3日目 涙の夕暮れ

「あー、今日は一段と長くかかったなぁ」


 馬車の中でだらりと姿勢を崩すカイン。向かいに座るアルフリッドは行儀が悪いと思いつつ、今日の出来事を思えば仕方がないと注意はしないことにした。


「あと少しの辛抱だ。……せめて夜の食事会が無ければいいんだが」


「ま、お偉いさんは前途ある若者を握りつぶすのが趣味だからなー。今夜は子爵邸だっけか? あそこ、馬鹿息子を陛下に近しい所に捻じ込もうとしてるって噂があるんだよな」


「初耳だな。そもそも子爵自身がそんな立場じゃないのに」


「だからこその青田刈りってやつ? 同年代の優秀な奴らを負かして箔を付けるって魂胆だろ」


 つまらなそうに言いながらごろんと体勢を変えると、馬車は速度を落としてゆっくりと停まった。


「ほら、着いたぞ」


 がたごとと音が響くその場所は、昨日馬車を待たせていた寄り合い所の片隅だった。大通りに面しているからか、数多くの馬車が行き交っている。


「んー……だるい。けどミリーナ嬢の料理は食いたい。てことでアルフ、ちょっと先行ってろ。オレは後から行く」


「……そんなに辛いなら今日は帰ろう。ミリーナさんにはあとで伝言を送っておくから」


「んや、食いたいは食いたいんだよ。だから一眠りしてから行く。それにな」


「それに?」


「オレはお前を応援しているんだぞ?」


「……何をだ」


 クッションを抱えてニヤニヤと笑う姿にむすっとしてみたものの、更にからかわれそうだったので、御者に断りを入れて目的地へと向かった。



 どれくらい時間が経っただろう。多くの窓から入る光は乏しく、店内は薄暗いというよりは暗いと言える様子だった。

 動かなければ、と思うほど動けない。膝の痛みはなくなったが頬はまだ熱を持っている。こんな顔でお店を開けたら何を言われてしまうか……。

 出来ることなら嘘はつきたくない。でも、どこまで話せばいいか。思い返すとまた目尻が湿っていく。


 ――コンコン。


 膝を抱えて蹲っていると、扉のガラス部分を叩く音がした。こんな時間に真っ暗なままだから、不審がって誰か来たのかもしれない。でも今は何て言えばいいか分からない。そう思い、申し訳ないと思いつつじっとしていることにした。



「……留守か?」


 寄り合い所から少し歩き、ミリーナの店に来たアルフリッド。昨日の話では夕方には店を開けると言っていたはずだが、店内に明かりは灯っていない。

 裏口の自宅のほうに回ってみようかと扉から離れると、視界の端に何かが映った気がした。暗い店内を目を凝らして覗くと、壁際にほんの少し、薄緑色の布地が見えた。

 見覚えの無いものが気になり、控えめに扉を叩く。が、返事はない。

 もしかしたらと思い取っ手に手をかけると、それは自分を招くかのように、するりと奥へと動いた。



「……ミリーナさん?」


 チリンと扉のベルが鳴る音と共に、最近聞きなれた声が聞こえた。そういえば鍵をかけた記憶は無い。


(アルフリッドさん? ……どうしよう)


 肩を抱きぎゅっと縮こまり、どうにかやり過ごせないかと考える。こんな顔、彼には見られたくない。


(あれ……何でアルフリッドさんに見られたくないって思ったの?)


 さっきまでは見られた時の言い訳を考えていたのに、今は見られることすら嫌だった。


「あぁ、ここに居たのか」


 扉のすぐ近くに居た為、見つからない訳は無かった。脇にしゃがむアルフリッドに対し、せめて顔は隠したいと膝にうずめたまま答える。


「あの……すみません、夕方って約束してたのに。まだ何にもしてなくて」


「そんなことは構わない。……何か、あったのか?」


 いつもと違う様子のミリーナに気付いたようだ。気付いてしまったと言うべきか。


「……いえ、大丈夫です」


 膝を抱きかかえて言われても何の説得力もないだろう。アルフリッドは暗い中、ミリーナをよくよく見つめた。


「その膝、怪我をしてるのか? 手当てしないと……救急箱はどこだ?」


「ち……違います、これは違うんです!」


 すぐさま探しに行こうとするアルフリッドに、慌てて声をかける。その拍子に顔を上げてしまい、視線がバチリと交差した。


「その顔……腫れているじゃないか! 大丈夫か? すぐに冷やすものを持ってくる」


 この暗い中でも分かるだなんて相当ひどい顔なんだなと、見られてしまった恥ずかしさと気まずさでまた顔を埋めてしまう。

 急いで厨房に向かったアルフリッドは、水道でハンカチを濡らしているようだった。少し辺りを見回して何かを探しているようだったが、目当てのものがなかったのかそのまま戻ってくる。


