1日目 日常が去った商店街

 ミリーナの朝は早い。

 毎日の習慣で日の出と共に目が覚める。窓から差し込む日差しを浴び、大きく伸びをしてから起き上がった。

 洗面台で顔を洗い、部屋着から動きやすい服装に着替える。そのまま厨房に向かい、氷で冷やされた保存庫から大きなミルクの瓶を取り出した。


「お願いします」


 パンパンと手を鳴らして何かを願うと、栓を開けて一気にあおる。ごきゅごきゅと喉を鳴らしながら、コップ三杯分はありそうなミルク飲み干す。


「ぷはぁ」


 満足気に口元を拭って瓶を水ですすぐと、厨房の奥にある狭い倉庫から粉石けんと洗濯板を取り出し浴室に向かった。

 浴槽の残り湯で私服や仕事用の布類を洗い、水道の水ですすぐ。それを何度か繰り返してから洗濯籠にそれらを詰め、庭の物干し台にせっせと干し始めた。

 今日の天気は快晴らしい。自然と鼻歌交じりになりつつ干し終えると、庭の隅にある井戸に向かった。

 よく言えば趣のある、率直に言えば古びた井戸には木製の桶が括られていた。滑車に通された縄を引き上げ、中の水を一口含む。


「ん、大丈夫」


 味を確認し、室内から取っ手の付いた大きな桶を持ってくる。それから丸々一時間、水を汲んでは注ぎ、溜まったら厨房に運ぶという作業を一人黙々とこなしていた。


「ミーナちゃん、おはよう。今朝の献立はなんだい?」


 開店時間になると、常連客が何人か姿を現した。贅沢な食材を駆使する周りの食堂と比べると半分くらいの値段だからか、朝から気軽にやってくる客は多い。


「いらっしゃい、今日は野菜スープと胚芽パン、あと半熟卵だよ」


 パンの焼けた香ばしい匂いに顔を綻ばせ、それぞれいつもの席に座っていく。

 出来立ての料理を食べることはこの国ではあまり無い。大量の料理を作っている内に必ずどれかは冷めてしまうからだ。

 温めなおしている間に別のものが冷め、その繰り返しになってしまう。その為、家庭料理であっても汁物以外は冷えても美味しい料理というのが標準になっている。

 そんな料理に慣れている国民にとって、熱々の品が食べられることはとても嬉しいことらしい。

 運び方も料理の一種と思われている為、華やかな服装で優雅かつ淑やかに配膳をするのが食堂の売りの一つだが、ミリーナの作業にそんなものは全く備わっていない。

 しかし簡素なシャツとスカートを着て、てきぱきと客席に皿を運ぶ姿には機能美のようなものが漂い、職人とも言える雰囲気を感じることが出来る。


「はい、召し上がれ」


 席に着いた順にどんどん運び、きちんと一人前ずつをテーブルに置いた。

 朝にしっかり食べる中年女性には多めに、小食な老人には控えめに、それぞれにぴったりの量を覚えているらしい。

 にこやかに食事を始め、美味しいとの言葉を聞いてからほっと一息。ミリーナもカウンターの奥で野菜スープをすすり始めた。


(そろそろ食材の買出しに行かなくちゃ。野菜が無くなりそう)


