5日目 変身

「まだ……着かないのっ……!」


 店から駆け出し、いくつもの建物を通り過ぎていった頃。日々動いているとはいえ、全力疾走を続けるには無理のある距離だった。


「夕方になるっていうのに!」


 両腕で抱える鍋を揺らさないよう細心の注意を払いながら走るのは、想像以上に疲労を感じる。人ごみを掻き分け広場の入り口へ辿り着く頃には、息も絶え絶え、見るも無残な格好だった。


「つ、いた……受付……どこっ!」


 うっすら涙を浮かべながら見回すと、王宮の制服を着た男性が片付け始めている机を見つける。


「すみませんっ!」


 震える足を強引に押し出しどうにか机に辿り着くと、男性はあからさまに眉を顰めた。


「何の御用ですか?」


「受付……お願い、しますっ!」


 呼吸の合間に搾り出す言葉は一応届いたようだが、ミリーナの頭から爪先をじろじろと眺め、ため息混じりに言った。


「その格好で大鷲の君の御前に向かうつもりか?」


「それは……」


 その言葉に自身を見下ろすと、普段着にエプロンという格好で来てしまったことに今更気付く。いくら急いでいたとはいえ、さすがに舞台には相応しくないだろう。


「そもそも、参加条件は十六歳以上だ。子供はさっさと帰りなさい」


 しっしと手を振る男性に反抗する気が萎れて口を開けないでいた時、後ろから怒りのこもった声が響いた。


「ミーナはちゃんと十六歳よ!」


「サリー!?」


 普段とは違う外出用のスカートを身に纏い、腰に手を当て仁王立ちで睨むサリーは、瞳を激情で爛々とさせていた。


「この娘が? ……だがその格好では通すことは出来ない。分かったな」


「それくらい分かっています。ミーナ、これに着替えて!」


 手にした袋から取り出したのは、ふんわりとしたワンピースだった。


「え……?」


「行くんでしょ? 会いたいんでしょ? さっさと着替える!」


 戸惑うミリーナに服を押し付けると、受付の男性をぎっと睨んでから腕を掴んで小さなテントに連れ込む。中には何も無く、二人入っただけで窮屈になってしまう。


「ちょっと、ここ何? 勝手に使っちゃ……」


「いいの! ミーナの為に準備したんだから!」


「わたしの為って……わ、何するの!?」


 口と同時に手を動かして喚くミリーナの服を次々剥ぎ取り、半裸の身体に幾分硬そうな下着を宛がう。


「寄せて上げるよ! 詰め物はしないからね? そのまんまのミーナで勝負しなね」


「そのままって……これ付けてる時点でそのままじゃ……って、く、苦しいっ!」


「お洒落は我慢! ぐだぐだ言わない!」


 人一倍気にしつつも口には出していなかったその胸部を、サリーはどうにか肉をかき集めて形にしていく。力任せのその行為に息が止まりそうだ。


「はい、あとはこっちね。うちの店の新作なんだから!」


 頭からすぽんと被せられたそのワンピースは、薄水色の布地に紺色の刺繍とリボンが施されていた。


「……きれい」


「でしょ? 初披露がこんな場になるなんて思わなかったけど」


 肩を出したその服は、それでも品を損なうことがなく、華奢な身体を包み込み清純ささえ漂わせている。


「さ、行こう!」


 入ってきた時と同じようにテントから飛び出すと、そこにはあまり会いたくない人物が立っていた。


「……ああら、そこに居るのはミリーナじゃないの」


 大きくカールした金髪は赤みを増やす日の光を跳ね返し、濃い桃色のドレスにはまたしてもフリルがごっそり付いている。


「パトリシア……」


「今構ってる暇は無いの、どいて」


 腕を振って退かそうとするサリーには目もくれず、後ろで不安げな顔をするミリーナをじろじろと見回す。


「なあにその格好は?」


「ちょっと、うちの服に文句あるっていうの?」


「違うわよ。お化粧くらいちゃんとしなさいな。それに、髪もきちんと結いなさい」


「え?」


 ぽかんとするミリーナをまたしてもテントに押し込み、自身の荷物から櫛や留め具を取り出した。


「こちら、使っていいんでしょう? サリーはそこで待ってなさいな」


