1日目 彼らとの出会い

「うう……ひどい目にあった」


 正面ほどは混雑していなかったが、それでも人が大勢居る道を大荷物を抱えて進むのは簡単なことではなかった。

 それも袋を見つけるなり周囲のご令嬢が取り囲み、どこでどんなものを買ったのかと問いただしてくるのだ。

 嫌々ながら中身を見せると、何だこの娘はとでもいうような視線をぶつけた後、開放された。


(野菜の何が悪いって言うんだ)


 むすっとしてずり落ちかけた布袋を背負いなおす。


(お貴族様だって食べてるじゃない、添え物程度だけど。……でもメインに使っちゃいけないなんて誰も言ってないじゃない)


 気まぐれに訪れる位の高い人物や流行を追いかける若者に、自分の料理に文句を付けられることがよくある。味が薄い、脂がない、見た目が質素、他にも様々な言葉を投げつけられた。

 他人にとっては素っ気無い味でもミリーナにとっては両親との思い出の味なのだ。そしてそれを好んでくれる人々も少なからず存在している。ミリーナはこの味と、それを好んでくれる人たちが大好きなのだ。

 そんな思いが入り乱れ、言い知れない気持ちを抱えたまま自宅へと足を向けた。



 店の玄関は少し広い道に面しているので、用心して裏口から入ることにした。根菜のずっしりとした重みを肩に感じつつ、最後の角を曲がる。

 普段は人っ子一人居ない、夜に通るのは不安になってしまう道だが、今日は人の姿が在った。ただ、その姿は決して普通ではなかった。


(……お貴族様?)


 蹲る青年と、隣にしゃがみその背中を擦る青年。前者は鮮やかな赤髪と、同じ色を基調とした外出着を着ている。後者は真っ黒な黒髪で、青を主にした少々簡素な外出着姿だった。


「あー……オレに構わず、行け」


「何馬鹿言ってる、すぐに馬車を呼ぶ!」


「いや……お前もあの人だかり見ただろ? それに今大通りに出たらさっきの二の舞だぞ」


「しかし……!」


「オレはだいじょ……うっぷ」


 貴族の、それも男性などほとんど接することが無いからか、ミリーナは角を曲がったところで立ち止まってしまった。


(えっと……寸劇?)


 見慣れない格好と聞きなれない会話に、つい現実感をなくしてしまったが、言葉の調子から赤髪の青年の体調が悪いようだ。


「あの……」


「誰だっ!」


「……っ」


 恐る恐る声をかけると黒髪の青年が振り返り鋭い声を上げた。まさかそんな反応をされるとは……若干は考えたものの、さすがにそれは無いだろうと思っていたので、ミリーナは再び止まってしまった。


