4日目 早朝の遭遇

 翌朝、ミリーナは相変わらずいつも通りに起きていた。

 昨日とはうって変わった晴天。少し暑いが朝早いからまだ心地よく感じられる温度だ。

 動きやすいようにシャツと短パンに着替え、日課の井戸水を組む作業に取り掛かる。店ではきっちり結い上げている茶色の髪は、今は緩く結ばれているだけだった。

 元から人が通ることが少ない庭の前の道はとても静かで、滑車をからからと引き上げる音だけが響いている。

 単調な作業を続けているからか、手を動かしつつもミリーナの頭は別のことを考え始めた。


(あれからアルフリッドさんたち、大丈夫だったかな。またカインさんが無理したりしてないかな)


 自分達がつい先日出会った道。滑車の音を聞きながらその辺りを眺めてしまう。買い物帰りに偶然見つけ、思わず招いて……たった三日しか経っていないのに、ミリーナの中での二人の存在はとても大きくなっていた。

 明るくて人当たりのいい、けど少し子供っぽいカイン。

 最初は怖い人かと思ったが、すぐに優しい人だと分かったアルフリッド。

 自分が抱いていた貴族の印象とは全然違う、少し歳が上なだけの普通の青年。

 二人ともとても親しみやすく、色眼鏡をかけていた自分を叱りつけたくなる。


「今日も来てくれるかな……」


 ぽつりと呟きつつ頭に浮かぶのは昨日のアルフリッドの顔。

 薄暗い店内でも分かる、とても綺麗な姿だった。自分の話を何も言わず聞いてくれて、心配してくれて、励ましてくれた。頬に当てられたハンカチの冷たさと、握られた手の熱さを思い出し、何故か胸がぎゅっとする。


「……なんなんだろ、これ」


 痛くないけど苦しくて、苦しいけど嬉しくて……経験したことの無い感覚に戸惑ってしまう。

 桶を繋ぐ紐を離し、温かい両手に包まれた自分の手を見つめた。毎日水仕事をする手はいつも荒れていて、大きく逞しい手にはどう感じられただろう。こんな年頃の女らしくない手よりも、温室育ちのご令嬢の手のほうが心地良いんじゃないだろうか。

 あんなに見た目のいいアルフリッドの周りにはきっと綺麗な女性もいっぱい居る。成人したと言っていたし、いつかはそんな女性の中から伴侶を見つけてしまうのだろう。


「……仕方ない、よね」


 井戸に寄りかかりぼうっとしていると、遠くから馬の蹄の音が響いてきた。


(こんな朝から? 配達だったら馬車のはずだし……)


 店舗の多い地域だからか、早朝から物資の搬入をする店もある。しかしミリーナの店の近くにはそういう店舗は少なく、こんな時間に馬が走ることは無い。

 速度を落とした走り方なのか、音の感覚は狭い。だんだん近付く音に、ミリーナはつい身構えてしまう。

 しかし角を曲がってきた白馬の上には、見慣れた人物が座っていた。


「アルフリッドさん?」


 その声に気付いたのか、少し驚いた表情で言葉を発した。


「ミリーナさん、こんな時間から仕事をしているのか」


「はい。アルフリッドさんこそ早いですね、お仕事……ではないんですか?」


 門の前で停まったので駆け寄ると、いつものきちんとした外出着ではなく、動きやすそうな乗馬服だった。


「あぁ、少し早く目が覚めてな。最近構ってやれてないから散歩がてら走ってたんだ」


 そう言い馬の首を撫でると小さく嘶く。丁寧に手入れされているだろう艶やかなたてがみは風にふわふわと揺られている。


「きれいな子ですね。アルフリッドさんの馬なんですか?」


「あぁ、乗馬を始めた頃からの付き合いでな。長いこと世話になってる」


 ミリーナが近付くとふんふんと鼻を鳴らして顔を近づけてきたので、軽く撫でると気持ちよさそうにしている。


「水を汲んでいたのか?」


 桶が置いてあるのに気付いたのか、水の零れた井戸に目を向けた。


「はい、朝の日課なんです」


「……迷惑じゃなかったら、手伝ってもいいか?」


「え? いや、迷惑なんかじゃ、そんな……でも時間とかは」


「朝食までに戻れば十分だ。朝が遅い家だからな、問題ない」


「えっと……ほんとにいいんですか?」


「ああ、普段ミリーナさんがやっていることに興味がある」


 そんなに面白いものではないということだけは伝え、馬と一緒に庭に招き入れると太い木に手綱を結んだ。井戸の脇には運搬用の、取っ手の付いた大きな桶が置いてある。


「この紐を引っ張って汲み上げて、ある程度溜まったら厨房の水瓶に入れるだけです」


 実際にからからと引き上げ、足元の桶に注いでいく。それを何度か繰り返すのを興味深そうに見つめていた。


「紐で引き上げるのは大変じゃないか? 今はもっと楽に汲めるポンプがあったと思うんだが」


「わたしもご近所さんが使ってるのを見たことがあります。すごく楽だって言ってました。でも、これは両親が設えたものなので……毎日一緒に汲んでいたのを思い出すので、できるだけ変えたくないんです。効率は悪いんですけどね」


 苦笑しながら汲み上げると、ちょうど桶がいっぱいになった。


「そうか……ご両親との思い出のものなら大事にしないとな。これを厨房に持っていけばいいのか?」


「そうですけど、重いからわたしがやります。こっちの汲み上げるほうをお願いします」


 桶に手をかけると慌ててミリーナが止めに入るが、その様子にアルフリッドは少々不満げな表情を浮かべた。


「これでも俺は男で、女性のミリーナさんに力負けするつもりはないんだがな……たまには男らしいことをさせてくれ。いつもカインの世話ばかりでなかなか見せられないんだから」


 そう言うとひょいと持ち上げ、すたすたと厨房に向かってしまった。普段よろよろと運んでいるミリーナとの差は歴然だ。


「男の人だって、ちゃんと分かってるのに……」


 なんとなく恥ずかしくなり、それを誤魔化すようにからからからと水を汲み上げ続けた。

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