4日目 嵐と共に……

「ミーナ、外! 天気悪くなってきたよ!」


 その声に客達も外を見て、急いで帰り支度を始める。


「ありがとうサリー。全然気付かなかった」


 ぱたぱたと駆け寄ってきたミリーナは少々疲れ顔だった。


「気付く暇がなかっただけでしょ? おばちゃんたち、相当楽しそうだったじゃん」


 お茶を注いでいたアルフリッドを捕まえ、それを止めようとしたミリーナも巻き込んでやいのやいのと騒いでいたようだ。


「うん……すみません、アルフさん。なんだか色々迷惑かけて」


「いや、あの方達はミリーナのことが心配なんだろう」


 あまりない経験をしたと笑みを浮かべていたので、本人も気にしていないようだ。


「なーアルフ、今日は迎えが来るんだっけ?」


「ああ、天気が崩れると聞いていたからな。もうしばらくしたら来るだろう」


「んじゃ、それまでのんびりするか」


 そう言った直後、突然激しい水音が店内に響き始めた。日差しがまだあるから夕立なのか、それとも雨脚が早まったのかは分からなかった。

 店内に残っているのは四人だけで、他の客は既に帰っていた。


「帰り道、大丈夫かな……」


「みんな歩いてちょっとの距離なんだから大丈夫だよ。ちょっとくらい濡れたって早めのお風呂を楽しめる時間だし」


 心配そうに外を見ているミリーナに、サリーが手をぱたぱた振りながら答える。

 するとガランガランと扉のベルが鳴り響き、煌びやかな服装の男が二人駆け込んできた。


「畜生! なんだよこの雨は!」


「あーあ、この服、卸したてだったのに」


 相当不機嫌な様子で乱暴に上着を脱ぐと、水滴が散るのも気にせず椅子に放り投げる。


「おい、茶。特級のな」


 振る舞いからして貴族の若い子息のようだ。奥に居る四人をよく見ることもなく声を張った。


「オイオイ、こんな辺鄙な場所にある店で我侭言うんじゃねぇよ」


「ついてねぇな、まったく」


 客の様子にむっとした表情のアルフリッドに苦笑をこぼし、ミリーナは二人の元に向かった。


「お茶ですね。すみませんが特級はないので別のものでもいいですか?」


「何でもいいからさっさと持って来いよ、気の利かない女だな」


 これ程ではないが、極稀に横暴な態度を取る客が訪れることもある為、必要なことだけを口にしてすっと厨房へ戻った。こういう客にはさっさと注文されたものを出せばどうにかなるということは、長い間店に居ることで学んだことだった。