「おいアルフ、女の子に向かって何だその……っげほ、っぷ」


「ああもう無理するな! その……すまない、手を貸してもらえないだろうか?」


 赤髪の言葉に我に帰ったのか、黒髪の青年はしゃがんだままミリーナに顔を向けた。


「は、はい。その方はどうなさったんですか? お医者さん呼びますか?」


「いや……近くで手洗いを借りれる所を教えて欲しい」


「お手洗い?」


 青い顔で蹲る姿に、何故医者を呼ばないのかといぶかしんでいると、赤髪が苦笑混じりに答える。


「食べすぎ、だ……あとちょっと薬を、な……! っく、出る、上とか下とか色んなとこからっ!」


「もう少し耐えてくれ! お嬢さん、どこかないか!」


「ここ! ここ、わたしの店なので、すぐ開けますからどうぞ!」


 門を開いて裏口に駆け寄り急いで鍵を開けると、黒髪が意外そうな表情をしていた。


「ここの店主、なのか?」


「あー、助かった……いやほんと、あー、やばい、あと数瞬しか我慢できない」


「頑張れカイン! 抱えるぞ!」


「うー……いや待て、ゆっくり、ゆーっくり歩く。そっとだぞ? そっと支えてくれ」


「わ、分かった。ゆっくり、そっとだな」


「おう……優しくして、ね……うぐっ」


 背後のよく分からないやり取りを聞きながら、ミリーナは急いで廊下を走り手洗いまでの扉を開けて周った。



 ゆっくりじわじわと足を進め、やっとのことで店内の手洗いに辿り着くと、赤髪の青年は心底幸せそうに駆け込む。

 その姿に黒髪はほっとしつつも、どこか辛そうな表情だった。


「あの……よかったら、座ってください」


「ああ、ありがとう……」


 少し離れた所にある客席の椅子を引き、不安げに立ちすくむ黒髪の青年に声をかけた。

 声に引かれ椅子に座ると、大きくため息をつく。


「あの……お医者さんは本当にいいんですか?」


「ああ、それは大丈夫だ。本当に助かった、ありがとう」


 傍に立つミリーナを見上げ、真っ直ぐな視線で礼を言う。普段から年配の人物とばかり話している彼女とって、若い男性と二人きりなどほとんど初めての経験だ。なんとなく恥ずかしくなりつい俯いてしまった。


「いえ、あの……全然大したことは」


「そんなことはない。あなたのお陰で、俺たちはとても救われた」


 慌てた口調のミリーナを見て、少し笑いながら言葉を続けた。


(……格好いい人だな)


 ちらりと目を向けると、整った顔立ちの中にある切れ長の目と合ってしまった。


「あっ! そう、飲み物でも持ってきますね!」


 恥ずかしさを紛らわす為にぱたぱたと足音を立てて厨房の奥へ向かい、客席の姿を目に入れないようにお茶の準備に専念した。



「あー、出た。胃も腸もからっぽだ」


 少々やつれ、しかし晴れ晴れとした表情で赤髪の青年が出てきたのは二十分ほど経った頃だった。テーブルに置かれたお茶はだいぶ温くなっている。


「もう大丈夫なのか?」


「おう、出すもんはもう何も残ってない!」


「それはよかった……しかし、女性の前なんだから少しは弁えて欲しいんだが」


 元気に言い放つ姿に、黒髪の青年は自分の額を押えながら注意する。


「おっと、そうだったな。失礼したね、お嬢さん」


 脇に立つミリーナの姿に気付き、青年は深く腰を折った。


「世話になった。深く感謝するよ」


「えっ、いや、別にいいですからっ!」


 ただでさえ今の状況に戸惑っているのに、更に追い討ちをかけるようなこの行動に対し、ひたすらに手と首を振るしか出来なかった。


「それにしてもキミ、ここの店長さんなの? すごいな」


「あ、いえ……両親の店を継いだだけなので」


 黒髪の対面に座りながら、赤髪の青年は感心したように呟く。


「ご両親は? 一言お礼を言いたいんだが」


 辺りを見回す黒髪の青年の言葉に、少しの申し訳なさを感じつつ答える。


「居ないです。数年前、事故で」


「……立ち入った話をしてしまい、すまない」


「いえ、ご近所さんや常連さんには知れ渡っている話ですし。気にしないで下さい」


 一体どっちの話なのだろうと思う程深刻な表情の黒髪の青年に、ミリーナは苦笑しながら言う。


「あー、夜からまた食事会かぁ。また宮廷料理かね?」


「……だろうな」


 隣でくったりとテーブルに突っ伏す赤髪の姿はどこか子供じみていて、貴族というより普通の少年のようだった。


「そういえば、キミ、名前は?」


「あ、失礼しました。ミリーナです」


「いやいや、オレらも名乗ってないしね。オレはカイン、そっちはアルフ」


「おい、そんな簡単に!」


「いーじゃん、助けてもらったんだし。ここで名乗らないのは礼儀としてなっていないだろ?」


「それはそうだが……」


「あ、忘れたほうがいいなら忘れますっ!」


 貴族には何かしらの事情があるのかもしれないと思い、つい焦って大声を出してしまった。


「いやいや、忘れなくて平気だよ。ミリーナ嬢は面白い子だな。な、平気だろ?」


「……すまなかった、ミリーナ、さん。俺の名前はアルフリッドだ。よろしく頼む」


「よろしくねー。それにしてもこのお茶、おいしいね。あんま飲んだこと無い味だけどなんてやつ?」


 冷えかけのお茶をぐびりと飲みつつ、カインが聞く。


「えっと……ごくごく普通のお茶です。多分、どこのお店でもたくさん売ってます」


(貴族の人は高級なのしか飲まないのかな?)


