2日目 お茶とケーキを

 はっと顔を上げると、カウンター越しにこちらを見つめる姿があった。


「アルフリッド、さん?」


「ああ、突然訪ねてしまったが、その……大丈夫か?」


 心配そうな表情に何故か胸が熱くなる。


(あれ……? なんだこれ)


 昨日と少し違う外出着を纏い、少し長めの髪をさらりと揺らしていた。


「大丈夫、です……あれ、今何時」


「そろそろ夕方だよー」


 アルフリッドの後では椅子に座って寛ぐカインの姿があった。


「嘘っ! うわ、寝ちゃってたんだ……」


「扉もあけっぱだし無用心ー。そんなんじゃいつか誘拐されるぞ」


「誘拐されるような歳でもないですよ」


 比較的平和な王都内でも、場所によっては物騒なこともある。昔、運悪くその近くに立ち入ってしまった少女が攫われた、という事件を聞いたことがある。即座に王宮の担当部門が動き、警備兵によって治安向上が施されたが、人々の記憶からは早々消えるものではない。


「あれ? ミリーナ嬢っていくつ?」


「十六ですけど」


 眠い目をこすりつつ答えると、間の抜けた返事が返ってきた。


「え?」


「……そうなのか?」


「どういう意味ですか……」


 年齢の割には若く、というより幼く見られるミリーナ。小柄な体形と童顔のせいで初対面の人間に年齢を当てられた経験はまだない。


「えーと……若く見られるのはいいことだよ?」


「この歳でだとあまり嬉しくないです」


「大人になってからそのありがたみが分かるよ。いつまでも幼く見えるのは長所だって」


「もう子供じゃありませんし」


 むすっと頬を膨らませると、正面に居たアルフリッドがぷっと吹き出した。


「その顔で言われてもな」


 口元に手をあてくすくす笑う姿に、ミリーナの怒りはすっかり消えてしまった。


(この人も、こんな顔で笑うんだ……)


 どちらかというとしかめっ面ばかりだった気がしたので、こんなに自然な表情は新鮮だった。


「それで、今日はどうしたんですか? お手洗いですか?」


「いや、今日は屋敷に寄ったから平気。お茶しに来ただけだよ」


「え?」


 貴族ともあろう人が、こんな庶民的な店の味を求めるだなんて。あり得ない事態に寝起きの頭が追いつかない。


「昨日の帰りにお茶を買って帰ったんだ。屋敷で煎れさせたんだがどうにも味が違くてな。どうしてかを聞こうと思ったんだ」


「ああ、なるほど」


 どうやら二人は庶民のお茶が気に入ったらしい。お茶を持ち帰ったのを見た屋敷の人はさぞ驚いたことだろう。


「多分、煎れ方か……あとはお水かもしれません」


「水?」


 ミリーナの家では昔から、口に入れるものは井戸水で作る習慣がある。水道が通っているにも関わらずわざわざ汲んでいるのにはちゃんとした理由があるのだ。


「よかったら、煎れ方を見せてもらえないか?」


「はい、こちらへどうぞ」


 丁度煎れるつもりだったので、昨日と同じように厨房に招く。カインはカウンターに移って二人を眺めることにしたようだ。

 釜戸の前に立つミリーナとそのすぐ横に立つアルフリッド。昨日と同じ立ち位置だ。


(ち、近い……)


 何故か昨日よりも恥ずかしさを感じたが、わざわざ聞きに来たのだからきちんと教えなければと思い、大きく息を吐いて気持ちを落ち着かせた。


「お茶っ葉はこれですよね?」


「おちゃっぱ……?」


「あ、すみません。茶葉、です」


 小首をかしげる様子に茶色い葉の入った小瓶を差し出す。


「あぁ、これと同じものだ。茶店で一番多く置かれていたものを選んだ」


 耐熱性のポットに水を注ぎ釜戸にかけ、沸騰するのを待つ。待っている間にアルフリッドは興味深げに厨房内を見渡した。


「昨日も思ったが、ずい分きれいにしているんだな」


「あまり油を使わないからそこまで汚れないんです。あと、暇な時に掃除をしているので」


(営業時間の半分近くが暇な時間だけど)