 ぱりっとしたパンをスープに浸しつつ、片手でメモを取り始める。食事中にはしたないと思われる行為ではあるが、仕事熱心な彼女を嗜めるものは見当たらない。


「そういやミーナちゃん、王子様の件はどうするんだい?」


 あらかた食べ終えた中年女性がカウンターに声をかけた。


「え? あー……今日の午後からだっけ。わたしには関係ないよ」


 やっぱりかと若干肩を落としつつも仕方ないと思ったのか、残ったパンにバターを乗せて齧った。


「ミーナー!!」


「サリー、止まって。食事中」


 昨日と同じ展開を予想し、サリーが店内に飛び込む前に声をかけた。


「あ、ごめんごめん。……じゃない! ミーナ、今広場に行ってきたんだけどすごいのよ! 人まみれ! 国中の女が集まったみたい!」


 興奮気味のサリーの姿は、よく見ればスカートの裾はよれ髪はくしゃくしゃだった。


「うん、その格好で分かったよ。……困ったな、今日は買出しに行くつもりだったのに」


「ちょっとミーナってば考えるところ違うって! 参加要項もらってきたわよ、読むからね? ちゃんと聞いてね?」


 興味ないって言ってるのに、と不満顔のミリーナをよそに、またしても皺のよった紙を開いた。


「本日より五日間、花嫁選出の儀を開催する。場所は広場に建てられた仮設食堂。尚、審査員は大鷲の君のみ。時間は正午から夕刻まで。

 参加者は料理を持参の上、受付にて書類を記入すること。

 結果発表は五日後の夕刻。最後の参加者の料理を食べ終えた時とする」


「サリーちゃんは大臣の真似が上手いな、そっくりだ!」


「えへへーありがと、おじさん!」


 読み終えたサリーはカウンターに座り、ミリーナの顔を覗き込む。


「ね、どーお? 今日じゃなくていいんだし、ちょっと考えてみてもいいんじゃない?」


 熱心に見つめる姿に、仕方なくハイハイと空返事を返した。


「はー、朝早くから行ったからお腹空いちゃった。今日の献立はなにー?」


 くったりと椅子にもたれる姿に苦笑しつつ、朝のメニューに果物をおまけして出してあげた。



 いつものように商店街へ買出しに行くと、そこはいつもとは全く違う世界になっていた。

 普段は主婦や貴族の館に勤める召使くらいしか居ない場所に、煌びやかな服装の令嬢が執事らしき人物と共に押し寄せてきていたのだ。

 路地の手前の大通りには豪華な馬車が道の果てまで並び、大荷物を抱えた人物が入り乱れていた。


「す、すみませーん! ミリーナです、店長居ますかーっ?」


 人の波をかき分け、やっとのことでたどり着いた店先には空の籠が目立っていた。


「おお、ミーナちゃんか。いらっしゃい、大丈夫だったかい?」


「はい、どうにか……。一体何事なんですか?」


「ほら、あれだよ。王子の花嫁探しさ」


「あー……」


 話によると、朝の募集要項を確認した人々がそのまま商店街に直行してきたそうだ。おかげで商品はほぼ完売した店が多いらしい。


「今日から審査は始まっているらしいけど、貴族のご令嬢は最終日を狙っているみたいでね、しばらく練習するそうだ。

 うちは高級品はあまり取り扱ってないからねぇ、まだどうにか在庫はあるよ」


「そうですか……なんか、迷惑な儀式ですね」


 呆れ顔のミリーナに苦笑する店長。参加の資格を持つ女性の言葉とは思えない。


「まあまあ、大事な儀式らしいからね。お向かいの肉屋は朝から行列続きで奥さんはほくほく顔だったよ。ミーナちゃん、買うものがあったらそっち早めに行ったほうがいいよ」


 その言葉に振り返ると、最高級品は売り切れたものの、別の商品はいくつか残っているようで、何人かの列ができていた。


「あちゃ……店長、いつもの野菜、詰めておいてもらえますか?」


「任せておきな、気をつけてね」


 軽く請け負う店長に感謝し、足早に肉屋の列へと加わった。



「ああら、そこに居るのは質素女のミリーナじゃないの」


 順番まであと二人。後ろに並ぶ者は居なかったのにと思い振り返ると、そこには見知った顔が嫌な笑顔を浮かべていた。