 普段から店で出している物なので、ミリーナにとっては一番馴染みのあるものだった。


「そっか、今度買ってみるか。さーて、そろそろ道は空いたかな」


「いや、さっき見てきたが混雑は変わらないな。夕方すぎるまでは駄目かもしれない」


 カインがこもっている間、アルフリッドは何度か外を見に行ったがその度に首を振っていた。


「うっわ、困ったなー。胃腸薬取りに行きたいのに」


「名前を教えてもらえれば、常備薬にあるかもしれません」


 そうでなければ買いに行くことも出来るだろうと聞いてみると、国内では医師しか処方できない薬品名を口にされた。


「あの……カインさんはお身体が悪いんですか?」


「いや? 生まれてこの方病気したこと無いよ」


「じゃあ、なんでそんなお薬を?」


「いやー、立場上さ、食事会に行かなきゃいけないんだよね。ひたすら料理出されるけどそんなに消化できないって言ったら医師に渡されたんだ」


「もしかして、さっき言ってた薬というのも……」


「うん、食ったら出せってさ。帰りの馬車で飲んだんだけど道が混んでてね、屋敷に帰る前に催しちゃって。いやー、今度から帰ってから飲むことにするよ」


(……信じられない)


 噂には聞いていた。貴族の中にはあまり量を食べれない人間も居て、そういう場合は無理矢理詰め込み、後で隠れて排出するのだと。

 その方法は特に語られていなかったが、きっと投薬によるものなのだろう。


「すみません、そのお薬は持っていません。けど、別の薬でよければ用意できます。夜もあるなら早めに飲んだほうがいいと思いますし……どうでしょうか?」


「んー、じゃあお願いしようかな」


 隣でアルフリッドがまた困ったように嗜めていたが、こんな話を聞いたら居ても立ってもいられない。ミリーナは自室にある救急箱を取りに、厨房の奥へと消えていった。



「おいカイン。こんなにあっさり出されたものを口にするな。俺が確かめておいたから良かったものの……」


「いやいや、お前がそれやっちゃダメだろ。まあ、なかなか面白そうな子じゃん。きっと信用できる子だよ」


「その自信はどこから……」


「長年の勘」


「こないだ成人したばっかだろうが」


「お前もな」


 二人見合ってくすりと笑い、お茶をすする。


「それにしてもこのお茶」


「うん、うまいな」


 ミリーナが戻るまで、庶民の味に舌鼓を打っていた。



(薬を飲んで無理矢理出した後に、あんな強い薬飲んだら身体に悪いって)


 昔、お腹を壊した時、母親に言われたことがある。


「まだ小さいんだから、お母さん達と同じお薬は飲めないのよ? お腹がびっくりして逆に良くないの。だから自分の身体に合った、丁度いい強さのお薬を選ばなきゃ駄目よ」


 そう言って渡されたのは、子供用の薬と多目のぬるま湯だった。


(あの後、ちょっと寝たらすっかり良くなったんだよな)


 少し懐かしみながら、救急箱の中身を探っていく。


「あった」


 そう言って取り出したのは、成人用のごく一般的な胃腸薬だった。


(若くて元気な人なんだから、あまり強すぎないほうがいい……はず)


 自分の考えに小さく頷き、彼らの元に走った。



「おー、お帰り。わざわざ悪いな」


「いえ、大丈夫です。ちょっと待っててくださいね」


 厨房の小さい鍋に水を入れ、少量のお湯を沸かす。それを厚手のコップに注ぎ、水で薄めて熱さを調整した。


「はい。普通のお薬ですけど、普段から健康ならこれで平気だと思います」


 くったりと机に体重を預けていたカインは、差し出された物を手に少し驚いていた。


「わざわざお湯沸かしてたの? 水でもお茶でも何でもよかったのに」


「お薬を飲むならぬるま湯がいいんです。冷たいもので飲むと胃がびっくりしちゃいます。ここから開けて、苦いですけどそのまま飲んでくださいね」


 その指示通りに、緑色の粉を口に入れ、眉をしかめながらぬるま湯で流し込んだ。


「……苦い」


「よく効きますよ」


 その所作を逐一見ていたアルフリッドはほっと息を吐いた。


「そもそも、お前は極端なんだ。医者にとにかく効く薬をくれって、ろくに診察も受けずにもらってきて。今回は助かったからいいもののいつもこんなんじゃ身体を壊すぞ!」


「あー……うん、ごめん」


 自分の掌を握りしめながら叱るアルフリッドに、カインは大人しく謝った。


「……いや、そもそもは俺のせいだな。悪かった」


「……?」


 よく分からないやりとりに、ミリーナは首を傾げつつもそっと厨房の奥へ引っ込んだ。


(貴族様は貴族様なりに色々あるんだよね、きっと)