 頭の中で自嘲気味に呟く。

 宮廷料理専門店の厨房はいたる所に油がこびりつき、ひどく汚れているらしい。同じ学校に通っていた少年が清掃業に就いたらしく、うんざりとした表情で話していたのを思い出した。

 そうしている間にお湯が沸き、濡れ布巾で蓋を取る。


「ここに葉を入れます」


「火にかけたまま、か?」


「はい、ちょっとですけど」


 目分量をさらさらと投入すると、数秒で薄い茶色に染まっていった。少ししてから火から外し、鍋敷きの上に乗せるともう一つポットを取り出し、網を取り付けた。

「少し置いたら別のポットに移しちゃいます。このままだと渋くなってしまうので」

 ぐるぐるとポットを揺らし抽出を促し、そのまま一気に注ぐ。香ばしい匂いと共に注がれるお茶は、一層濃い色をしていた。


「あとは早めに飲むのがいいと思います。うちの店でも三十分で廃棄してしまうので」


 出来上がったお茶のポットに蓋をして、慣れた様子で使用済みのポットを片付けた。


「手馴れてるな」


「いつもやってることですから」


 真面目な顔で言われ、少々照れくさく感じる。こんなに近くで見られることも、それに感想を言われることも初めてだった。


「そういえば、水が違うと言っていたな?」


「あ、はい。井戸水を使っているんです」


「何故、わざわざ?」


「庭にある井戸の水なんですが、水質が柔らかいんだそうです。両親がここにお店を構えたのもその井戸が理由だったみたいで」


 両親は毎日二人で水を汲み、小さかったミリーナもそれを手伝った。お疲れ様と、その水で煎れてくれたお茶は特別美味しかったように感じた。


(今は一人、か)


 日常になりすぎて意識することがなくなっていたが、改めて考えると様々な思いが巡っていく。


「ご両親にとってもミリーナさんにとっても、大事なものなんだな」


 ぽん、と頭に何かを感じると、アルフリッドの大きな手が乗っていた。結い上げた髪を崩さないようにか、耳の辺りに気配を感じて少しくすぐったい。


(なんか、嬉しい……かもしれない)


 照れくさく思いつつも、じっとその手の温かさを感じる。


「ひゅーひゅー」


「っ!」


「だから、お前はっ!」


 カインの冷やかしで瞬時に離れてしまった手に、名残惜しさを感じてしまったのは何故だろうと考えつつも、答えは思いつかなかった。



「うーん、やっぱりこの味は出なかったなぁ」


 カップに注ぎ差し出すと、カインは満足気に口をつけた。アルフリッドもその隣に座り、静かにカップを傾けている。


「そんな大したものではないんですけどね。すみません、ちょっと食事とってもいいですか?」


「いーよいーよ、ちゃんと食べないと大きくなれないからね」


「……では遠慮なく」


 むっとしつつ棚から取り出したのは今朝焼いたケーキだった。午後に客が来た時用に作っておいたものの、寝過ごしてしまったから自分で処理しなければならない。


「それなーに?」


 スポンジにナイフを入れていると、カインがカウンターに乗り上げながら覗き込んできた。


「カイン、行儀悪いぞ」


「あー、ごめん」


(なんか兄弟みたい)


