あの日の再会 4日目
現状と、心情と、感情と、色々持て余していたので、久々に馬を走らせた。
あまりにも早く起きてしまったから、カインはもちろん侍女も何人かしか居なかった。
それでも厩を仕切る老人は世話を始めていたので、愛馬のルイーゼの手綱を握る。
屋敷の周りをしばらく走ろうと思っていたのに、気付けばここ数日馬車の窓から見ていた景色を辿っていた。
朝日を背負い走る道は心地よく、人も少ないので走っていて爽快だった。
住宅街に差し掛かり少し速度を落とした。何度か見た小道を抜け、陽だまりを抱える裏庭の前の道に出る。相変わらず人は居なく、さわりと木の葉が揺れる音が聞こえる。
そんな中、カラカラカラと少々大きめの音が響いた。目を向けると、彼女がいた。
彼女は自分が来たことに驚き、こちらはこんなに早い時間から働いていることに驚いた。
なんとなく……彼女の日常に入り込みたいと思い、手伝いを申し出た。
華奢な腕で水を汲み出す姿は少しの危うさもなく、日々こなしている事だというのが分かった。
負担の少ない方を頼もうとしていたようだけれど、少しは頼りになれると思われたいという自分の見栄でもう片方の役を奪うことにした。
我ながら子供っぽい行動だと思うし、この程度で普段のお目付け役のような印象が消えるとは思わないが……背後でやたらカラカラ音が響いていたので、少しは効果があったのかもしれない。
普段より早く作業が終わったとのことなので外出に誘ってみると、躊躇いながらも了承してくれた。
初めての乗馬と聞き、思えば自分も相乗りは初めてだと気付く。
長年乗馬を続けてきたのに全くそんな機会がなかった自分に苦笑が隠せなかった。
恐らく程度の知識で横座りにさせ、落ちることがないように彼女を腕の中に囲い手綱を握る。
よく考えれば普通に跨ってもらったほうが良かったのだろうけれど、今のこの体勢が自分にとって悪くないものだったので訂正はしなかった。
そのままゆっくり走りだすが、落ち着かない様子だ。きちんと座れていないのか、それともさすがに怖いのかと思い、利き手の逆の腕を彼女の腰に絡めると、おずおずと体重を任せてくれた。
微かに感じる温かさと緊張。
その緊張が自分と共に居るからだったら、どんなに嬉しいことだろう。
少なくとも自分は、彼女が腕の中に居るというだけで鼓動が速くなっていた。
その事に気付かれないよう祈りながら、長いようで短い道のりを進んだ。
着いた場所は王族所有の湖だったが、その事は告げられないので、私有地の間際と言っておいた。
誰も来ることのない場所で、心地よい風に吹かれる。
そんな当たり前のようで、明日の自分には難しいことをしている。
恐らく、今日が最後。五日目の夕方には自分とカインの素性が知られてしまう。
それまでの短い間でいい、少しだけでも夢を見たかった。
自分を愛称で呼んで欲しいというと、恥ずかしそうに了承してくれた。
そして彼女の呼び方を変えてもいいと言ってくれた。
自分は皆に呼ばれている愛称で呼んでもらうのに、彼女には普段呼ばれない名を求めた。
それはただの独占欲で……自分にこんな感情があるのかと驚いた。
期限があるから……後悔しないように、だったのかもしれない。
その期限は予想より早く来てしまった。
突然の大雨に、突然の来客。
準男爵家の嫡男の暴走。
赤い髪を上から被り、真っ青な髪を隠していたからこそ分からなかった、カインの事。
豪雨と雷鳴、カインの執事の急かす声。
そんな音の中、微かに零れた彼女の言葉。
隠していた、黙っていた、言えなかった。
むしろ、まだ言えてない。
いっそのこと全てを言ってしまいたかった。
自分が王子であると、国民を騙していると。
カインが、王子である自分を守る為に身体を張っているのだと。
許しを請うことは出来ない、でも自分の口から真実を知らせたかった。
しかし、口から漏れた言葉はほんの僅かで……続きは、言えなかった。
はっきりと呼ばれた昨日までの呼び名が胸に刺さり、涙の滲んだ茶色の瞳を見つめるのが辛くて、その中に映る自分の情けない表情も見るに耐えなかった。
屋敷に戻り、窓際の椅子に座り空を眺める。雨は止み、明日はきっと快晴だろう。
雲の合間から覗く月明かりが部屋へ差し込み、壁にかけられている服に降り注ぐ。
真っ青な布地に、銀糸の飾り。
胸元には大鷲が模られているが、今はその上に布が貼られている。
軽く引っ張るだけで取れてしまうささやかな隠れ蓑。
最終日、最後の順番が終わった時……それを剥がす事が出来るのだろうか。
願うことは自由とすれば、彼女に一番最初に見せることが出来たらいいのに、と。
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