 一般人が聞いていいものか分からないので、少しの間二人にしておこうという配慮だった。



 しばらくして戻ってみると、きちんと座るアルフリッドと、少々気だるげなカインの姿があった。


「カインさん、よかったら少し横になりませんか? 寝心地は悪いかもですけど、布団ありますから」


「ん、いいの?」


 テーブルに顎を付きつつ、なんだか眠そうな表情で答える。


「はい。アルフリッドさんも奥ならソファもありますし、道が空いてきたら声かけますので」


「いや、そこまでしてもらっては……」


「平気ですから、カインさんを看ていてください」


 そろそろ夜の料理の仕込を始めなければならない。それなりに音を立ててしまうし、何より人に見られながらの料理は緊張してしまう。そんな自分の都合も含めてのことだった。


「……じゃあ、甘えさせてもらう。何から何まで申し訳ない」


「いえ、大丈夫です。こちらへどうぞ」


 恐縮しきりのアルフリッドと、うとうと舟をこぎ始めたカインは、ミリーナに連れられ客間で休むことになった。



「よし、始めよう」


 買ってきた野菜の半分を保存庫に入れ、もう半分を厨房の大きな洗い場に入れる。

 ざぶざぶと水道水で汚れを落とし、手際よく切り刻んでいった。大きな鍋をかまどの上に置き、先程の野菜と塩漬け肉の細切れを軽く炒め、井戸水を注ぎ込む。くつくつと音が聞こえると、スプーンで丁寧に灰汁を取り除いてから下味を付け、また煮込む。

 その間に洗った米を釜に入れ、井戸水をじっくり吸わせていく。最後に、保存庫から今日使う分のソーセージと卵を取り出しておき、仕込みは終わったようだ。

 客間に案内してから一時間ほど。もうすぐ日が落ちてくる時間だ。

 音を立てないように外へ出ると、先程よりは混雑が和らいでいるようだった。


(もう少ししたら声かけようかな)


 そう思いながら店内に戻ると、薄暗い客席に黒い影が現れた。


「わっ」


「すまない、驚かせてしまったな」


 思わずあげた声に、その原因であるアルフリッドはすまなそうな顔をする。音も立てずに歩いていたので全く気が付かなかった。


「あ、いえ。こちらこそすみません。道、そろそろ大丈夫かと思います」


「そうか、ありがとう。馬車の手配をしてくるから少しの間カインを頼んでもいいか?

 よく寝ているようだから平気とは思うが」


「はい、分かりました。じゃあ部屋の近くに居ますね」


 またしても申し訳なさそうな表情を浮かべ、音も立てずに外へと出て行った。


(アルフリッドさんはカインさんのお付の人、とか?)


 それにしては親しげだったなと思いつつ、自分が気にしたところで貴族の関係はよく分からないと思い直し、言葉通りに客間の近くで軽く掃除を始めた。

 室内からは何の物音も無く、本当に眠っているようだ。

 出来るだけ音を立てずに、あまり汚れていない廊下の窓を磨いていった。



 十分程して戻ってきたアルフリッドは、またもすまなそうな顔をしていた。


「次の予定があるので屋敷に着替えを取りに行かせた。戻ってくるまで三十分くらいかかりそうなんだが、もう少し邪魔していても平気か? 都合がよくなければすぐお暇するが……」


「大丈夫ですよ、お店開けるにはまだ早いですから。でもちょっとうるさくなるかもなんですけど、いいですか?」


「構わない、いつも通りにしていてくれ。そろそろカインを起こしてこよう」


 すたすたと奥へ向かう背中を見送り、野菜がたっぷり入ったスープの仕上げを済ませた。



「あー、よく寝た。てか腹減ったなぁ」


 大きく伸びをしながら出てきたカインは、少し寝癖が付いていた。


「おはようございます。お腹の具合はどうですか?」


「ん? おー、すっかりよくなった。ありがとうな、ミリーナ嬢」


 人懐っこい笑顔で礼を言われ、ついこちらも微笑んでしまう。


「しばらくしたら馬車が来るから、それまでここで待たせてもらうことになった。夜の食事会はあまり無理するなよ?」


「無理はしねーよ、大丈夫だ」


 心配そうに言うアルフリッドに、カインは元気に答える。


「お茶、どうぞ」


「ありがとー。……すきっ腹が潤うなぁ」


(そっか……これからまた料理を詰め込みに行くんだ)