 昨日は業務的な関係なのかと思ったが、今までの様子からそれはなさそうだ。しっかり者のアルフリッドは普段から世話を焼いていることだろう。


「ケーキですよ。お茶の時間に出そうかと思ってたんですけど、寝過ごしちゃいましたから自分で食べないと」


「ふーん……オレももらっていい?」


「いい、ですけど……お口に合わないかもしれませんよ?」


「いーっていーって、ミリーナ嬢の料理はなかなか興味深いからね」


 にこにこしながら言われ、一人で食べるには多すぎると思っていたのでいいかと切り分ける。


「……俺もいいか?」


 隣のアルフリッドもぽつりと呟く。


「え……? はい、大丈夫です」


(お店で売ってるようなのとは全然違うんだけどな……)


 王都で売られるケーキといえば、ずっしりとしたスポンジ生地に果物や豆類を混ぜて焼き、その上からたっぷりの酒を振りクリームとフルーツを飾る。見た目は華やか、お腹にしっかり、この国らしいケーキだ。

 ミリーナの作るケーキは何も入れないスポンジに果物のジャムを添えて食べる。卵の味を消さないようにと極力シンプルに仕上げているようだ。


「どうぞ」


 小皿に移し、ジャムを添えて差し出す。いただきますと二人で言うと、やはり上品にフォークを口に運んだ。


「んー……」


(やっぱり、駄目かな)


 不安と諦めを感じつつじっと見ていると、アルフリッドの口元がふっと緩んだ。


「やっぱり、ミリーナさんの料理は美味いな」


「うん、さっぱりしてていいね。食後に丁度いい」


 隣のカインも同意し、ぱくぱくと食べ進めていく。


「え……大丈夫ですか?」


「うん、おいしーよ?」


 ほっと息を吐き、自分も椅子に腰掛ける。


「そーいやミリーナ嬢、十六なんだよね? 選出の儀には参加しないの?」


 もぐもぐしながら不思議そうに首を傾げるカイン。何度も聞かれている質問なので答えもすらすら出てきた。


「わたしの料理は宮廷料理に見劣りしますし、かといってそういう料理は作れません。それになにより、万人受けしませんから」


 苦笑しながら慣れた言葉を言うと、アルフリッドはかちゃりとフォークを置いた。


「あまり自分の料理を卑下するものじゃない。流行とは違うかもしれないが、この味を好む人はたくさん居るだろう? 自信を持て」


「アルフリッドさん……」


 少し微笑み、再びケーキを口に運ぶ。ミリーナもそれに続いて自分の皿を手に取り一口含むと、なんだか普段より一際美味しく感じた。


「ま、いっけどねー。人も料理も多すぎてひどい有様だから、近寄らないほうがいいよ」


 お茶をずずっとすすりながらしみじみ言うカインはどこか疲れているようだった。


「カインさんは観にいったんですか?」


「ん? あー……近くには居た。よな、アルフ?」


「何故そこで俺に振る……」


(もしかして今日も食事会だったのかな?)