 その言葉と共にぴしゃりと入り口の布を閉ざすと、ミリーナを床に座らせる。


「あの、パトリシア? 一体何なの?」


「あなたも結局、選出の儀に参加するのね」


 最初の日、商店街で会ったパトリシアに言った言葉を思い出し後ろを振り返ろうとするが、がっちりと頭を固定されそれは叶わなかった。


「動かないでちょうだい。留め具が刺さるわよ」


 髪をまとめていた紐を丁寧に解き、櫛で何度も梳いていきながら、小瓶の油をほんの少し垂らして艶を呼んでいく。


「別に構わないわ。あたくし、大鷲の君に未練はなくてよ」


「何で……? あんなに気にしてたのに」


「さっき、御前に立たせていただいたのよ。あたくしの自慢の料理、子豚の香草揚げを持ってね。大鷲の君は笑顔で食べてくださったわ。最後にはきちんと、ご馳走様って言葉も頂いた」


 その時を思い出しているのだろうか、パトリシアの眉がほんの少し下がったが、前を向かされているミリーナにその表情は見えない。


「ただね、それだけだったのよ。あのお顔は何度も見たわ。あたくし、毎日儀式を見に来ていたもの。誰の料理でも、誰の顔でも、同じ顔で同じことを仰ったのよ」


 滑らかな指使いで茶色の癖毛を編みこみ、毛先をその奥に押し込む。一房の後れ毛も無く艶やかな光を返す髪をそのままに、今度は前に回りこんだ。

 使った物をしまい、今度は様々な化粧道具を取り出すと、ミリーナの瞳からほんの少し視線をずらしながら続ける。


「あの方は、あたくしには目もくれないわ。それに、あんな貼り付けた笑顔の男と暮らすだなんて嫌よ。気持ち悪いもの」


 カインの姿を思い出すと、そういえば一回だけそんな顔を見た気がした。確か、初めてサリーと遭遇した時だ。

 遠く感じる数日前を思い出している間にも、パトリシアは顔を紙で押さえ、白い粉をぱたぱたと乗せていく。

 桃色の粉を手にしてふと迷い、隅に追いやられていた紺色の粉に持ち替え、目の際に丁寧に塗った。


「仕上げよ。口を開いて」


 言われるがままにぱかっと口を開くと、くすりと笑われ顎を押し戻される。


「少しでいいのよ。あなた、紅を塗ったことも無いの?」


 くすぐったいような、しっとりとした感触。むずむずとしながら我慢すると、乾いた紙を押し当てられた。


「完成よ。あの方はあたくしのような女性ではなく、あなたみたいな変わり者のほうが好みなのよ、きっと」


 初めて見る、寂しそうな顔で笑うパトリシア。

 いつも自信満々の出で立ちしか見たことが無い為、その様子に不安になる。


「あの、パトリシア……」


「あたくしにはもっと相応しい男性が居るのよ! その方を見つける為にも、あなたは犠牲になってちょうだい。他の貴族の女と結婚なんてされたらいい恥だもの、大鷲の君は変わった女が好きな変人だって知らしめてきなさいな!」


 ワンピースに付いた小さな紺色の花を一つ取り髪に留めると、テントの外へ押し出された。


「ミーナ! ……きれい、すごいきれいだよ!」


 沈み始める太陽の光が正面から差し込み、眩しさに目を閉じる。サリーの歓声に自分がどんな姿なのかがとても気になるが、鏡の類を探している余裕はなさそうだ。


「受付の人! これでいいですよね?」


「あ……ああ、分かった」


 サリーの剣幕に押されたのか、ミリーナの変わり様に驚いたのか、戸惑いながらも受付用紙を差し出してきた。

 名前、年齢、料理名。その下には受付が書くであろう容姿に関して。自分が書くべき所を手早く埋め、受付に返す。


「この道を進むと次の担当者が居る。その指示に従うように」


 慣れない服と髪形にそろりそろりと歩き始める。その後ろで用紙を手にした男性の独り言は、耳に入っていても気にすることは出来なかった。


「まいったな……今からじゃ舞台まで書類を送れないぞ」


 それを聞いたサリーは面白そうな笑みを浮かべ、横で見守るパトリシアは怪訝な顔をしていた。

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