 もはや食事というより作業と認識したミリーナは、無意識に眉を寄せた。


「……あの、普段からお食事会はこんな感じなんですか?」


「ん? おー、そうだね。どこの宴もこんな感じだよ」


「……」


 無言のまま厨房へ向かう姿に、残された二人は不思議そうな顔をしていた。


(空っぽのお腹に脂まみれのものを詰め込んだら、いつか本当に病気になる)


 これはおせっかい、というより勝手な我侭とも言える行動。しかし分かっていてみすみす見逃しもしたくない。

 そんな複雑な気持ちのまま、さっき仕上げたスープ鍋に手をかけた。



「カインさん、お口に合わないかもしれませんけど、食べてもらえませんか?」


 テーブルにことりと置かれたのは小さめのスープ皿。中には透明なスープと一緒に、野菜と小さな肉が入っていた。


「スープ?」


「はい。お腹が空っぽの状態で、重たい宮廷料理を食べるのは胃に負担がかかりすぎます。軽い食事で胃を動かしてからのほうがいいので、薬とでも思って食べてください」


 躊躇いつつ、しかしはっきりと言い、カインの手元についっと出した。

 貴族であろう者に質素な食事を出すのは失礼に当たるかもしれない。そもそも、きっと口に合わないだろう。そう思いながらも、先程の辛そうな姿を思い出すとそうせずには居られなかった。