 広場の近くには貴族がよく集まるホールがあるらしいし、昨日もその行き帰りで混雑に巻き込まれたのかもしれない。


「毎日、大変ですね」


「んー、まぁねー。な、アルフ」


「だから何で俺に振る……」


 居心地悪そうに眉を寄せるのを見て、いつもこんな風にからかわれているのかと思うとつい笑いがこみ上げてきた。


「ミリーナさんまで……あんまり俺をからかうな」


「いーじゃん別にさー。いつも難しい顔してるんだからたまには表情崩せ、な!」


 そう言うなり両頬をむにゅーっと引っ張り、ぐいぐいと動かす。


「ちょ……いひゃい、カイン! ……もう、ひゅきにひろ」


 その光景にミリーナはお腹の底から笑ってしまって、アルフリッドの機嫌を直すには結構な時間が必要だった。



「あー、そろそろ戻らないと」


「また、食事会ですか?」


「うん。まぁ、仕事だしねー。成人の儀の前後ってのはこんなもんさ」


「カインさん、成人してるんですか?」


「なんだいミリーナ嬢、まさかもっと年下にでも見えたか?」


「いえいえ……ちょっとだけ」


「言うなこのやろー。オレもアルフも十八だよ。どうもアルフのが年上に見られるんだけどね、同い年なんだよ」


 そう見られるのはアルフリッドの落ち着いた雰囲気によるものだろう。帰り支度の合間の会話で意外な事実を知れた。


「馬車、呼んであるんですか?」


「今日は近くに停めてある」


「出来る限りのんびりする予定だったからねー。あと、目立つしね」


 そういえば昨日サリーが大騒ぎしてたっけ、と思いながら二人を店の外まで見送る。

 少し歩くと大通りに馬車の寄り合い所があるので、そこなのかなとふと思い浮かんだ。


「ミリーナさん」


 少し考えながら、というより躊躇いがちにアルフリッドが振り返った。


「どうしました? 忘れ物ですか?」


「いや……明日も、来てもいいか?」


「へ?」


 思いもよらない質問に、ミリーナの口からは間抜けな声が出た。


「おーおー、アルフったら。でも、オレもいいかな? どうも最近慌しくってね、ミリーナ嬢のお店だと何か落ち着くんだよねー。お茶も美味しいし」


 自分の店を落ち着くと言ってもらえるだなんて……流行は求めていない、ただ好んでくれる人が来てくれればいいと思っているミリーナにとって、それはとても嬉しい言葉だった。


「えっと、ありがとうございます。明日は午後買出しに行くんですけど、夕方にはお店、開けてありますから」


 自分の頬が熱くなるのを感じつつ、自然に浮かんだ笑顔で答えた。


「楽しみにしている」


「えと……アルフリッドさん?」


 ミリーナの頭に手を乗せ、同じ表情を浮かべながらそっと髪を撫でる様子に戸惑い声を掛ける。


「あ……すまない! 馴れ馴れしすぎたな」


「いえ、そんな! えと……大丈夫です」


 慌てて手を離したアルフリッドに、ミリーナは頬を更に赤く染め、小さな声で答えた。


「……ふむ」


 少し後に立つカインは、二人を眺めながら腕を組み、何か考え始めた様子だった。


「おーいミーナ! ……って、あれ? お客さん?」


 ちょうど逆の道から、いつもの呼び声が響く。橙色の髪を揺らしぱたぱたと走ってくる姿に、まだ冷めやらない頬を見られる恥ずかしさを感じた。


「サリー! えっと……うん、お客さん」


「……ミーナ?」


「あ、わたしの呼び名です。常連さんとか、親しい人にはミーナって呼ばれてます」


 怪訝な顔のアルフリッドに答えると、今度はこちらも考え事をしているようだった。


「おや、お美しいお嬢さん。キミはミリーナ嬢のご友人かな?」


(…………誰?)


 会話の合間ににこやかに近付いていったのはどこをどう見てもカインだったが、先程とは全く違う口調に驚きが隠せない。


「は……はい、あたしはミーナの親友のサリーです。あの……お客さんで?」


「うん、最近寄らせてもらうようになったんだよ。とてもいいお店だね」


「わ……よかったじゃんミーナ! やっぱりミーナの味を分かってくれる人は居るんだよ!」


そう言うなりミリーナの両手をぎゅっと握り、上下にぶんぶん振り回す。


「わ、分かったから、落ち着いてサリー!」


 そのまま踊りだしそうな様子に危機を感じ、ぎゅっと握り返して動きを止めさせる。


「ははっ、面白い子だね。おっと、そろそろ本当に時間になってしまう。またね、素敵なお嬢さん。ミリーナ嬢も、またね」


 どこからかキラキラした空気が吹いてきそうな笑顔のまま、手を振りつつ大通りに向かっていく。アルフリッドはこちらに小さく礼をしてその後に続いた。


「……はー、なんという美青年! ミーナ、どういうことか教えてくれるよね?」


 お願いというか脅迫にも思える顔で迫られ、仕方ないかと思いつつ店内へと戻ることにした。

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