伯爵令嬢の話。

 記憶を取り戻した私がまさにそれだった。

 普通は、死にたくないって頑張るんだろうけど、私はこう思っている。

 そんなにがんばらなくてもいいかなって。


 私は、気が付くと、異世界の恋愛を描いた小説の中の悪役令嬢に生まれ変わっていた。

 暇に飽かせて読んだ、どうということもない話。

 でも、そこに生まれ変わったということは、私には何か刺さるものがあったんだろう。


 異世界転生なんてあるんだーって思いながら、どうせなら、もう少しやる気のある人にこのチャンスをあげればいいのに、神様って結構不平等だな、なんているかどうかもわからない神様をディスったりした。


 あ、でも、私なんかにこんなチャンスをくれるんなら、世の中の人たちはみんな貰ってるってことなのかもしれない。

 そう思ったら、余計にがんばらなくってもいいかなって思えてきた。



 私は、貴族の集まる王立学園に通う17歳の伯爵令嬢で、この国の第3王子様の婚約者候補だった。

 お相手の王子様は、プラチナブロンドに翡翠の瞳が美しい、アイドルみたいな素敵な方だ。

 私は惚れに惚れて、王子様と恋仲になった男爵令嬢を追い落とそうと散々意地悪をした。

 それこそ、学園をやめたいと思わせるレベルのえげつないいじめを行っていた。

 そして、それが見事にばれて今は自宅謹慎中だった。


 私は、そこで自分の前世を思い出したのだ。


 今の私は、今までの自分の記憶はあるけど、前世の自分が色濃く出てしまっているらしい。

 前世というより、この子に入れ替わってしまったような感じだ。でも、この子が自分だという感覚はしっかりある。

 よりによって、なんで今頃思い出すんだろう?

 もっと早ければ平和に過ごせたのに。


 でも、ぎりぎりのタイミングだったのかもしれない。

 私は、引き出しの中の小瓶に目をやった。





 今の私は、疲れることは、全くやりたくない。

 要するに、やる気のないダメな奴なのだ。

 かといって、周りが無視できるほど強くないから、周りの目が、周りがどう思うのかが気になってしまう。

 そして、私が特に疲れてしまうのは―――前世の私が関係しているのだろう―――、誰かに迷惑をかけてしまうことだった。

 こんな私なんかのために誰かに迷惑が掛かることを考えたりしたら、それはもう、申し訳なくて耐えられないのだ。


 だから、王子様への恋心もすっかり鎮火してしまった。

 今の私は極力人と関わりたくない。


 とりあえず、どうしてもやらなければならない事だけこなして人に何も要求しない、ということを実践することにした。


 私は、あと半年の学園生活を終えたら、修道院に行くことが決まっていた。

 いじめの件の公的な罰則は自宅謹慎だけだが、お父様が周りを慮って伯爵家として自主的に決めたことだ。私を思って守ってくれようとしているわけではなく、家としての立場をどうにか確保するために、過度な改悛の意を示しているにすぎない。