「……さてはミリーナ嬢、お人よしだな?」


「え?」


「んじゃ、いただくかな」


 言うが早いかスプーンを手に取り、スープをすくって口に運ぶ。


「ふむ……」


 じっとスープ皿を眺め、じっくりと味わう。美食の国の貴族らしい振る舞いだ。

 否定の言葉を覚悟するミリーナにかけられたのは、本人にとって意外すぎる言葉だった。


「なかなかいけるな」


「……ほんと、ですか?」


「うん、いつもと真逆の味だけど悪くない。こんな料理を出す店もあるんだね」


「よかった……」


 悪い反応を予想して緊張していたからか、肩の力がふっと抜けたようだ。その間にもカインはどんどんスープを口に運ぶ。


「おかわり、もらってもいい?」


「はいっ!」


 あっという間に平らげ、きれいになった皿を差し出す。嬉しさで胸が一杯になるのを感じつつ、皿を手に厨房へと戻った。


「少し、見せてもらってもいいか?」


 かまどの火を調整していると、厨房の入口にアルフリッドがやってきた。


「はい、構いませんけど……」


 こくりと頷くと、細く開いた扉からするりと入り、ミリーナの横に立つ。小柄なミリーナと比べると頭二つ分は違いがあるだろう。


「いい香りだな」


「えと、野菜スープです。あとお肉が少し入ってます。お二人にはあまり馴染みがないでしょうけど……うちの看板メニューみたいなものです」


 広い厨房で寄り添う形になっているこの事態に、なんとなく気恥ずかしくなってしまう。

 何故か興味深そうに覗き込む横顔は、つい魅入ってしまう容貌だった。


「よかったら、俺にも味見をさせてもらえないか?」


「へ?」


 いきなりこちらを向いたことと、思いもよらない発言に、咄嗟に出たのは間の抜けた声だった。


「え、あの、身体にはいいと思うんですけど、その……貴族の方に召し上がっていただくような立派な料理ではなくて、えっと……」


「……いや、無理を言ったな。悪かった」


「いえ! お口に合うかは分からないですけど……よ、よかったら、どうぞ」


 最後は消え入りそうな声になりつつ、急いで小皿に注ぎ、スプーンと共に渡した。


「ありがとう。いただきます」


 音も立てず上品にすする姿は、育ちのよさを感じさせるものだった。


「……うん、美味しい」


「嘘……」


 ふわりと笑う姿に、信じられず小さく呟く。

 カインの口に合ったのは、体調を崩していたからだろうと思っていた。しかしアルフリッドは特にそういった様子もなく、ごく自然に感じているように見えた。

 ミリーナのその呟きは聞こえなかったのか、次はじっくり煮込んでほろりと崩れそうな野菜を運び、小さく口を動かす。

 満足気にスプーンを動かすその姿を、ぽかんとしながら見つめ続けた。


「……ごちそうさま。ミリーナさん?」


 きれいに食べ終わった食器を調理台に置くと、じっと自分を見つめるミリーナに声をかける。


「……あ、いえ、お粗末さまでした」


 ぺこりとお辞儀をし頭を上げると、出会った時とは比べ物にならないくらいに穏やかな表情があった。


「あの……味、薄く無かったですか? 脂がほとんどないですけど、物足りなかったんじゃありませんか?」


「いや、俺には丁度よかった。さすが看板メニューだな」


 信じられず質問を繰り返すが、アルフリッドは何の否定もせずに褒めた。


「……びっくりしました。貴族の人って、いつも宮廷料理を食べてるって聞いていたので、よっぽどのことが無い限りこういうものを食べないのかと思っていました」


「そうだな……俺は少し変わり者なのかもしれない。宮廷料理も嫌いではないが、正直、毎日食べるのは辛いな」


 苦笑しながら答える姿は、貴族という先入観を完全に壊してしまうものだった。


「なんかいい雰囲気? ミリーナ嬢ー、お腹すいたー」


「なっ!?」


 客席からニヤニヤとこちらを眺めつつ、カインは面白そうに声をかけた。


「あっ、すみません。すぐ持っていきますね!」


 咄嗟のことに思わず頬を赤くしたアルフリッドの横を通り、カウンターからカインにスープを渡す。同じく赤くなっているミリーナを見ると、更に追い討ちをかけた。


「邪魔してごめんねー。アルフ、食事会はオレだけで行っておこうか?」


「何言ってんだ、俺もちゃんと行く!」


 ますます焦る姿に、ついカインと共に笑ってしまう。それに対して少しむっとした様子だったが、まあまあと宥められどうにか機嫌は持ち直したらしい。



 カランカランと、裏門の呼び鈴が鳴る音がした。


「馬車、ですかね? ちょっと見てきます」


「すまない、こちらは出る準備をしておこう」


 奥に駆けていくミリーナを眺めながら二人は上着に腕を通す。


「馬車で着替えて、そのまま侯爵邸に向かう。人数が多くなってるが、あまり喧嘩を吹っかけるなよ?」


「オレからは何もしてないだろ? 勝負って言われたら断るのも男が廃るしなー」


「今日の所はやめておけ。また辛い思いすることになる」


「ま、アルフがそう言うなら止めておくかね」


 互いに自分で身支度を済ませ、最後にお茶を飲み干す。


「帰りにさぁ」


「なんだ?」


「このお茶買ってこーぜ」


「……そうだな」


 裏口に停まっていると声をかけられ、二人はミリーナの元に向かった。



 呼び鈴に走り扉を開けると、そこには明らかに高貴な雰囲気の御者がいた。その奥に見える馬車も、見たことがないくらい煌びやかな二頭立ての一級品だ。


(あの二人、どれだけ偉い貴族様なんだろう……?)


 少し慄きつつも呼びに戻ると、二人はきちんと服装を整え、カインの寝癖もきれいに撫で付けてあった。


「今日は本当に世話になった。ありがとう」


「ほんと助かった。感謝してるよ、ミリーナ嬢」


 それに答える間もなく、馬車の中から執事らしき人物に急かされ慌しく乗り込む。


「お店、がんばってねー! また来るからー!」


 走り出す馬車から身を乗り出して大きな声を出し、執事に叱られるカインの姿が遠くなっていく。その隣ではアルフリッドが小さく目礼をしていた。

 角を曲がり馬の蹄の音が聞こえなくなると、いつものようにしんとした道に戻った。


「……うん、お店開けなきゃ」


 突然現れた不思議な来訪者。想像と全然違う貴族の姿。明るくて気さくなカインに物静かで気苦労の多そうなアルフリッド。


(なんか、ものすごく貴重な体験をしたかもしれない)


