0日目 騒がしい昼下がり

「号外、号外だー! 王子、大鷲の君が花嫁探しを始めるぞー!」


 窓の多い木目調の建物の中。開け放たれた扉から吹き込む涼しい風と共に、あちらこちらから発される賑やかな声も流れてきた。

 ここは王都の端の一般民衆が住む地域。中心部程ではないがそれなりに賑わっている商業地帯だ。その中にある小さな食堂で数人の客がのんびりと過ごしていた。


「なんだか今日は騒がしいな、何だってんだ?」


「いやだわお父さん、そこら中で言ってるじゃない。王子の婚活よ、こ・ん・か・つ」


「ついこの間生まれたと思っておった王子ももうそんな時期か。歳は取るもんじゃのう」


 常連と見られる客達はテーブルに置かれた茶を手に取り、特に動くこともなく話を続ける。


「ねえミーナちゃん、いい歳なんだしさ、立候補してきなさいな」


 客席から見える厨房で大鍋を洗っている姿に向けて、中年女性が声をかけた。


「やーよ。宮廷料理に慣れてる王子様相手に、わたしの味が合うわけないじゃない」


 自身と比べて大きすぎる鍋からひょこりと顔を出した少女は呆れ顔で返した。


「案外、豪勢な食事に飽きてるかもしれんじゃないか。試すはタダだ、行ってみりゃいい」


「ミーナちゃんの料理は、老いぼれにはありがたい味じゃがのう」


 中年女性に乗っかる形で、他の客も賑わいだす。


「うちの味が万人受けしないのは分かってるでしょー? 薄味淡白健康志向、若い人には物足りないっていつも言われてるじゃない」


 鍋底をがりがりたわしで磨きつつ興味なさげに返す姿に、苦笑を浮かべつつ客も納得しているようだった。



 この国、イートリア国は近隣の国から「美食の国」と呼ばれている。

 安定した天候によりもたらされる、豊かな田畑、盛んな畜産。それらは決して随一と言えるほどではないが、全てが平均値を上回っていた。

 その元々の土地柄に加え、様々な国から様々な食材、香辛料、調理法を仕入れ、同時にその環境を求め料理人もやってくる。

 国民的な料理といえば肉料理、もしくは脂質の多い魚料理。宮廷料理といえばその最たるものだ。

 脂の乗った高級食材を多種多様な香辛料と合わせ調理し、それを何人前並べても食すのはただ一人。

 一つのテーブルに一人ずつ、それがイートリア国の宮廷料理の決まりだった。

 この国で暮らす女性が一番魅力的だと思う男性は、沢山の料理を如何に幸福そうに食べるか、らしい。美食の国であるが故の特殊な理由だろう。

 そんな男性に愛されるには、美味しい料理を沢山作る腕を持つしかない。その為、花嫁修業として宮廷料理を学ぶ女性は数多く存在するようだ。

 この少女はそんな風習に真っ向から逆らい、食堂を営む両親に自然派の料理ばかりを教わっていた。


「それにわたし、太った人は好みじゃないから」


 歴代の国王は無限の胃袋を持つと言われ、定期的に開催される貴族を招いた食事会では他を圧倒する食事をするという話が庶民の間でも有名だ。

 その為か王族や貴族は皆、ふくよかな者が多い。

 王子の容姿は成人の儀が終わるまで姿を見せないという決まりがある為、国民には全く知られていなかった。


「まあねぇ、あの国王の息子ってーとさぞふくよかなことだろうね」


「小柄なミーナちゃんじゃ褥で潰されちまうなぁ!」


 下品よあんたは! という中年女性の窘める声を聞き流しつつ、少女は洗い物を再開した。


 少女の名前はミリーナ。親しい者にはミーナと呼ばれている。

 数年前に両親を事故でなくしてから、家族で経営していた小さな食堂を一人で受け継ぎ、常連客のお陰で細々ながらも生活を続けている。

 高脂質で濃厚な味が普通と思われているこの国において、ミリーナの作る野菜を主にした薄味の料理が流行ることはなかった。

 それでも濃い味が苦手な者や、淡白な味を好む者は多少なりとも存在し、流行りも廃れもせず今に至る。


「ミーナー!」


 粗方片付き、そろそろ常連客と一緒にお茶休憩でもしようかと思っていると、ドタバタガタンと様々な物を薙ぎ倒しながら一人の少女が駆け込んできた。


「サリー、一体どうしたの? そんな勢いで来られたらいつかこの店壊れちゃう」


 その少女の名はサリー、店主であるミリーナの親友だ。橙色の短髪は急いで走ってきた為かくしゃくしゃになっていた。


「あ、ごめーん……じゃなくて! 号外見た?」


「見てはいないけど話は聞いたよ。王子様、花嫁探しするんだって?」


「そう、それ! ちょっとこの号外見てよ!」


 ぎゅっと握りしめていたせいか、汗で湿って皺のついた紙を客席に置く。近くに座っていた客もどれどれとそれに群がってきた。


「あらまぁ……ずいぶんと見目麗しいこと!」


 間近で見ていた中年女性が感心したように高い声をあげた。


「ね、ね? 格好いいでしょう! ねぇミーナ、花嫁に立候補しなよ!」


「なんでみんなして……」


 目の前に差し出されたので仕方なく見てみると、数名写った写真の中央に、はっきりとした目鼻立ちは分からないものの確かに容姿の整っていそうな男性の写真が載っていた。

 青い短髪に同じ色の瞳。赤い儀礼服を纏い、顔には満面の笑みを浮かべているようだ。

 質の悪い紙のせいかはたまた汗のせいか、若干色がにじんでしまっているが、それでも損なわれない程には見栄えのする男性らしい。


「まぁ……格好はいいと思うけど」


「でしょでしょ! ねー、参加だけでもしてみなよ。応援しにいくから!」


「サリーが間近で王子様を見たいだけでしょ? そもそも、同じ考えの女がどれだけ居ると思ってるのよ」


「ばれたか」


 てへりとおどけるサリーを横目に、ミリーナはのんびりとカップにお茶を注いだ。かちゃりと音をたてて差し出すと、隣のテーブルからも要求が来たのでポット片手に移動する。


「でもさ、お祭りとでも思えばいいじゃん。おばさんもそう思わない?」


 少し不貞腐れた顔でお茶をすすりつつ、隣で号外を読む中年女性に話しかける。


「そうねぇ、出るだけ出てもいいじゃない? これで見初められたとなれば一大事よ、玉の輿よ! ミーナちゃん可愛いしお肌もきれいなんだから、自信持って行きなさいな」


「ないない、そもそも料理の腕で決めるんでしょう? つまり行くだけ無駄無駄」


 お茶を注ぎ終え、サリーの向かいに座るとカップに口を付けつつ片手を振った。


「ミーナってば、ちょっと手を加えるだけですっごく可愛くなるのに。何でお化粧とかしないの?」


「料理してると汗で取れちゃうし、何より必要がないもの。てゆーか、可愛くなんてないから」


 むすっとそっぽを向く姿に、向かいの女性二人は同時にため息をついた。

 もうこの話は進まないと判断し、いつものように最近発売された服や本の話に花を咲かせることになった。

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