 学園に戻っても、きっと周りは私を腫物のように扱って、誰も寄ってこないだろう。

 本の中でもそうだった。この伯爵令嬢は、これから約半年間、卒業パーティーの1か月前まで登場しない。

 そして、パーティーの1か月前、主人公を毒殺しようとするのだ。


 あの小瓶の中身で。


 でも、毒殺なんて、そんな人様に迷惑をかけるようなことをするつもりはない。

 この転生はぎりぎり間に合ったのだ。



 学園に復帰してからというもの、やる気のない私は、授業のない時間は学園の中庭の影、誰も来ない日当たりのよい小庭園のベンチに座ってぼうっとしていた。

 本を読む気にさえならない。気力がなかった。

 この小庭園には猫がいた。人懐こい猫で、いつからかやってきて、私の膝に乗るようになった。

 触ると癒される。少し、疲れがとれたような気がする。

 心が凪いでいるこの時間が、私はとても好きだった。


 しばらくすると、この小庭園に同じように時々ぼうっとしている人がいることに気が付いた。

 いつ頃からいたのかわからない。気にもしなかったから。


 私と彼は本来なら、そのまま、他人のまま終わるはずだった。





 私が小庭園で時をすごすようになって3か月が過ぎた頃、それは起きた。


 その日の授業は選択式で、単位が取れた者は出席しなくてよいことになっていた。

 私は時間が空いたのでいつものように小庭園へやってきた。


 ぼうっとしていると、後ろから羽交い絞めにされて、大きな手で口を塞がれる。

「動くな。声を出すな」

 押し殺した声が耳元で響き、びっくりしたが、すぐに来るべき時が来たのだと思った。

 やっぱり、これは起こってしまうのかと諦念と自嘲とが胸をよぎる。

 ベンチから引きずりおろされ芝生に押し倒され、目隠しをされた。

 小説の中で、私は男に汚され、逆恨みして王子の恋人を殺す決意を固めるのだ。

 ただ、それは公になることはなかったはずだ。


 だから……、このまま、声を出さなければ、これは、公に、なることは……、ない。


 その時、そばで猫の鳴き声がした。

 みゃー、みゃーと大きな声で鳴く。

 あの猫だ。私を助けようとしてくれてるんだろう。

 でも、昼間から女を襲うような男だ。何をされるかわからない。

 逃げて。でも、声が出せない。

「あっちへ行け。」

 男が猫を追い払うために私の口から手を離した。

「逃げて!」

 思いのほか大きな声が出た。猫は私の大声にびっくりしたのか茂みに逃げ込む気配がした。

 同時に、小庭園の端の方からなんだ?と人の声が聞こえ、こちらに近づいてくる声がする。

 私にのしかかっていた男も慌てて去っていった。


 私は、ゆっくり上半身を起こすと、男にされた目隠しが外れる。

 体を見下ろす。

 白い制服の襟元は乱れ、スカートの端は裂け泥にまみれている。

 長い髪には、落ち葉が絡み、乱れていた。

 服を直そうとして、全身が震えていることに気が付いた。

 それ以上、取り繕うだけの気力はなかった。


 頭上に影が落ち、見上げると、息を切らせた男が跪いた。

 きれいな顔をしている。見たことがある……ああ、いつも小庭園にいる彼だ。

 近くにいて駆けつけてくれたのだろうか?

 こんな姿の私を見て、きっと何があったか察したのだろう。

 どうするのだろう?

 医務室へ連れていく?

 せめて上着を貸して隠してくれないかしら。


「しっ。合わせて!大丈夫だから。どうにかするから」

 何を言われているかは、近づいてきた一団を見て悟った。


「まあ、あなた方!なんてことを!!」

 学園の女教師ボールドウィンと、学外授業だろう、クラスの生徒が多数ついてきている。

 彼女はよく言えば清廉潔白、悪く言えば融通が利かない教師だ。彼女に見られたらもみ消しもきかないだろう。それに背後には生徒が多数いる。それに見られてしまった。


「すいません。恋人と、つい。」

 彼は、私の姿を背後にそっと隠す。

「恋人だろうと学園でそんなことは許されません。このことはお家に報告させて頂きます!」

「……はい」

 通りがかっただけの彼は、私の醜聞を半分、背負ってくれたのだった。



 私は、今回の件でとうとう学園に行くことが叶わなくなり、退学となった。

 まあ、仕方ないだろう。修道院に行くのが早まるかもしれない。

 ただ、通りがかっただけの彼には申し訳ないことをした。

 悪評だらけの私だ。今更醜聞が増えたところで問題ないし、父にも見放されているし、きっと行きつく先は変わらない。

 唯一の救いは、私が悪名高き女のため、彼へのダメージも少ないだろうということだ。彼も、悪女をものにしたと武勇伝のように語られ、きっとちょっと噂になって終わるのだろう。


