5日目 王子の来訪、彼女の決意
昨日の雨の気配を感じさせない、晴れ渡った空。道の水溜りがそれを映し出し、街は青に染まっている。
今日は花嫁選出の儀の最終日。
王都の端であるこの地域の店は静まり返り、軒並み閉店しているようだ。
その例に漏れ、ミリーナは今日もいつも通り井戸水を汲み上げていた。
雨の影響を気にしていたが、屋根と蓋のおかげで問題無いことにほっとして作業を始め、井戸と厨房の往復を続ける。
少し汗ばむ陽気に額を拭うが、その顔に不快の色は無い。繰り返し運び続けようやく半分といったところで身体をぐっと伸ばすと、遠くから馬車の走る音が聞こえてきた。
(こんな日に?)
その音はみるみる近付き、馬の一鳴きと共に裏門の前で止まった。
「少しだけだから、ここに居るように」
聞きなれたその声と共に現れたのは、真っ青な髪をなびかせるカインの姿だった。
「おはよーミリーナ嬢。今日も仕事に精が出るねー」
先程よりもっと砕けた、昨日までと同じ声色だった。
「え……カインさん、なんで」
「え? なんでって、なんとなく?」
小首を傾げる姿は不思議そうな表情を浮かべ、ここに居るのはさも当たり前だといわんばかりだ。
「だって、今日は大事な日じゃないですか! どうしてこんな所に来るんですか!」
突然の訪問と理由に慌てながら近付くと、胸の高さの門で隠れていた服が見えるようになった。
赤を基調とした儀礼服。どこかで見た気がすると考えると、号外に載っていた写真を思い出した。
「王子様が……こんなとこ、来ちゃ駄目です」
詰めた距離を一歩下がり、目を伏せながら言う。その時ふと、今までカインが一人で来たことが無かったことを思い出し、無意識に馬車の中へと目を向けた。
「アルフは置いてきたよ。オレがこんな朝早くに起きると思ってないからねー、抜け出すにはちょうどよかったよ」
僅かな目線の動きに考えを読み取り気付かれたことに驚き、同時に恥ずかしさを感じたミリーナは思わず顔を上げ、カインの表情を伺った。
「今日が大事な日だからこそ、来たんだよ」
穏やかな表情を浮かべたまま、入っていいかと目線で聞かれこくりと頷く。門の前だとなんとなく落ち着かなく、井戸の脇に移動した。門を挟んださっきとは違い、鮮やかな赤が視界の多くを占めた。
「派手でごめんね。最終日の今日は朝からやることになっちゃってさ、このまま来たんだよ」
赤い布地に金の刺繍、青い髪も合わせた色合いは確かに目に優しくない。
「そういや、昨日アルフもここ来たんだっけ?」
「……っ」
興味深そうに井戸を眺め、口元にはどんどん笑みが滲んでいく。
「いやー、あのアルフがねー。長年一緒に居るけどこんなこと初めてだよ。もしかしてずっとこのままなのかと思ってたくらい。
…………だからこそ、おせっかいを焼きたくなるんだよね」
最後は真面目な表情でミリーナを直視した。逃れがたいその視線に、ミリーナの身体はぴくりとも動かない。その様子に満足がいったのか、ゆっくりとした口調で問い始めた。
「ミリーナ嬢は、アルフが嫌い?」
「そんな! 嫌いなんて!」
「じゃあ、好き?」
「え……」
昨晩散々悩んだこと。この気持ちの意味。
それに辿り着く前に立ちはだかる事柄により、結局答えが出なかったことだった。
「……そんなこと、考えていい立場じゃ、ないです」
「なんで?」
「なんでって……カインさんが王子様で、アルフさんは従兄弟で……王族の方にそんなこと、思えません」
言い聞かせるように搾り出した小さな声に、カインは整えてきたであろう髪をくしゃりと混ぜながらため息交じりに言った。
「別にさぁ、身分とかいいんじゃない? この国は王子の結婚の条件は料理だーとか言っちゃうんだよ? そもそもアルフがそんなこと、気にすると思う?」
「でも……」