「そう自棄になるなって。ちょっと声をかけた女に振られたくらい何ともねぇだろ」


「ちげーよ! あの女は前から狙ってたんだよ! 着飾ってうろうろしてたから声かけてやったのに、何なんだあの態度は!」


 話している内に思い出したのか、泥のついた靴で隣の椅子を苛ついた様子で蹴り飛ばす。


「大鷲の君に会いに行くのでごめんあそばせ、か。どいつもこいつも同じこと言ってるのは確かに気に食わねぇ」


「あー腹が立つ! おい女! おせーんだよさっさとしろ!!」


 怒鳴り声と共に思い切り机を叩くと同時、静かにしていた二人が立ち上がった。


「はいはい落ち着けって。八つ当たりはみっともないぞー」


 勢いよく立ち上がったアルフリッドの肩をぐっと押し戻し、サリーに目配せをしたカインは、そのまま二人の客の方に歩いていく。


「あ? なんだよテメー」


「何か用かよ? こっちは興味ねぇんだけど」


「あー分かった分かった。でもまぁとりあえず落ち着けよ。オレらお茶しに来てるんだからさ、静かにして欲しいんだよなー」


 テーブルに手を付き口元にだけ笑みを貼り付けた表情で淡々と言葉を発する。

 いきなり現れた身なりのいい人物に二人は一瞬呆け、その後すぐに顔を歪めた。


「なんだテメーは。こんな店に居座ってるなんてよっぽど暇な下級貴族か? 軽々しい口利いてんじゃねぇよ!」


「はいはい、怒鳴らなくても聞こえてるからさ。……ちょっとは落ち着けって、な?」


 ちらりと後を見遣ると、眉を寄せたアルフリッドがサリーに腕を掴まれているのが見えた。一瞬視線を合わせると、浅く息を吐いてから力を抜いたのを確認する。

 小声で大丈夫かと聞くサリーに、小さく頷くとようやくその手を離した。

 その様子に、不安そうな顔をしながら急いで茶器を出していたミリーナも胸を撫で下ろす。


「気持ちは分かるけどな、オレだって。

 一張羅が台無しになったのは災難だとは思うが、それで店主に当たるのは違うだろ?

 お茶もすぐ持ってきてくれるから大人しく待ってようぜ」


 笑顔はそのままに、しかし得体の知れない威圧感を背負いながら話す姿に、二人組の片方は完全に戦意を失ったようだ。


「う……うるせぇ! 大体、テメー何者だ! 家名は何だ!」


 唾を飛ばしながら食ってかかるもう一人に深い溜息をつくと、何を勘違いしたのか男は自慢げに立ち上がった。


「よほど名の通らない家のようだな。こちらはダリヤ準男爵が長男、デュークだ!

 これで少しは口の利き方も正せるか? あ?」


 筋肉質な身体を開き、少しでも大きく見えるような姿勢にうわぁ、と露骨に引いているサリーは声をかけられたらしい女性に心底同情している。


「……ダリヤ殿は聡明なお方だと聞いているが、息子がこれじゃここまでだな。さぞ無念だろうに」


「はっ、小物が何を言ってやがる。こっちはなぁ、今夜男爵邸で開かれる、成人の儀を記念した食事会に呼ばれているんだ。儀式の当日から五日間、公爵から順に将来有望な若者と縁を作る為に招待するんだよ! テメーは知らないだろうがな!」


 あざ笑う男にカインは更にため息をつく。もはや呆れるを通り越して哀れにも思えてきたようだ。


「一応訂正するけどな、その食事会は若者が目上の人物と縁を作る為のものだぞ。あちらがお前と縁を持ちたいんじゃない。お前があちらと縁を作る機会を作ってくれてるんだ。

 つくづく残念な跡継ぎだな。あぁ、確か準男爵には歳の離れた弟がいらしたな。そちらの子息はダリヤ家に相応しい素養があるようだから大丈夫か」


 笑みを消しすらすらと話す姿にぎょっとしたようだが、最後の言葉にはっとしカインの胸倉に掴みかかった。


「跡継ぎに相応しくないって言いてぇのか!? 人の家のことそんなに調べ上げやがって……準男爵の位を狙ってるのか? だからそんなに詳しいんだろ! 家名も出せない野郎がこそこそみっともねぇんだよ!」


「ちょっと! 乱暴はやめてくださいっ!!」


 出来る限り速くとお茶を準備してきたミリーナは、さすがの様子にそのまま駆け寄った。


「黙れ! 誰に指図しているこの女っ!!」


「わっ……!」


 片腕でカインを掴んだまま、もう片方を近くに迫っていたミリーナに向かって振り上げた。空気を裂く大きな掌に、その小柄な身体が弾かれそうになった時、背後から黒い影が伸びていた。


「ミリーナ!」


 短い叫びと共にその影はミリーナを覆い、間一髪というところで掌から逃れた。

 一瞬の後、茶器の乗ったお盆が床にぶつかり、陶器が砕ける高い音が店内に響く。


「…………大丈夫か?」


 いきなりのことに固まったままの身体を支えられ、頭上から覗き込むアルフリッドの顔にふと力が抜けた。小さな震えはあるものの、肩に添えられた手の暖かさにそれも治まっていく。