 しかし、事態は思わぬ方向へ転がってしまった。


 彼がわが家を訪れ、父親に殴られた頬を腫らしながら、私と婚約することを告げたのだ。

 彼は、1学年下の侯爵家の嫡子の方だった。

 どうにかする、といっていたが失敗してしまったのだろう。

 あの時、誤解をとけば、どうにかなったかもしれないのに。

 私は後悔した。

 お父様に、違うといっても、むしろ、黙っていろ、と脅され、聞く耳をもたれなかった。




 彼は、謹慎中の私を何度も訪れる。

 私はその度に謝り、彼はその度にいいよ、とやさしく微笑む。

 彼が嫌がるので、そのうち、その話をしなくなった。


 季節は巡り、秋、冬を迎える。

 色々な話をした。

 春になったら、湖にいこうとか、花畑を見に行こうとか。

 私を気にして、決して人の多い場所を挙げることはない。

 とても優しい人だった。


 なおさら、後悔が渦巻く。

 彼が帰った後、いつも私は心の中でつぶやく。

 ああ、こんな良い方に迷惑をかけてしまった。

 ごめんなさい。

 私なんかと婚約させてごめんなさい。


 本当は、この婚約を早く破棄させてあげたいのだけれど、私なんかに割く彼の時間を早く返してあげたいのだけれど、今の私には、それをする力も、気力もなかった。


 私は、本当は、疲れることをしたくないのではなくって、疲れ切って、何もできなかったのだ。


 誰かを動かして何かを変えるのはとても大変で、それなら、これから私に起こるであろう何かを期待した方がよかった。


 その年の冬。

 私は、待っていた。

 王子の恋人に起こるであろう何かを。

 彼女に小説の通りに毒殺未遂事件が起こるなら、おそらく私にも、死をもたらす事件が起こるであろうから。


 でも、それは起きなかった。

 だって、その事件を起こすための小瓶は、ここにある。

 なんで起きてほしくないことは小説の通りで、起きてほしいことは起きないのだろう。


 きっと、待っていても、このままでは私に死は訪れない。

 彼を、早く解放してあげなくてはならないのに。

 彼を解放する方法は、私の死なのだと、私は早くから決めていた。

 婚約破棄をするのは大変だが、私が死んでしまえば話は別。それはとても簡単だ。彼の傷にはならない。


 私は行動を起こすことにした。

 誰かを動かして何かをするのは無理だったが、彼のためなら、自分くらいなら動かせそうだった。

 小瓶の毒で誰かを殺すのは無理だけど、自分くらいなら殺せそうだった。


 どこで死のうか?

 家で死ぬのは嫌だった。

 どうせなら、きれいな場所で。

 ふと、彼が話していた花畑に行きたくなった。

 そこは春になったら、彼の言う美しいアマレーデが咲き乱れる場所。

 今は枯草の草原だから風情がないけれど、雪が降れば輝く白銀の雪原に様変わりするのだろう。

 雪は私の死体を覆い隠してくれるだろうか?