「……パトリシア、どうしてこんな所に? 女学校の時間じゃないの?」


 眩しすぎる金髪を大きくカールさせたその姿は、良くも悪くも目を引くものだった。


「何を言っているの? 大鷲の君が花嫁を探しているというのに、そんな所に行く訳ないじゃない! そんなことも分からないだなんて、ホント疎いのね」


 小柄なミリーナと比べると幾分高い身長と踵の高い靴を生かし、精一杯見下しながらフフリと笑う。


「あー……うん、そっか。お買い物頑張ってね」


 話している間に順番になり、くるりと店主に顔を向けた。


「ちょっと、あたくしの話の途中でしょう! 何故そっぽ向くのよ!」


「わたしは仕事で来てるの。早く帰って仕込みしないと、夜の時間に間に合わなくなっちゃう」


 店主にいくつかの部位を伝え、包装を待つ。


「相変わらずの苦労人ね。若くてきれいな今をそんなことに使ってもったいないわ。

 ……それにしても、なあにその買い物は。雑肉ばっかりじゃない!」


 彼女の言う雑肉とは、脂身が少なく淡白な部位のことを言う。脂質を好む国民にとってはあまり好まれるような部位ではないらしい。


「わたしの料理には必要不可欠の立派なお肉よ。食べ物に対してそんなこと言うべきじゃないと思う」


 金額を払って礼を言い、そのまま最初の店に戻ろうとすると、まだ用があるのかパトリシアが腕を掴んできた。


「あなた、参加するの?」


 このまま無視はさせてもらえないと諦めたミリーナは、明らかに面倒くささが滲む表情で一息で言い切った。


「みんな言うけどさ、わたしはわたしの味が流行りはしないってのは分かってるのよ。だからって味を変えるつもりは無いの。つまり、参加しても無駄」


「ふふ……ふふふ、そーよね、そーよ! あなたのおかしな味覚を王子が好む訳無いわ!

 そもそもあなた、そんな格好じゃ恥ずかしくって広場にも行けないわよ? ほら見て、あたくしのドレスを」


 ミリーナの返事に機嫌を良くしたのか、更に見下しながらも話を続ける。


(めんどうくさいな……)


 買出しの度にきれいな格好に着替えることなんてする訳が無いミリーナは、シンプルなワンピースをすぽんと着ただけだった。

 ただそのワンピースは、服屋を営むサリーの両親から頂いたお気に入りの物だった。それを貶され、黙っていられるほどお人よしではない。


「パトリシア、あなたのドレスはさぞご立派なんだろうね。でもね、そんな格好で料理したら、飾りがぼとぼと落ちるよ? 気をつけないとリボンとフリルがたっぷり入った料理を献上することになるかもね」


「んまぁっ……あたくしがそんな下手な調理をするわけ……あら? 何かしらあの人だかり」


 遠くからがやがやと声が聞こえると思うと、やたらと華美な色を纏ったその群れはこちらに突進してきているようだった。


「あの店、昼の納品が来るのよ!」


「今度こそ霜降り肉を手に入れるわっ!」


「ちょっと執事! 絶対手に入れてきなさい!」


 近付くにつれ聞こえてくるそんな会話。心なしか、目が血走っているようだ。


「やば、じゃあねパトリシア。気をつけて帰らないとご自慢のドレスが破れちゃうわよ」


「へ? 何なに? ちょっと、どこに逃げれば……」


 さっと店に飛び込むと同時、一瞬前まで居た場所は人の群れに飲み込まれていた。


「いーやーあー!!!」


 甲高い悲鳴が聞こえた気がするが、ミリーナは聞かなかったことにした。


「朝からこんな感じだよ。ちょっと先の肉屋が昼に納品が来るんでね、それを知ったご令嬢が口走っちゃったんだろう」


 大きな布袋に食材をまとめ、店長は笑っている。


「笑い事じゃないですよ……明日は多分間に合うと思うんですが、明後日またいつもの注文お願いします」


「はいよ、うちみたいな野菜屋には早々来ないだろうから平気だよ。そうだ、帰りは裏口から帰るといい。正面はまだ猛牛がたむろしてるからね」


 猛牛……確かに近しいものを感じたミリーナは、お言葉に甘え裏口を使わせてもらうことにした。

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