「はい……あっ、アルフさんは大丈夫ですか!? ごめんなさい、わたし……!」


 大丈夫と伝えるように背中を叩き、自分の後ろに居るよう促すと黙って男を見据える。


「……お前、誰に手を上げたか覚えておけ。ただのガキの喧嘩じゃ済まないからな」


 掴まれながらも苦しげな様子がまるで無いカインは、目を細め男を睨み上げた。


「お、おい! もうやめとけって!」


 後で黙っていた男も大きな音で我に帰ったのか、ようやく静止の言葉をかける。


「うるせぇ! 何だよお前ら……何なんだよ!!」


 味方が居なくなり余裕がなくなったのか、カインを更に上へと掴み上げた。頭は後ろに反り返り、爪先はぎりぎり床に付く程度なのに顔色は全く変わらない。


「……あれ?」


 そんなカインがふと何かに気付くと、何故か慌てて手を頭にあてる。


「なんだよ? 今更後悔でもしてんのかよ!」


「いやいや、んな馬鹿なことはしないし。とりあえずそろそろ手、離さない? 別に苦しい訳じゃないんだけどさ、色々と危ないんだよな、今後を考えると」


 何故か頭の位置をどうにか戻そうとしているが、胸元が支点となっているからかなかなか上がらない。そうもがく度にカインの手はそわそわと髪を撫で付ける。


「テメー訳わかんねぇこと言ってんじゃねーよ!」


 どこか浮ついた様子が癇に障ったのか、男は腕をもっと上へと持ち上げると、ついに爪先は浮き服で首が絞まり始めた。


「ぐぅ……ここまで来ると苦しいから、もういいだろー?」


「あんたもう止めなさいよ! 警備兵呼ぶよっ!」


 後で様子を窺っていたサリーが扉へ走り男に振り返ると、何故かカインの方が慌て始めた。


「ちょ、サリー開けるな! 風吹いたら困るから!」


「まさか……カイン、お前っ!」


 続いてアルフリッドも何かに慌てカインの身体を支えようとするが、状況が分からない男はそれを避け、その他三人は首を傾げるしかなかった。


「あー……もう駄目、ごめん、アルフ」


 力無い苦笑いと共に搾り出した声の重みにつられたかのようなタイミングで、真っ赤な毛束がずるり、ずるりと重力に従い、音もなく足元の木目を覆った。

 ぽかんとしたサリーから出てきた言葉は、今のカインの容姿を簡潔に表していた。


「青い、髪……?」


 真っ赤なはずだった髪は床の上に鎮座し、その代わりに真っ青な髪が頭に乗っている。しんと静まりきった空間を振るわせたのは、男の背後からカインをまじまじと眺めていた者だった。


