3日目 抱き始めた気持ち

「ミーナ!」


「サリー? どうしたの、そんなに慌てて」


 店内に灯りがついているのを見つけたサリーは全力で駆け込むと、厨房から出てきたミリーナの肩を掴みがくがくと揺さぶる。


「大丈夫だった!? さっき商店街で聞いたの、ミーナ、性悪女に絡まれたって!」


「ちょ、待って、平気、だから、離してって!」


 はっと気付き離したものの、ミリーナは軽く目を回していた。


「うわ、ごめん! あたし心配で……っ!」


「うん……分かってる、大丈夫。色々あったけど、もう平気。何ともないよ」


 カウンターにもたれつつ、ほんのり笑みを浮かべて言うミリーナに不安や恐怖の色は残っていなかった。


「ミリーナさん、テーブル拭き終わったが他に何かあるか?」


「あ、すみません、ありがとうございます。もう大丈夫です」


 客席のほうから歩いてきた、貴族風の外出着で布巾を握るアルフリッドの姿は違和感の塊だった。


「おーアルフ。悪い、遅くなった」


「カイン、起きたか。身体の具合は大丈夫か?」


「まぁねー」


 のんびりと扉をくぐり、驚いているサリーの肩に肘を置いた。


「ちょっと、何してんの!」


「いやー丁度いい肘置きがあるなと」


「馬鹿じゃないの! さっさとどきなさい!」


 ぎゃーぎゃー騒いでいる二人をきょとんと眺め、ミリーナとアルフリッドは不思議そうに目を合わせた。


「何が、あったんでしょうね?」


「カインが女性にあんなに絡むのは珍しいんだが……」


 楽しげに見えるので放っておくことにし、二人は厨房へと入っていった。


「アルフリッドさんも、よかったら食べていきますか?」


「ああ、頂く」


 先程、言葉通りすぐに着替えてきたミリーナが手早く調理を済ませていたので、あとは皿に盛るだけだ。

 いくつか買っておいた野菜は先程の騒動で傷がついてしまい、このままだとすぐに痛んでしまうので、予定を変更して今夜中に使い切ることにした。

 米と魚介と野菜で煮込んだリゾットは、きれいな赤色のスープにたくさんの具が混ざっている。そこにサラダと小さめのパンを添えて完成だ。

 いつもより大きいスープ皿を出そうと背伸びして棚の上のほうに手をかけると、すっと大きな手が被さってきた。


「これでいいか?」


 こくりと頷くと、同じ皿を台の上に置いていく。他にも必要なものを聞き、てきぱきと取り出していった。


「なんか、手馴れてますね」


「母親が料理好きでな。食器の準備はよく手伝うんだ」


 皿を並べているだけなのに、楽しげな表情と相まって様になっていて、つい見惚れてしまった。


「ほら、ミリーナ嬢も満更じゃないだろ?」


「むぅ……」


 静かになっていた客席の二人は厨房を眺め、こそこそと様子を探り続けていた。



 灯りをつけてしばらくすると、それに気付いた常連客がちらほらと訪れてきた。


「今日は遅かったね、何かあったかの」


「おぉ、久々のリゾットか。俺結構好きなんだよなぁ、嫁さんのと違って美味しいからな」


「あんた、明日飯抜きだからね!」


 口々に言葉を投げかけ、ミリーナは楽しそうにそれに答える。その様子を客席の片隅から見守る三人はのんびりと料理を口に運んでいた。


「そういや今夜の食事会は?」


「あー……遅刻、だな」


 空は夕闇と通り越し、移動を考えると今から出ても間に合わない時間だった。


「いいのかー? 優等生なお前がそんな平然と」


「……たまにはいいだろ」


「まぁそうだよなー、ミリーナ嬢と居るほうが楽しいもんなー」


「お前……サリーさんが居るのにそんなこと言うな、誤解されるだろ」


 カインの言葉に平然を装いつつも、ちぎろうとしていたパンをころりと取り落とす。


「あぁ、もう言ってあるから気にすんな」


「なっ……!」


「えっとー、何か、ごめんなさい?」


「いや……悪いのはカインだから気にしないでくれ」


「え、オレ?」


 深いため息をしてうな垂れる姿にサリーは思わず笑ってしまった。


「アルフリッドさんだっけ? 面白い人だね」


「だろ? そーいやさ、ミリーナ嬢、彼氏居ないってさ」


「…………知ってる」


「お? 自分で聞いてたのか、頑張ったなー。よかったじゃんか、機会は十分にあるぞ」


「…………うるさい」


 少し長い髪でも隠しきれない耳を真っ赤にしながら、ちらりとミリーナを窺う。そんな視線に気付くことも無く、常連客と話したり料理を運んだりと忙しそうに働いていた。


