夢を持つと苦労しますよね。
私は昔、本気で作家を志した事はありましたが、どんなに稼いでも年収は300万を超えることがない現実を知り、「こりゃ資格を取ったりして、スキルアップした方が現実的だな」と諦めました。
諦める前に前の職場で趣味で小説を書いていると話して作品を読ませたら、「こんな素晴らしい才能を埋まらさせておくのは勿体無い」とカクヨムを紹介されましたね。以来ここで世話になってます。
夢を持つと苦労するとよく親父に言われたりしますね。
ただ、その過程で得た友人関係やカクヨムでのフォロワーさんとの交流はかけがえのないものになりました(^^)
作者からの返信
コメントありがとうございます。
「夢を持て!」というのがハラスメントに当たる。これは非常に斬新な切り口でした。私達は子供の頃から「夢を持て」と親や学校や社会から囃し立てられて育ってきました。
結果として「夢を持てない」とは悪だ、と考えるようになってきましたが、別に夢がないことは怠けているわけでも、劣っていることでもありません。
本書にあるように、学生時代から将来の夢を作文にさせられ、専攻分野を選ばされ、社会に出てからも面接試験で志望動機と併せて「会社に入ってからの夢」についての質問に答えなければなりません。じゃあそうした質問を投げかけている側が、夢に溢れた毎日を過ごしているわけでもなく、毎日ため息だらけの日々を過ごしているんですから(^_^;)
夢というか目標というかはそれぞれの個性だと思いますが、なにか目指すものがあったほうが人生はまとまりやすいとは思います。ただそうでなかったとしても、この人生は簡単には壊れないんじゃないかと、僕は楽観視に落ち着くことにしています。
そうですね、こうした創作を通じた出会いというのも大切ですね。
是非今後とも宜しくお願いいたします!
改めまして、コメントありがとございました。
ドリームハラスメント、初めて聞きました( ゚ ω ゚ ) ! ! 夢を持てば「できやしない」とスポイルされ、今度は夢を持てという訳ですか。大人達の都合の良い夢を。ひどい話ですね。もっと肩の力を抜いて好きに生きていける世の中がいいと思います。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
これは著者が作った造語ですが、見事に現代社会の迎合主義を表現していると思います。あらゆる世代における自信のなさを指摘していると共に、”夢”という一字の持つ魔法の強さを改めて感じさせます。
「夢を持とう」というスローガンを子供に向けた時、それは”現実的な職業選択をしなさい”という意味になると著書は指摘しています。芸能人になる、作家になる、マジシャンになるじゃダメなんです。なぜなら、大人はそこへのロードマップを具体的に示すことができないからなんです。
夢というものは極めて個人的な部分です。本来は他人に明かすようなものではありません。それを無理やり作らせ、極端に言えば型にはめた人間を作り出す。それが作為的ではないか、というのが本書の掲げるクエスチョンなのです。実に見事な社会観察だと思いました。
子どもに限らず、我々は絶えず不安をあおられ続けています。特に昨今のコロナにおいてはいまだに見通しが立っていません。明確に自己を把握し、日々内省を積み重ねていけば、他人に”夢を持て”と煽られなくとも自信をもって生きられるはずです。
そんな現代人のもろさを再確認させてくれた一冊となりました。
この国は本当に努力させることが好きですよね。
『頑張ったから偉い』他人事でしかない。
作者からの返信
コメントありがとうございました。
『ドリーム・ハラスメント』という著書の造語には、やや冷ややかで斜め上からの論点を感じ、最初はすこし抵抗感を感じながら読み進めていました。
しかし振り返ってみて、たしかに「夢を持たなきゃダメだよ!」と追われてきた人生でした。夢も希望もない人生を怠惰と決めつけ、無感動な人間だと無意識に差別してきました。問題は、その夢をギミックにして「だから努力しなきゃダメ!」という風土であり、その努力で挫折しようものなら根性論がお出ましという構図になってくるわけです。すご〜くシンプルで合理的。
挙句の果てには「結果がすべて」と社会で教わるわけで、そうした追い込み型の人生によって大成した人のみにスポットを当て、挫折への救済もまた「再チャレンジ」や「新たな夢」というどうにも青臭い言葉が処方されるだけなのです。
それは正しいことなのか、という問題提起は十分一考の価値があると感じました。たしかに夢があれば前向きになれます。何も考えず川面に浮かぶ葉っぱのような人生がいいとは思えません。ただいくつになっても「夢はないのか!?」と急き立てられ、ましてや若い人たちを絶望させるのも、すこし旧弊だなと思います。
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