5日目 最後の参加者

「次の者、前へ!」


 ミリーナより先に並んでいた女性はカインの持つ舞台へと進み、正面に作られた階段を静かに登る。舞台といっても人の身長より低い程度なので、椅子に腰掛けるカインの顔は観客より少し上にある程度だった。

 順番を待つ列は布で遮られており、カインにも観客にも見えず、中からは隙間から外の様子が少しだけ伺えるものだった。


「あぁ、緊張してきたわ。大鷲の君の目の前に立てるだなんて!」


「あら、わたくしもよ。手が震えてしまって料理を零さないか心配だわ」


 顔見知りなのだろう、着飾った二人の女性が椅子に座ったまま頭を寄せ、小声で興奮を共感している。その後ろで静かに待つミリーナの表情は浮かない。


「お嬢さん、大丈夫?」


 気付いた女性が心配そうに声をかけてきたが、小さく笑って大丈夫と告げる。


(カインさんは……何を考えてわたしを呼んだんだろう)


 今朝のカインの言葉。アルフリッドを想うならば選出の儀に来いということだろう。


(審査なんてしてもらわなくてもいい。ただ、何の為に呼んだのか、聞かないと)


 考える間にも少しずつ列は進んでいた。


「次の者、前へ!」


 後ろには誰も居ず、最後の参加者であるミリーナはゆっくりと立ち上がり、鍋をぎゅっと抱きしめ階段へと足を進めた。



「六人目?」


 舞台の上のカインは、下から響く言葉に一瞬首を傾げる。自分の胃は既に限界を向かえ、うんざりとしながら食事を続けてきた。今更そこらのご令嬢の料理など食べたくないと思いつつ、階段を注視する。

 ゆっくりと登ってくるその姿を確認すると、口元に笑みが浮かんできた。視線を巡らすと、広場の端で橙色の髪の少女が腕を振り上げているのを見つける。


「よくやった」


 誰にも聞こえない声量で呟き、目の前の少女の想い人の反応を想像し、笑いを噛み殺していた。

 