「ついでに言うと、アルフはミリーナ嬢の料理、大好きだと思うよ。オレも好きだけどさ。それだけで、気持ちを持ってもいいと思うんだけど」
言い返すことも出来ず俯いたミリーナに歩み寄り腰をかがめると、耳元に顔を寄せ小さく呟いた。
「少しでもアルフのことを思ってくれているなら、今日広場に来て。悪いようにはしないから」
「え?」
ぱっと顔を上げるとカインはすぐに離れ、そのまま門の外へと出て行った。
「あとさー、呼び方、戻っちゃってるからね」
振り返りながら面白げに放った言葉に、ミリーナははっと口を押える。昨日はちゃんとアルフリッドと呼んでいたはずなのに、カインにつられてかはたまた別の理由か、呼んで欲しいと請われたものになっていた。
「じゃ、考えといてね」
にこりと笑って軽やかに馬車に乗り込むと静かに走り出し、その姿はあっという間に見えなくなってしまった。
「……なんだったの?」
耳に残る言葉は、囃し立てられたミリーナが最初から訴えていたものと逆のものだった。
(カインさんに、料理を出せと……?)
選出の儀に出るのは王子であるカインのみ。そこにミリーナが参加したところで何になるというのだろう?
中断していた水汲みを再開しようにも手に力が入らない。そもそも頭が混乱して何か出来るようにも思えない。
きっと夜まで誰も来ないだろうからいつもの半分の水で賄えると計算し、それでも誰か来た時の為にと厨房に椅子を持ち込み、その上で膝を抱えて過ごした。
昼過ぎ、僅かに道が賑わう頃。開け放った扉から聞こえる微かな喧騒に耳を傾けると、誰もが広場に向かうところらしい。
最終日の今日、恐らく花嫁が発表されると考えてのことだろう。何をするでもなくぼんやりと時間を過ごしていたミリーナは太陽の位置を確認した。
「……夜の準備、しよう」
のろのろと動き出し、保存庫から材料を取り出すとようやく気分もはっきりし、腕をまくって調理台に向かった。
いつものように、いつもの物を。そう、自分に言い聞かせる。
リズミカルに響く包丁の音に励まされ、手はどんどん進んでいく。
週に何度も作る、大き目の野菜と小さ目の肉を煮込んだスープは父親が一番最初に教えてくれたものだった。
「あとは煮込んで終わりか……」
パンの仕込みも終え、再び太陽に目をやると夕方までもう少しといったところだ。
「もう少し……」
その後に続く言葉は、口から漏れることなくミリーナの頭で渦巻く。
もう少しで料理が終わる。
もう少しで儀式が終わる。
もう少し……?
「もう少し…………話したかったな」
ぽろりと零れた言葉が耳に届きはっとする。
今自分は何を言った?
誰と話したかった?
弱火にかけたスープがコトコトと音を立て、もうじき出来上がると言っているようだった。
(わたしは今まで……ちゃんと言ったことがあったかな)
何か言う間もなく状況に流され、アルフリッドの言葉を最後まで聞くことも出来なかった。
昨日、きっと何か言いかけていた。それを遮ってまで言った自分の言葉は本心だったのか?
アルフリッドは自分にたくさんの言葉をかけてくれた。
嬉しいことや意外なことや恥ずかしいことも……。
それに対して、自分は何を返せたのだろう?
「わたし……何も言ってない」
カインが授けてくれたであろう機会を、無駄にすることは出来ない。話せる距離に行く為には儀式への参加が必要になるのだろう。
小さな鍋に出来立てのスープを移し、布を幾重にも巻き保温を図る。
自分が作った大事な料理を、アルフリッドはおいしいと言ってくれた。
それをまともに聞かず、謙遜という名の否定をし続けた。
「このままじゃ、終われない!」
店の札を乱暴に閉店中に合わせ、大通りを全力で駆けた。
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