 でも、行方不明になると探す人達に迷惑をかけるので、行き場所の手紙は残すことにする。

 それに、この草原の花を楽しみにしている人に悪いので、私の死体は早めに回収してもらうべきだ。


 雪が降ると言われた夜の前の日、私は小瓶を持って家を出た。


 もうすぐ暗くなる時間に、私はそこに着いた。

 しん、と冷える丘をゆっくり登っていく。

 だんだん暗くなり、凍える息の白さも見えなくなってきた。

 私は、丘の上の1本の木の根元に座り込んだ。


 そして、前世の自分を思い出していた。


 私は、前世、重い病を負っていた。

 体の痛みはとてもつらくて、苦しくて。

 でも、一番つらかったのは、疲弊していく周りを見ること。

 私の病に振り回されて、疲れきっていく、壊れていく周り。

 擦り切れていく親、兄弟。

 迷惑なんかかけたくないのに。

 周りに申し訳なくて申し訳なくて、つらくて耐えられない。

 がんばるよ、と言いながら、早く死にたかった。

 でも、当然ながら死ぬことは私には許されなかった。

 頑張ることしか許されていなかった。


 そして、長きにわたる闘病の末、やっと私には死が赦された。

 なのに。

 安らかな死は訪れず、私は再び、この世界の、半年後に死ぬ運命の「私」に堕とされた。

 疲れ切ったまま、回復する時間もなく、また死が赦されるのを待つだけの私に。


 足元や座り込んだ地面から寒さが這い上がってきて、だんだんと眠くなってきた。

 ひょっとしたら、薬、いらないかも。

 寒くなると眠くなるって聞いたから。

 その方が、きれいに、楽に、逝けるかもしれない。


 手から小瓶が落ち、丘を転がり落ちて、こつんと、誰かの足元に当たって止まった。


 目線を上げていくと、そこには彼がいた。

 息を切らせて、泣きそうな顔をして。

 そう、初めて、私を助けてくれた時のような顔をしていた。


「馬鹿! ふざけんな!なんでだよ!?なんで死のうとなんてするんだよ!」

 彼は、跪いて私の肩をつかんだ。


「好きな方がいるの。その方と一緒になりたかったのよ。私、その方と一緒になれないから死にたいの」

 優しい人だ。私が死んだら責任を感じるに違いない。そう思って、部屋に残してきた遺書に書いたのと同じ言い訳を使った。


 あなたを解放してあげたかったの。あなたに迷惑をかけたくなかった。

 馬鹿な女に引っかかってしまったあなたが可哀そうだから。


「嘘だ。なら、なんでここにいるの?春になったら、一緒に来ようっていった、俺の好きな場所に、どうしているの?」


「……」


 失敗した。なんでここに来てしまったんだろう。

 私は、うまい答えを準備しようとしたけれど、寒くってそこまで頭が回らなかった。


「俺のためなの?俺に迷惑をかけないように、死んで身を引こうとしてるの?俺は、迷惑だなんて思ってない!死ぬ方が迷惑だ!」


 私は、答えを探すのにあきらめてため息をついた。


「じゃあ、お願いします。もう死なないから、婚約破棄してください。あんな事件の責任を取らせて、結婚するなんて私が耐えられないの。優しいあなたに、これ以上迷惑をかけるのに私が耐えられないの。お願いします。どうか、私を解放して?」


「いやだ」

 彼は、顔を伏せて首を振る。


「私、このままでは、申し訳なくって、また死にたくなるわ。お願い」


 自分が赦せないのだ。

 死ぬことでしか、赦せないのだ。

 どうしてわかってくれないの?


「違う、違うんだ。君が死にたくなるようなことなんか何もない。ごめん、ごめん」

 彼は、私を抱きしめた。彼に抱きしめられたのは、初めてだった。


 ああ、違った。


 だった。


「俺は、あの事件の責任を取って、君と婚約したんじゃない。」


 そういうことか。


「君と婚約したくてあの事件を起こしたんだ」


「好きだから!ずっと見てた。君が欲しかった。でも、君との婚約を赦されるには、あんな方法しか見つからなかった。君に嫌われるのが怖くて、言い出せなかった。君をここまで苦しめるなんて思ってなくて。ごめん」



「……うれしい」


「え?」


 思わずこぼれたセリフに彼はびっくりしていたけれど、私自身も驚いている。

 こんなひどいことをされて、私はなんでこんなに嬉しいんだろう。


 馬鹿な人だ。

 でも、あんな愚かな事をするくらい、彼は、私を本当に欲しかったんだろう。

 今回の件で、彼の評判はがた落ちになったはずだ。

 評判の悪すぎる私を、侯爵家嫡男の彼が手に入れるには、彼自身もぎりぎりまで自分を貶めなければならなかったのだろう。

 そこまでして私を求めてくれた事が、私は嬉しかった。


 そして、私も馬鹿だ。

 彼のために死のうと思うぐらいの愚か者なのだから、お互い様なのだろう。

 もしかしたら、この気持ちはつり合いがとれているのかもしれない。


 でも、ひとつわからない。

「どうして?どうして私がそんなに欲しかったの?」

 私が問いかけると、彼は、目をそらしてつぶやく。多分、その顔は真っ赤だ。


「君が、助けてくれたから。」

 デビュタントの時、私は彼を助けたらしい。

 そういえば、太って令嬢に相手にされていない、年下の男の子についていてあげたことがあった。

 彼は、その時から、私に恋をしていたそうだ。

「ずっと君は王子の婚約者候補で、僕なんか必要じゃなかった。でも、あの庭園で見かけたとき、あそこにいる君なら、僕を必要としてくれるんじゃないかって思ったんだ」

 昔の僕が太っていたことを知られたくなくて、このことも本当は言わないつもりだった、と彼が小さく告げた。


 ちゃんと、理由があった。

 嬉しくなるような、温かい、素敵な、そんな理由が。


「私、生きてていいの?」

 ふと、心の底から温かい気持ちが湧き出してきた。

 そして、その温かさが心に巣くっていた何かを溶かし、洗い流していく。


「生きててほしい。死んだら許さない!」

 彼は、すがるように言った。


 私は、ずっと赦しが欲しかったんだと、やっと気づいた。

 死の赦しではなく、生の赦し。

 私が死を願うのと同じ重さで与えられる、生の赦しが。


「ずっと、赦してほしかったの。」


 生きることを。


「死んだら許さない」


 彼は繰り返す。

 彼は、私が欲しかったものが何だかなんて、わかってないんだろう。でも、同じ意味のものを与えてくれた。


「じゃあ、生きるしかないかも」

 私を縛り、押さえつけ、疲れさせていたそれは、涙に混じって、溶けて流れていった。


 私は、前世のくびきからやっと解き放たれたのだった。


 そして、今、ここにいる。





 これは、疲れて、疲れて、頑張れない私が、彼と出会い、ちょっとだけ、がんばってみようかなって、やっと、そう思えるようになるまでの、そんなお話。






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