 順番になり、カインの前に立ったものの、口を開くことは許さないと表情で言っていた。

 大衆に凝視されるこの状況に緊張しないわけがなく、笑みを貼り付けた顔に対してぎこちなく礼をする。


「料理を御前へ!」


 下から響く声に従い、ミリーナは鍋を机に置き、幾重にも巻かれた布を慎重に外していった。蓋を開けると、中からはまだ湯気が立ってくれた。


「料理名を述べよ!」


 ぴくりと身体を震わせ、口にすることによって起こりそうなことを頭に浮かべる。用紙に書いているのに言わせるなんて意地悪な儀式だと、心の中で愚痴を吐いた。


「野菜スープです」


 下に聞こえる程度で良いと説明されたので控えめに発すると、怪訝そうな声色でオウム返しされる。

 頷くとしばしの沈黙。きっと眉でも顰めているのだろう。それでもその事を観客に聞かせるため、高らかに料理名を叫んだ。


「この者の料理は、野菜スープだ!」


 ざわりと沸く広場。この五日間、こんなにも悪い意味で沸いたのは初めてだろう。

 ひそひそとした会話が重なり、その合間からは野次が飛ぶ。高貴な方に食べさせる程のものなのか、この場に相応しくないだろう、そんな内容ばかりだ。

 衛兵が強い口調で言うと、ようやくざわめきは収まった。握りしめた掌は白くなり、頬は羞恥に染まってはいたが、それでもカインに向けた目は逸らさなかった。


「キミは、何を思ってこの料理を選んだんだい?」


 貼り付けた笑顔はそのままに、よく通る声で問いかけてくる。


「これまで参加してきた女性はみんな、宮廷料理を主にしてきたけど……何か考えがあってのことかい?」


 広場の端まで響く声に、観客はしんと静まり返る。視線はミリーナを射抜き、それを真正面から受け止めたまま、答える。


「わ、わたしは……無理してほしくないんです!」


 震える声で、半分叫ぶような声はどうにか広場に届いたようだ。観客はミリーナの後姿を眺め、首を傾げた。


「宮廷料理が、長く続くものだって、伝統なんだってのは分かります。でも、無理して食べてもらいたくない。食事は美味しく、楽しくして欲しいんです!」


 この言葉が響くのは、一部の貴族だけなのだろう。舞台の最前列に並ぶ壮年の男性達は、言葉には出さないが組んだ腕を解き、舞台の少女へ目を向けた。


「食事は……食べたい物を、食べたい分だけ、一緒に食べたい人としたいんです!」


 一気に言い切ったミリーナは肩で息をし、膝がふるふると揺れている。


「言いたいことは、終わりかい?」


 その言葉にこくりと頷くと、カインは深く息を吐く。そのまま立ち上がり、椅子を元に戻した。

 その行為に、あの子は審査されることも無く退場するのだと、広場のほとんどが思った。ミリーナもそう思い、その場にへにゃりと座り込んでしまう。


「これより、審査を始める」


 大きく響くカインの声に、疑問の混じるざわめき。それに対しカインは平然と続きを言い放った。


「審査は大鷲の君一人で行う。だから、これが正しい」


 その声に招かれるように、舞台裏からは黒髪を持ち、青の衣装を纏う人物が現れた。

 遠目に分からないよう笑みを浮かべるカインと、その後ろから出てきたアルフリッドの姿。その表情は驚愕に満ち、ミリーナもそれを共有していた。


「さ、二人とも位置について」


 小声で指示するが、立ち上がることが出来ないミリーナはそのままに、アルフリッドとカインは舞台の中央に立つ。五日目にして初めて現れた人物に、あれは誰だという声が広がっている。

 その様子に対し大きく腕を広げ、声高に、その名を述べた。


「紹介します。こちらはイートリア国の王子。通称、大鷲の君です」


 一気にどよめく広場。無理もないことだろう。今の今まで、王子は真っ青な髪を持つ、この青年だと思っていたのだから。


「そして僕は、イートリア国、国王の妹の子。宰相の息子と言えば分かりやすいでしょうか?」


 変わらぬ笑顔のまま続けるが、どよめきは衰える気配が無い。衛兵が再び一喝してようやく静まり、更に言葉は続く。


「事情を説明しましょう。始まりは新聞社の写真からでした。

 成人の儀で、僕のこの青い髪を勘違いしたのでしょう。国王と同じ色の僕を王子だと掲載していました。本当の王子は一人、儀式を続けていたので表には出ていませんから。

 しかし、そこをあえて利用させてもらいました。選出の儀に危険は付き物。不特定多数の人物に囲まれては何人衛兵を配備しても完璧とは言えないでしょう。それに、淑女の中にはどんなことをしても王子の妻の座に就きたいと考える方も居るようですからね」


 広場を見回すとそこかしこで甲高い悲鳴が聞こえ、衛兵に腕を取られる女性が居た。


「相応の刑を申し渡します。恐喝は立派な犯罪ですからね。僕は今、この国の治安維持に携わる職に就いていますので、仕事はきちんとしますよ。

 裁くべきは裁く、それが誰であっても、ね」


 一際にっこりと笑みを浮かべ、指をついっと振ると女性達は広場から退場させられていった。


「大鷲の君を守る為の身代わりと毒見、それが僕の役目でした。あと、料理を無駄にするわけにはいかないので、片付けもその内ですね。最後の一人が来た今、このカイン・イートリア、役を退こうと思います」


 右腕を胸に当て深々と一礼した後、王子の隣へ静かに歩いた。


「ふー、終わった。アルフ、出番だ」


 舞台上にしか聞こえない声で呟くと、アルフリッドは徐に歩き、先程カインが立っていた位置へ進む。


「……私は、アルフリッド・イートリア。大鷲を冠する者だ」


 静かに、しかし深く耳に染みる声色で名乗りを上げると同時に胸元に手を当て、不自然に当てられていた布をびりっと剥がす。その中からは、大鷲を模った銀糸の刺繍が出てきた。見える程度に近くに居る者から驚きは伝播し、同時に彼が王子であるという認識も広がっていく。


「親類であり、友であるカインの言葉に甘え、今この時まで姿を隠していた。国民を欺く形になってしまい、深くお詫びしたい」


 悲痛の色に染まった顔で、カインより更に深く頭を下げ停止する。長い間姿勢をそのままにし、周囲がざわりとし始めた頃ようやく頭を上げた。


「成人の儀が終了し、花嫁を選ぶことになった時、私は心に決めたことがあった。伴侶に選んだ女性とは、出来うる限り長く共に居たい。そしてその為の努力をしたいと」


 まっすぐに顔を上げ、広場の観客をゆっくりと見回す。

 すぐ下に見える貴族の当主、その後ろには娘であろう妙齢の女性。その更に奥にはそうでないたくさんの国民が居た。


「どんな立場であろうとも、食を楽しむ気持ちは一緒だ。家族と共に穏やかな団欒を招くものであって欲しい。それがどんな料理であれ、愛する者と過ごす時間の糧となればいい。だが私は……宮廷料理がそれに当てはまるとは、思えない」


 観客の頭には今日までの様々な料理が蘇ったことだろう。ほぼ全てが宮廷料理で、一人分と言いながら大皿に大量に乗せて運んできた。その全てを平然と食すカインに驚き、同時に称えていた。

 しかしそれは、自分の家族にしてきたことと同じだろうか?

