あの日の始まり

 身分を隠して、ただの貴族として生活してきた十数年間の間、それなりに人付き合いはこなしてきたつもりだった。

 様々な宴に参加する機会があり、年齢の近い女性と会話をする機会を作られたことも、時たまダンスの相手を請われることもあった。

 それらを無難に、しかし一定の距離を保ったままこなし、結果何事もなくその場を離れる。そんな自分の様子に、カインが何度も頭を悩ませていたのは知っていた。

 色々と考えてくれているのは分かっていたが、それに答えられないのも分かっていた。

 カインが諦めかけていた頃、ついに成人の儀が執り行われた。


 時間は昼前。様々な儀式を執り行う為に作られた部屋で、同い年の青年達と共にそれを受ける。

 隣にはカイン、正面には国王……である父。お互いほとんど目を合わせることもなく、儀式は粛々と進められた。


「……儀式はこれで終了だ。各々その責任を胸に刻み、更なる高みを目指して欲しい。

 そこの扉から外に出なさい、茶会が開かれる」


 衛兵により両開きの扉が開かれ、会場への道が示される。その途中には外へと通じる門があり、毎年お披露目場所として賑わっている。

 緊張の糸が切れたのか、会話を交わしながら外へと歩く者達。その後ろには姿勢をそのままにした二人が残っていた。


「……二人とも、おめでとう」


 肩をぽんぽんと叩く国王は、顔をほころばせ喜びを露わにしている。


「ありがとうございます、国王様」


「何を言ってるカイン、伯父さんと呼ばんか」


「えー、じゃあ……伯父さん、ありがと」


 不貞腐れた様子の国王に対し、カインは普段の口調で改めて礼を言う。その横に居るアルフリッドは額に手を当てため息をついた。


「国王様……一応こちらにも心構えというものが」


「いいじゃないか、お前もそんなに畏まってばかりで疲れるだろうに」


「いえ、この場ではこれが普通なのですが……」


「そんな堅物だと妻になる者が可哀想だな!」


「だよねー、もうオレ心配で心配で」


 からからと笑う姿がカインと重なり、自分は本当に母親に似たのだなと思い知る。

 国王の妹の息子であるカインは姿もどこか国王に似ていて、髪の色も全く同じだ。それに対し自分は顔立ちも髪の色も母親にそっくりだと常々言われている。


「さて、カインは先に行ってるといい。そしてアルフ、お前にはまだ話がある」


 カインがその言葉に従い、外に出て扉をきっちり閉めたのを確認し、国王は席に着き、アルフリッドはその正面に片膝を付いた。


「お前には、花嫁を選出してもらう。その必要性が分かるな?」


 今現在、国王の子供はアルフリッド一人だ。唯一の後継者である自分が早々に伴侶を見つけるのは、当たり前だと分かっていた。


「はい。成人として身を固め、国王の跡を継ぐ準備をしなければなりません」


「そんなのは二の次だ」


「……は?」


 布張りの煌びやかな椅子で肘を付き片手を振りつつの言葉に、アルフリッドはぽかんと口を開けてしまった。


「お前な、カインがあんなに機会を作ったのに一度もモノにしないって、どうなんだ? それともあれか? 女性恐怖症か何かか?」


「国王様、せめてこの場では言葉を取り繕って頂きたく……」


「じゃあなんだ、お前の理想の女性像はどんなだ? 理想が高すぎるのか?