 また会うことは恐らく無いだろう。そのことを少し残念に思いつつ、店の扉の札をひっくり返した。



「ちょっとミーナ! さっきすんごい馬車が通ったんだけど、見たっ?」


 明かりをつけると真っ先に駆け込んできたのはサリーだった。


「お店の裏手からさ、真っ白な馬に引かれたきれーな馬車が走ってきてさ! んもう、びっくりしちゃった!」


 カウンターに座って拳をぶんぶん振り回すサリー。よほど興奮しているようだ。


「だからサリー、ちょっと落ち着いてって。今日は貴族様がたくさん居る日でしょ? たまたま通りがかったんじゃない」


 なんとなく、二人の為にも言わないほうがいいかもしれないと思い、心の中で謝りつつ誤魔化すことにした。


「まあねー。そういえば今日のお嫁探し、見てきたよ。すんごい観客、老若男女満員御礼! 大鷲の君の一大行事だから仕方ないんだろうけどね」


 どことなくぐったりとしているのは人波にあてられたのだろう。労いを込めてコトリとお茶を置く。


「ありがと。それでさ、王子を見てきたわけよ。号外通りね、かっこよかったわー!

 光に透ける青い髪、同じ色の瞳。すらっとした身体、なのによく食べる!

 いやぁ、天は二物を与えるものねぇ」


「サリー、おばさんくさいよ」


「いーじゃないのよう、まだお客さん居ないんだしさ。あたしの話に付き合ってよー」


 どこかで酒でも飲んだのかと思うくらいの絡みっぷりに、ミリーナは片付けを諦め、サリーの目の前に椅子を持ってきた。


「はいはい。で、どうしたってのよ? 王子様が見れたならよかったじゃない」


「いやいや、色々あったんだって。まずは選出の儀ね?

 初日だから様子見って感じで、人数は少なかったのよね。でもその参加者って有名料理店に勤めてる料理人ばっかだったのよ! もーう出るわ出るわ、煌びやかな宮廷料理!

 一人一品ずつ持っていく決まりだったみたいなんだけど、それでも人数が人数だもん、すんごい量だったわ。

 それを顔色一つ変えずにきれーに食べきっちゃってさ、一人ひとりにごちそうさまって声をかけていってたのよ!

 きっと明日からわんさと人が集まるんじゃないかな」


「贅沢な話ね。はい、クッキー食べる?」


 夕食は自宅で食べるだろうからと、小瓶に詰めたクッキーを取り出した。


「うん、食べる。それでね、問題はそこからなの。

 全員分食べて今日はもう終わりってなった時に、観客の一部が広場の出口に走っていったんだよね。何かと思ったら王子の馬車をお見送りするんだって。面白そうだから見に行ったんだけどさすが王子、すんごい馬車に乗ってたわ。

 そしたらさ、後ろであんま見えなかった子達がその馬車追いかけて行っちゃったのよ。前にいた子達もなんか、それに続けー! って感じでさ、運動会が始まっちゃったんだ。

 そっからはもう噂なんだけど、途中で馬車を降りて秘密の地下道から逃げたとか、実はあれは囮で本物はとっくに別の道から帰ってたとか、女装して人波に紛れたとか、どれが本当かは全然分からないんだけどね」


 ぽりぽりとクッキーをかじり、笑いながら話す。


「そりゃ、迷惑なこと……お陰で道も店も大混雑で大変だったってのに。こっちは普通に生活したいのになんでいちいち被害被らなきゃいけないのやら」


「なになに? 何かあったの?」


 興味津々なサリーに、午後の買出しのことを簡単に話した。


「あー……お嬢さまは必死なんだねぇ。それにしてもパトリシアとか懐かしいね。学校の卒業式以来だっけ?」


「うん、久々だったけどあんま変わってなかった。女学校に進んだって聞いたけど、お貴族様の学校って何してるんだろうね?」


「あそこんちは貴族じゃなくて商家だよ。あたしたちにとっちゃどっちも同じようなものだけどさ」


 呆れるミリーナにくすくす笑うサリー。そうこうしているといつもの常連客が来店し、やっぱり昼間の選出の儀について語っていった。

 最後にはもはやお決まりと言うべきか、ミリーナの参加を促す言葉で締められた。

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