「ほら、顔を上げて」


 正面にしゃがみ、声をかける。しかしミリーナは首を横に振り、更に強く膝を抱いた。


「早く冷やさないと駄目だ。痛いだろう?」


「……平気です」


「平気って顔じゃない」


「…………」


「ミリーナさん」


「……顔、見られたくないんです」


「どうしてだ?」


「…………恥ずかしい、です」


 ぽそりと、聞き逃してしまいそうな声で呟く。少なくとも迷惑とまでは思っていないと分かり、アルフリッドはほっとした様子で続ける。


「じゃあ、俺の顔を見てくれないか? 隠したままでいいから」


 何故そんなことを言うのかと思いつつ、ミリーナは少しだけ顔を上げ、ちらりと顔を窺う。


「どんな顔をしているように見える?」


 自分が壁を背にしているから、外からの僅かな光がアルフリッドに当たっている。その顔はどこか真剣で寂しげに見えた。


(……自惚れてるかも知れないけど)


 少し躊躇いながら、思ったことを口にする。


「もしかして……心配、してくれてるんですか?」


 その言葉に少し口元を緩めると、手を伸ばしミリーナの目尻に残った涙を拭う。


「そう見えるなら顔を上げてくれ。こんな暗い中じゃ顔なんて見えない」


「……見えてるじゃないですか」


「俺には見えてないから大丈夫だ、ほら」


 見えているに決まっているけど、こんなに心配してくれている姿に拒むことは出来ない。ゆるゆると顔を上げると、穏やかな表情のアルフリッドが居た。


「いい子だ」


 じっとしていると左頬にそっとハンカチを当てられる。


「……ん」


「痛いか? すまない、こういったことは慣れてなくて」


 冷たい感覚がしてつい声を出すと、アルフリッドは焦ってしまったようだ。ミリーナは少し口元で笑い、否定しておく。


「大丈夫です……冷たくて、気持ちいい」


 頬の心地よさとアルフリッドの気遣いに、どうしてかまた目が熱くなった。


「こんなに目も腫らせて……何があった?」


「何でも、ないんです」


「何でもなくないだろう……よかったら、聞かせて欲しい。俺じゃ頼りにならないかもしれないが」


「そんなことは! ――痛っ」


「ほら、急に動かすから。ゆっくり話してくれ」


 なだめる様な口調に肩の力が抜けたが、説明できるほどに頭が冷えたわけではない。


「……ちょっと、失敗しちゃっただけです。それだけなので……」


 それだけ言い黙っていると、左手にハンカチを持たされ、反対の手を軽く握られた。アルフリッドは正面で片膝をつき、真剣な面持ちで口を開く。


「俺はミリーナさんの助けになりたい。それじゃ、駄目か?」


 見つめられていることに気付き、ぼうっとしていた頭をふるふると振った。


「…………ただ、わたしが弱くて、頑固で、気が利かなかっただけなんです」


 自嘲気味に前置きし、ぽつりぽつりと話すことにした。

 貴族風の女性と遭遇した事や、その時に起こった事、両親のことも出来るだけ感情を入れずに言う。少しでも気持ちが入るとまた涙が出てしまいそうだったからだ。


「貴族のご令嬢に対して過ぎたことを言ってしまいました。あんなこと言ったら怒るのは分かってたはずなのに、止められなかったんです。挙句の果てに叩かれて、転んじゃって……黙ってればよかったのに。そうしたら、あんなこと……お父さんとお母さんを悪く言われなくて済んだはずなのに。我慢できなかった自分が情けなくて、何も知らない他人に、あんなこと言われて悔しくて……」


 だんだんと震える声に、アルフリッドはミリーナの手をゆっくり擦る。


「貴族様の考えなんて分からないし、分からなくていい。わたしはただ、普段通りに過ごせれば何も文句なんて無いのに。王子様なんて知らない、選出の儀なんてどうでもいい。みんなして浮かれて、踊らされて、馬鹿みたい……」