「ふむ……純粋青年ですね?」


「そんなんじゃない……」


「説得力無いなー」


 そんな様子のアルフリッドに対し、サリーは好感を得たようだ。


「ほんと、カインとは正反対だね。好青年だし」


「オレも好青年だろ?」


「猫被ってればね。ほんと騙されたわー」


 そのまままた揉め始めたのを幸いと、食べ終わったアルフリッドはミリーナを手伝いに行く。そこで物珍しさからか常連客に店内を連れまわされてしまったが、ミリーナが楽しそうにしているからよしとした。



「んじゃ、そろそろ行かなきゃな」


 食事も雑談も一しきりしたところで、カインが重い腰を上げた。


「そうだな、もう行かないと」


「今日も……ですか?」


 この後に予定に思い当たり、二人の身体を思うと眉が寄ってしまう。その考えが顔に出ていたのか、アルフリッドは穏やかに答える。


「あぁ、けどそんなに無理はするつもりもない。顔だけ出してすぐ帰るつもりだ」


「そうですか……気をつけて下さいね」


「ありがとう。……カイン、行くぞ」


「おー、んじゃまたねー。サリー嬢、明日にでも返事よろしく」


「あー、そういえばそんなこと言ってたね。覚えてたらね」


 名残惜しそうに店を後にする二人を見送り、客もまばらになった店内で寛ぐことにした。


「そういえばサリー、いつの間にカインさんと仲良くなったの?」


「えー? 仲良くないよ、敵だよあれは。何あの多重人格、あんな性格悪いだなんて思わなかった!」


「そう? いい人だと思うけど……」


「あーっ、ここでも別の顔があるのかっ! くっそー、あたしも知らずに夢見ておきたかったー!」


 悔しそうにテーブルを叩く姿に首を傾げてしまった。


「まぁいいや、あたしのことは。さっきはちゃんと聞かなかったけど……昼のこと、本当に大丈夫だったの? 買い物、ついて行こうか?」


「ううん、もう平気。また同じことがあっても今度はちゃんと受け流すし、へこまないから……」


「さては……アルフリッドさんに何か言われたな?」


「えっ? あれ……もしかして、居たの? 見てたの!?」


 思わず立ち上がった拍子にガタンと椅子を蹴倒し、注目を浴びてしまった。


「どーどー、落ち着いてよ見てないから。ごめんなさーい、ちょっとはしゃいじゃった!」


 サリーは客に軽く声をかけてから椅子を戻して座らせる。


「んで、その様子じゃ何かあったんでしょ? おーしーえーてー」


「う……誰にも言わない?」


「もちろん、言うわけ無いじゃん」


「カインさんにも?」


「あいつに何か言うなんて腹が立つから無い!」


「じゃあ……笑わないでね? 呆れないでね?」


「はいはい、大丈夫だって」


 普段の落ち着いた雰囲気を全く感じさせないしどろもどろな様子に、サリーは口には出さないが内心驚いていた。いつもは自分が騒いでミリーナが宥めることばかりなのに、今はその逆だ。ここまでミリーナの気持ちを揺さぶったアルフリッドが何をしてくれたのか余計に気になってしまう。

 ぽんぽんと背中を叩いて落ち着かせると、手をぎゅっと握り締めてぽつぽつと話し始めた。


「帰ってしばらくしたら、アルフリッドさんが来て……なんていうのかな、心配、してくれて……慰めてくれたり励ましてくれたり、してくれたの。それに……」


「それに?」


「……っ、何これ恥ずかしい」


「ちょっとちょっと! それに、なに――っ!」


 みるみる顔を真っ赤に染め、最後には両手で覆ってしまった。


「駄目、言えない、恥ずかしい」


「わー……ミーナが真っ赤だ。あれかね? ちゅーでもされたの?」


「なっ! そんなの、アルフリッドさんがわたしなんかに……そんなことする訳ないじゃない」


 尻すぼみの言葉と共にカウンターに突っ伏し、真っ赤になった頬を冷やす。


「えー、違うの? そんなに照れてるからてっきり」


「ない、ないから! ただ、手を握ってくれただけだから!」


「ほんとにー?」


「本当だから、それだけだから!」


 キャーキャー騒ぎ続ける二人に、常連客が微笑ましそうに呟いた。


「ついにミーナちゃんにも春が来たか」


「さっきの美青年でしょう? いいわねー、玉の輿ねー」


 そんなことを言いながら眺めているのに気付くのはまだまだ先だった。

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