 父さんな、お前が恋愛結婚するのを待ってたら寿命が来るまで引退できないと思う」


 矢継ぎ早に繰り広げられる一方的な会話に口を挟む暇を与えられず、そのまましばらく国王の赤裸々な話を続けられた。


「でだな、母さんと出会ったのがだな……おい、聞いてるか?」


「聞いてるよ、父さん……つまり俺が一人じゃ相手を決められないと思ってるんだな?」


「そうだ」


「待つつもりもないんだろう?」


「一応、お前の言う理由もあるからな」


「……選出の儀はする。しかし俺にだって譲れないものもある。それに見合う女性が来なければ」


「来なければ?」


 ふふんと好戦的な国王の視線にむっとしながら、せめてもの反抗をした。


「俺が相手を見つけるまで、父さんは老体に鞭打って仕事を続けてくれ」


 そのまま立ち上がり、扉に向かうと後ろから笑いのこもった言葉が掛けられた。


「恋愛結婚はな、いいもんだぞー」


 ちらりと顔を向けるとニヤニヤした顔があったので、ため息と共に部屋を後にした。



 慣れきった道を進み、よく手入れされた庭園へと辿り着く。季節の花が品よく咲くその場は、常々茶会に使われていた。


「よ、おかえり」


 小さく切られたケーキをむぐむぐと口に含みながら手を上げるカインの隣に座り、音もなく置かれた茶をすする。


「……疲れた」


「なんだーアルフ、何か言われたのか?」


 周囲の者が談笑に夢中なのを確認し、小声で会話する様子に給仕の者もその場を離れた。


「…………花嫁選出の儀を、執り行う」


「おー、伯父さん思い切ったな」


「俺に任せてると死ぬまで引退できないと言われた」


「ぶはっ……そこまで言われたか」


 お茶を噴出しかけながら笑うカインにむっとしながら、自分もケーキと共に並べられた軽食を口に放り込む。


「どうせ父さんのことだ、明日にでも告知するんだろう。急で悪いが準備を手伝ってくれないか」


「いーよいーよ、資料は作ってあるから」


「……ん?」


 聞き捨てならない台詞を口にしたカインは懐から紙を取り出し、それを机の下からアルフリッドに手渡す。


「それ、歴代国王の履歴な。伯父さん以外全員それで結婚してたよ。場所と警備計画は既に練ってあるし、あとは日程が決まれば動ける」


「ありがたいが……なんでもう準備できてるんだ?」


「え? そりゃ……なんとなく?」


 この幼馴染にも恋愛結婚は不可能と思われていたのかと思うと、がっくりきてしまった。しかしカインだって自分と共に居たせいか、特定の女性との交際はないはずだ。それなのに自分にだけこんな対応をされるのは、性格なのだろうかと更に落ち込む。


「そう落ち込むなって。今夜から大変だぞー食事会続きだぞー? 昼飯軽くしてくれてるのは助かったよな」


 昼時に茶会というのはおかしな話だが、夕方には公爵邸で食事会が予定されている。それを考えてのこの場なのだろう。

 その気遣いをありがたいと思いながら、腹五分目程度まで軽食を摘まんでいく。


「俺としては普段からこの程度でいいんだけどな」


「成人前後は我慢だな。家に帰れば伯母さんの飯だろ? オレ結構好きなんだよねー、落ち着いたら行ってもいい?」


「母さんは歓迎するだろうよ。何でも最近は漬物に凝っていてな、毎日味が変わるからって作り続けてひどい量になってる」


 自宅の台所に連なる膨大な瓶を思い出し少々気が重くなる。美味といえば美味でも毎日似たようなものだと正直飽きてしまった。


「てことはうちの母さんもそろそろ漬物に手を出すってことか、遠慮しておこう」


 国王の妻のアルフリッドの母と、国王の妹のカインの母は昔から仲がよい。どちらもすらりとした体系の女性で、隣に立つ各々の夫のでっぷりした体格の非対称振りは、いい意味で国民の笑いの元にもなっていた。

 先程仰々しく儀式を行っていた国王の腹もそれはそれはふくよかで、大食漢で有名なだけあると誰もが思ったに違いない。


「にしても、伯父さんまた太らせた? 顔との比率がおかしくなってたよな」


「若々しい成人に貫禄を見せたいとか言ってた。今日は五枚巻いてたな」


 王族に名を連ねる者と、僅かばかりの世話人にしか知られていない国王の秘密が、この賑やかな茶会の片隅で話されているとは誰も気付いていなかった。



 そろそろお開きという時間帯。突然庭園の端からざわりとした雰囲気が伝わってきた。

 それは少しずつ伝言ゲームのように広まり、何のことかと首を傾げていたアルフリッド達の元にも辿り着く。


「おい、今広場で告知があったんだってよ! 王子が花嫁探しするらしいぞ」


「……は?」


 滅多にない行事に色めき立つ青年達をよそに、思わず机に突っ伏したまま固まる姿があった。


「…………早すぎるだろう、何考えてるんだ」


「善は急げ? 馬車の中で打ち合わせな。会場設営は今夜中に終わらせるから」


 頼りになる親友に感謝の念を感じてはいるが、その顔には愉快だと大きく書いてある為、素直に礼は言えなかった。



 茶会が終わり、少しの休憩時間に様々な資料や情報が舞い込んできた。

 その最たるものは、号外による王子の誤解だった。カインが出てきた時に写真を撮ったようで、周囲にちらほらと人が居たものの、その見事な青髪が一番目立ってしまっていた。


「おー、オレ王子だって。何これ不敬罪?」


「何馬鹿なこと言っている。新聞社に訂正依頼をしなきゃいけないだろう」


 度重なる予想外の出来事に額に手を当て、使いの者を呼び出そうとする。しかしカインがそれを止め、まじまじと号外を眺めた。


「……何考えてる?」


「んー? 王子のこと」


「……変なことするなよ?」


「オレ、明日から五日間王子な」


「……は?」


 きっぱりと言い放つ姿に驚くことしか出来ず、顎に手を当てぶつぶつと呟くカインを見つめるしか出来ない。そのまま少しの時間が経った頃、よしと声を上げ机で書類に手を伸ばす。