 目線を落としたミリーナには、眉を寄せて唇を噛み締めているアルフリッドの姿は映らなかった。気付かれないようにと表情を戻し、静かに言った。


「……そんなことが起こっていたんだな。話してくれてありがとう、すぐに対処しよう」


「え……?」


 ぱっと顔を上げると、外の街灯の薄明かりを受けた、少し悲しそうな表情があった。


「警備兵には伝手があるからな。きちんと伝えよう」


「貴族の人って、そんなこともできるんですか?」


「まぁ、な」


 王都を守るのは王宮に属している者だと思っていたミリーナには驚きの言葉だった。


「あっ! あの、ごめんなさい!」


「いきなりどうした?」


「だって、アルフリッドさんも貴族の人で……すみません、アルフリッドさんはこんなにいい人なのに、貴族の人みんな否定しちゃって……ごめんなさい!」


 よほど失言したと思ったのだろう、ぱっと手を離すと足をぺたんと下ろし、思い切り深々と頭を下げた。


「いい人、か」


 ため息と共にぽつりと呟くと、膝の上できれいに揃えた手に触れられる。


「ミリーナさん、顔を上げて」


「……はい」


 ミリーナの少し不安げな上目遣いに、つい笑みが浮かんでいた。


「俺はそんなこと気にしないから。むしろ、気にされないほうが嬉しい」


「そう、なんですか?」


「ああ。貴族の風習やら付き合いやらは面倒だと思ってしまうし、食事会なんて正直行きたくない。こうしてミリーナさんと話しているほうが楽しいし、落ち着く。

 それに俺が何かしてこの地位に居る訳じゃない、父親のお陰なんだ。俺なんてやっと成人しただけで何の力もない人間だ。一人できちんと店を営んでいるミリーナさんのほうが立派だ」


「そんな……アルフリッドさんは優しいし、しっかりしてるし、すごい人です! そんなこと言わないで下さい」


「……ありがとう。ミリーナさんにそう言ってもらえると、嬉しい」


「いえ、きっとアルフリッドさんを知ってる人はみんなが思ってることですから」


 お互いに目を合わせ、思わず微笑む。頬と目はまだ腫れているものの、落ち込んだ表情は消えていた。


「一つだけ聞いて欲しいんだが、いいか?」


「はい、なんでしょう?」


 見つめられ、触れた手を両手で包まれると、そのままアルフリッドの胸元に引き寄せられる。


「ミリーナさんの考えも、ご両親の教えも、とても素晴らしいものだ。俺はそれに反する行為をしている立場だが、素直にそう思う。だから他人の言葉なんて気にするな。胸を張っていればいい」


「……はい。また何かあっても、その時はもうへこんだりしません。アルフリッドさんが言ってくれたことを思い出すようにしますね」


 手と、視線の温かさを噛み締め、にっこりと笑った。満足気な表情で居るアルフリッドに、ふと思い出したミリーナは少し言いづらそうに口を開く。


「……あの、アルフリッドさん」


「どうした?」


「えっと……さっきから思ってたんですけど」


「なんだ?」


 ちらちらと自身の手を見ながらごにょごにょとする仕草に、アルフリッドは首を傾げる。


「すみません……なんか、恥ずかしいです」


「……あっ! すまない!」


 この地方の風習で、結婚を申し込む時の形式がある。

 男性が女性の前で膝をつき、女性の手を取り口付けをする。御伽噺でもよく目にする定番の仕草で、現在でも多くの恋人達が夢見るものになっている。

 それに似通っていることに気付き慌ててぱっと手を離すと、お互い別々の方向を向いてしまう。


「……ミリーナさん」


「……はい」


「立ち入ったことを聞くが……その、恋人……は、居るのか?」


「え……? いえいえ、居ません! そんな、わたしなんかと付き合ってくれる人なんて……」


「そ、そうか……なら、よかった」


(……気を遣ってくれたのかな?)


 もしもミリーナに恋人が居たとしたら、今の状況は責められてもおかしくないだろう。その気遣いに、やっぱり優しい人だと思いつつ、体温の残る手をきゅっと握った。


「もう暗いし、お店、開けなきゃ」


「あ、あぁ、そうだな。身体はもう、大丈夫か?」


 少し躊躇いながら、アルフリッドは手を差し出した。その手を取ると先程よりも熱く、頬も少し赤くなっていることに気付き、なんとなく嬉しくなる。


「ありがとうございます、大丈夫です。あ……着替え、してこないと」


「あぁ、待ってる。よかったら何か手伝おう」


「はい、じゃあ急いできます」


 ぱたぱたと走り去る後姿が見えなくなると、暗い店内に一人ぽつりと残される。


「そうか……居ない、のか」


 小さく温かいものを握っていた自分の掌を見つめ、小さく呟いた。

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