「……青い髪と、青い瞳の、貴族……? 馬鹿っ、デューク! その手を離せっ!」


 顔面を青々とさせた男が震えながら怒声を挙げると、言葉の意味を理解したのだろう。思わず乱暴に突き飛ばし、後ずさりしながら化物でも見るような視線を投げかけた。


「あ、お、お前……まさか……!」


「他言無用だ。いいな?」


 床に尻餅をついたまま睨み上げ強く短く発すると、男達はこくこくと首を縦に振る。


「どういう、こと?」


 一人状況に付いて来れていないミリーナが首を傾げると、一点を見つめたままのサリーが掠れた声を零した。


「あたし……さっき、見た。服は違うけど……広場に……」


「さっき広場でって……今は選出の儀が」


 恐る恐る顔を上げると、そこには悲しげな表情のアルフリッドが居た。


「坊ちゃま! 何事ですかっ!」


 裏口の扉をバタンと開け放ち出てきたのは、数日前に見かけた馬車の従者だった。店内の音が外に漏れていたのだろうか、大層慌てた様子だ。


「問題ない、下がれ」


「ですが……!」


「いらん、下がれ」


 震える男達とカインの様子では何も無いとは言いがたい状況だが、突き放すような声色に従者は渋々見逃すことにしたようだ。


「ですが坊ちゃま、予想以上に天候が悪化し、男爵邸での食事会も延期となりました。出来る限り早いお帰りを」


 外から響く雨音は一向に静まる気配はなく、むしろより一層強まっているように聞こえた。


「悪いね、ミリーナ嬢。騒がせるようなことしちゃってさ」


 徐に毛束を掴み立ち上がると、いつもの顔と声色のカインが申し訳なさそうに笑みを浮かべていた。男達は震えながら寄り添っているし、すぐ近くに居るアルフリッドの表情は浮かないし、いきなり入ってきた従者も渋面を浮かべているし、ミリーナはいきなりの出来事の数々に何の返答も出来なかった。


(何、これ……? さっきサリーが、カインさんを広場で見たって。それはお客さんとして……じゃ、ない、の?)


「おーい、ミリーナ嬢? きーてるー?」


 混乱が顔に出ていたのだろう、目の前で掌を振り顔を覗き込んできた。その様子はいつもと変わらないが、それを取り巻く状況が決していつも通りではないのだということを物語っていた。


「カインさんは……貴族の方じゃ、ないんですか……?」


 言葉を探しながらぽつりと呟くと、隣に立つアルフリッドの肩がぴくりと震える。しかしそれに気付くことはなく、じっとカインを見つめていた。


「んー、まぁ……そうだね。言わなかったのはごめん、謝るよ。一応決まりでね、言えなかったんだ」


 少し癖のついてしまった真っ青な髪を軽く撫で付け、気まずそうに答える。

 古くから続く王族の決まり事。伴侶が見つかるまでは名乗ることは許されない。

 そういえば号外に載ってたっけとおぼろげに思い出すが、まさかそれだけで飲み込めるものとは到底思えなかった。


「じゃあ、アルフさんも……王族、なんですね」


「…………」


 顔だけを向けて問うと、意図的に視界の隅に映したアルフリッドはゆっくり、微かに頷いた。


「あー、ミリーナ嬢? あんま責めないでくれると嬉しいんだけど……いや、やっぱ怒ってくれていいや」


 床の木目に目線を沈み込ませる二人に言葉を投げるが、様相は全く変化しない。


「ちょっと、あたしはどーなるのよ!? 聞いてないし知らないし怒ってるわよ!」


「あぁサリー、そういえばお前もだったな」


「そういえばって何よ!」


 扉の前に居たサリーはカインの元へずいずいと歩み寄ると、真下から睨みあげた。身長差があるせいでカインは見下す形になってしまっている。


「どういうことか説明してもらうからね!」


「うん、ごめん。せめて明日までは隠すつもりだった」


「明日……?」


「儀式は明日までだから」


「あ……そっか、あんた結婚するんだっけ」


 一瞬考え、答えに気付くとさも意外そうに言うサリーに対し、言われた本人は隠すことなく苦笑を浮かべた。


「それはどうだか分からないけどな」


「なにそれ? あんたの花嫁探しの行事でしょ」


 曖昧な返事にため息をついた途端、強い稲光と同時に大きな雷鳴が響いた。


「坊ちゃま!」


「あー、分かったよ。アルフ、行こう」


「……あぁ」


 小さく掠れた返事をしてから、アルフリッドの瞳はミリーナを向いていた。そこに映る自分の表情はどこか虚ろで、それを見るのも見られるのも嫌で咄嗟に俯く。

 小さく一歩踏み出され、小さく声を掛けられる。


「……ミリーナ」


「……っ」


 その呼び声におずおずと顔を上げ、ゆらゆら彷徨わせようやく合った瞳には様々な表情が映し出されていた。

 困惑、動揺、不安……非難の色が無いのは二人にとっては救いだったのかもしれない。


「黙っていて……悪かった」


「……謝らないで下さい」


「だが……」


「いいんです! 早く、待ってますから」


 掌をぐっと握り締め、搾り出した言葉は、二人の距離を示すものだった。


「行って下さい……アルフリッドさん」

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