 外ではそういった食事をしつつも、家に帰れば慣れ親しんだ家庭料理が並ぶ。

 王子の妻と言うことは王子の家族。家族に対し、常に宮廷料理を出し続ける者はそうそう居ない。


「だから私は、日々食べたいと思う料理を持ってきた者のみ審査することにした。私の思いを理解してくれる女性を探していた。そして最終日の最後、やっと現れてくれた」


 振り返り、今だ立てないで居るミリーナに手を伸ばし、そっと起こす。


「これより、審査を開始する」


 同じ台詞を、今度はアルフリッドが口にする。最初の立ち位置に招き、自身も初めて席に着く。

 穏やかな笑みを浮かべるその姿に、ミリーナは久しぶりに震える口を開いた。


「お、王子様って……カインさんじゃないんですか?」


 周囲に聞こえないよう小声で囁くと、それに合わせ小声で返す。


「さっきの説明通り、俺が国王の息子だ。……黙っていたことは、すまなかった」


「いえ、それは…………あの、審査って、何なんですか?」


「聞いていなかったか? 今までの参加者は審査していない。今初めて、選出の儀の審査が始まるんだ」


 いただきますと呟き、小鍋を前に匙を取る。先程まで上がっていた湯気は、夕方の冷え始めた空気に飛ばされてしまっていた。


「あの……冷めちゃって、おいしくないと思うんです。すみません」


 肩を落とす様子にくすりと笑みを浮かべる。


「出来立てが一番美味しい、だろう? 自信を持てと何度も言っているのに」


 はっとするミリーナの正面でスープを口に運び、小さく息を吐く。


「うん、やっぱり美味しい」


 ゆっくりと口に運び続け、最後の一口が無くなると手を合わせ、ごちそうさまと呟いた。


「……食べてくださって、ありがとうございます。おいしいって、言ってもらえて……嬉しいです」


 じっと見つめて、声をかけられた拍子にぽろりと涙を落としながら、ずっと言えなかった、言いたかったことを口にする。

 自分の作ったものを食べてくれて、おいしいと思ってくれて、言ってくれてありがとうと、その気持ちに瞳からはどんどん涙が零れていく。

 席を立ち、指先をミリーナの頬に滑らせ涙を拭き取る。その温かさが嬉しくて、胸の奥がじんと高まる。


「ついてきてくれるか?」


 手を差し出され、そっと重ねると、その手を引き舞台の前に誘う。


「審査は終了した。

 選出の儀により選ばれたのはこの女性、ミリーナだ」


 その言葉にわっと沸き立つ観客。その勢いに目を白黒させるミリーナの手をきゅっと握り笑顔を向ける様子に、歓声は高まり人々は舞台前に殺到する。


「衛兵は警備を続けるように! 舞台上を死守しろ!」


 厳しい声で指示を飛ばしたカインが二人に歩み寄り、両手の拳を差し出す。

 アルフリッドはいつものように片手でこつんとぶつけ、ミリーナも戸惑いながら同じ事をする。


「やっとまとまったな二人共! 一時はどうなるかと思ったよ」


 背中をばしばしと叩きながら喜びの声を上げる後ろで、舞台下には二人の姿をよく見ようと大混乱だ。


「あー……よし、ちょっとオレもやらかしてくるから、その勢いでどっか行っちゃえ」


 いつものようにニヤリと笑い、舞台の際に立つとよく通る声を更に大きくして言い放った。


「サリー! 居るんだろ? ちょっと来い!」


 女性の名を叫ぶ宰相の息子にぎょっとし、一瞬静まる。その合間に見えた橙色の頭を見つけると近くの衛兵に指差し、素早く捕獲させる。その早業に反抗空しく、サリーは舞台上のカインの元へ連れてこられた。


「ちょっと、何であたしを捕まえるの! て、ミーナおめでとう! アルフリッドさんも、よかった」


 駆け寄り喜びを露わにするサリーの首をつまみ、隣に立たせると再び大きな声で宣言した。


「僕はこの女性、サリーと婚約を結びました。皆さん、僕らも合わせてよろしく!」


「はぁっ!?」


 突然の発表に再び湧き上がり、写真機の光が容赦なく襲い掛かる。後ろ手でしっしと手を振るカインの姿に、アルフリッド達は顔を見合わせた。


「え、ちょっと、あたし聞いてないんだけど? なんで婚約なんてことになってるの!」


「全くお転婆さんだね。あぁ、キスでもすればおとなしくなってくれるかい?」


 腰に手を回し頬に唇を寄せる様子に、黄色い悲鳴が響き渡る。その喧騒を隠れ蓑に、静かに舞台裏に下り厩への道へと走った。

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