「おい、何がよしなんだ」


 夢中でペンを走らせるのを止めるのは忍びないと思ったものの、先程の問題発言を思うとその気持ちは霞んでいた。


「言った通り。明日からオレが大鷲の君として審査会場に入る。お前はそれを裏で見てる。お前がいいと思った子が来たらそこで真相話して入れ替わり。分かったか?」


「分からない。何故お前が表に出て俺が裏なんだ? 最初から真相を話せばいいじゃないか」


 その間にも何枚も書類を書き上げ、最後にカインのサインを入れてそれらを封筒にしまいこんだ。それをばっと取り上げ、視線で問い詰める。机に肘を付きだらりとした姿勢になったカインは、軽く眉を寄せ、詰るように言葉を吐いた。


「選出の儀、お題は今まで通り料理だ。お前は国王夫婦の唯一の子。その命を護らずにどうする?」


「料理に何の危険性があるんだ? それにお前だって王族に名を連ねる者だ。その理屈は通らない」


 真剣な表情のアルフリッドに対し、深い深いため息と共に浮かべたのは、聞き分けのない子供に向けるような表情だった。


「不特定多数が手にするものに危険性がないわけないだろ? 平和呆けしてるとも言えるこの国ならば王子暗殺なんて早々無いだろうけどな、でも無いとは言い切れない」


「馬鹿なことを言うな! お前が身代わりになるって言うのか!?」


「そんなつもりさらさらないよ。オレはお前よりそういった知識がある、だから危険を回避するなんて朝飯前だ。でもお前はどうだ? 自分の能力と、自分の責任を考えて、それを賭けてまで危険を冒す必要がどこにある?」


「だが!」


「だが、で解決するもんでもないだろ? お前に出来ないことだから俺がやる、これは決定。ついでに常にオレと一緒に行動する、これも決定な」


 その決定を受け入れられないアルフリッドの手から封筒を抜き取り、それは警備担当の部署へと送られた。

 カインの言うことはもっともで、アルフリッドが抱える責任も決して他人に任せることが出来ないものだ。

 頭では分かっている。しかし、気持ちが付いて来ようはずが無い。思考と感情のせめぎ合いが終わらぬ内に、俯きかけの自分の頭にぽんと手が乗った。


「だからしっかり嫁さん見つけろよー? そもそも、アルフの好みは何だよ? オレ結構色々な子と会わせたはずなんだけどなー、もしかして……幼女か?」


「そんな訳無いだろう!!!」


 聞き捨てならない言葉にばっと顔を上げると、父に似たいつものニヤニヤ笑いを浮かべていた。


「本当に危険ならオレに辿り着く前に弾かれる。から、心配すんな」


 自信たっぷりのその顔に、自分はそこまで必死な形相なのかと思い知る。そしてようやく感情が収まり、カインの言うことを飲み込めるまでになった。


「……分かった。ただ、本当に……無茶はしないでくれ」


「分かってるよ、オレだって結婚はしたいからな。んで、アルフの好みは?」


「またそれに戻るのか……」


「だって聞かないといつ入れ替わるか分かんないだろー?」


 それも至極最もな意見だと、渋々自分の心の内を打ち明けることにした。


「……俺は積極的過ぎる女性とは上手く話せない」


「知ってる」


「……あと派手な女性も苦手だ」


「知ってる」


「……出来れば穏やかな女性がいい」


「知ってる」


「…………俺は宮廷料理が好きじゃない」


「知ってる」


 自分と共に生きてきた親友は、自分の趣向をほぼ完璧に知っているのだろう。そんな相手に初めて打ち明ける気持ちに、少なからず口が震える。


「……穏やかな気持ちで長く共に居られる、ごく普通の家庭の、ごく普通の食事を好む、俺を……王子という存在だと決め付けない女性がいい」


「最後のは保障できないけど、出来るだけそれに近いのを探すか」


「それで頼む」


 共に拳を突き出し、こつんとぶつけ合う。


「任せろ、王子」


「……頼んだ、次期宰相」


 まだ分からないけどなと笑い、上着を掴んで馬車へと向かう。

 丸一日後に、アルフリッドにとって運命とも言える出会いがあるとは夢にも思わないまま……。

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