第2話 エンランの歴史
エンランの歴史は、古く地球時代まで遡る。一般に流布している話として、その当時の人気スポーツであったゴルフが元になっていると考えられている。スコアーの記入、最終のゴール地点をグリーンと呼ぶことなどから、この点にはあまり疑問の余地はない。
そして誕生秘話として残っている話は、ゴルフ好きの父親が、事故で義手義足となってしまった子供と一緒に、ゴルフコースをボールを投げながら回った、というものである。
それを見た一部の人たちが、義手義足を付け始めた際のリハビリテーションとして最適だということで、徐々に広まったということだ。だが地球時代は決してプロスポーツではなかった。これが人気スポーツとなるには長い年月と、何よりも「高い科学技術」との融合が必要だった。
そしてゴルフとの最大の違い、それは
「コースはない」ということだ。
つまり自然の中ボールを投げ、または蹴りながら進むのだ。始める地点はどこでもよい。競技時間も大体三時間から五時間くらいで、ゴールだけが決まっており、そのグリーンの周りに宇宙中からの観客が詰めかける。
エンランの語源として挙げられるのは英語のヒット、エンドランが縮まって「エンラン」となったという説と、日本語の説がある。
グリーンの真ん中にのろしのように上がる煙の缶があって、それが宙につるされたようにかかっているため、選手はゴールの印としてその煙を「乱す」ことがルールとなっている。立ち上っている煙の中をシュッとボール通過させるいわゆる「煙切り」や、缶をつるしてある支柱に当てて、ゆらゆらと煙をさせたりするので、煙を乱す
「煙乱 えんらん」となったという説が有力である。
この煙乱のさせ方も競技の最終チェックポイントで、終わりよければという形で優勝した選手もいる。
だが、場所もまちまち、時間もまちまち、何の平等性も測れないような競技においてどうやって優劣を、たった一人の優勝者を決めるのか。
その人達こそグリーンに集まった観客なのである。
エンランはもともとの発生時から競うことは考えられてはいなかった。あくまで過去の自分に対しての成長度合いであり、義手義足との相性を確かめるためのものだった。様々な肉体的な特異性を平等化することはできなかったのだ。しかしながら科学技術が進むにつれ、残った生身の負担を考えながらも、走力も蹴る投げる力も、面白いほどに伸びていった。このことに対し紆余曲折はあったものの、現在は全宇宙を股にかけた人気スポーツになっている。
自然の中を彼らが走り、投げ又は蹴り進む姿は、そのシンプルさ故に多くの人に感動を与えている。そしてその勇士を撮影することができるもの。選手の目線カメラもあるが、何よりもエンランを人気スポーツに押し上げたのは、紛れもなく「バードカメラ」である。
小鳥くらいの大きさでホバリング、時速五十キロ以上で飛行可能なこのカメラが、一人の選手に付き十台以上飛んでいる。人間が遠隔操作するものと、人工知能によって独自に撮影できるタイプがあり、切り替えもできる。その複数の映像から選手「一人一人」の投球のすべてを見ることが可能なのである。
つまり全選手の良い所を集めた「総合チャンネル」と「ロロのチャンネル」「山の王のチャンネル」があるのだ。多くの人は総合チャンネルと、自分の好きな競技者のチャンネルとを切り替えながら楽しんでいる。放送するテレビ局としては仕事の量は多いものの、その分CMなどのスポンサー料が入るので、苦労のしがいもあると言うものだ。
そして義手義足の販売もである。
地球時代からのipsはさらなる進化を遂げたが、宇宙開発による人体の損傷は想像を遥かに超えていた。特殊空間航路というワープゾーンのような道を見つけた人類は、大航海時代のように、新しく住むことのできる星を探した。そしてその星を微生物や他の動植物の力によって人間が住める状態になった後に移住すると、突然変異的な猛毒によるもの、全く新しい疾患等で、肉体を切断せざるを得ないことが数多く起こった。しかも培養され、復元された手足が「くっつかない」状況が多発し、結果義手義足は、地球時代から存在し続けている。
このように義手義足を使用する人が多くなる中、エンランは徐々にスポーツ性を増し進化していった。はじめは短く、同じコースでタイムレースのように行われていた時期もあった。が徐々に変化してゆき、カメラの発達とともに選手の全試技と、周りの自然を撮影することが可能となったため、スポーツ好きのみならず、自然を愛する人達、またそれを研究する人達にも好まれるようになった。事実、たまたま映った映像から新種の動植物の発見などもあり、質の高い娯楽として「子供の情操教育にも良い」と考えられている。
また、実際にやろうと思えば、誰でもどこでもできるので猶更
「プロの凄さ」を実感することができる。義手義足の力だけではない。
その力を完全にコントロールし、自然の風、木々、岩などの特性を熟知していなければ、より遠くに飛ばすこと、トラブルなくスムーズに競技を続けることはできないのだ。
現在のエンランの会場は大きな大会になればなるほど、多様性が増している。山を下りる者、登って下る者。ロロのように広い遮蔽物のない所で思いっきり投げたり蹴ったりする者。森の中、木々の合間をぬうようにしてボールを投げる者。その誰もがボールを操る高度な技術と義手義足の簡単なメンテナンスをできる力を持っている。
エンランのプロはまた特殊である。本番前出場する選手が行うことは「コースの設定と試技数と時間」である。コースの詳しい設定は前述したように水分や食料の補給のため、そして試技数は本番のスコアーとの比較である。極端にそれに対して「多い、少ない」があれば、時間も含め、観客であり、判定者であるグリーンキーパー(ゴルフではゴルフ場のメンテナンスをする人間たちの事を指していた)の印象も悪くなる。自然相手の事なので、何かしらのトラブルは必ずある。しかしその中でも良い試技をあきらめずに続けた者、それが優勝者となるのだ。
敵が目の前にいることが少なく、自分の技術とその時の状況判断を必要とする、それゆえにエンランは
「総合球技」と呼ばれるようになったのである。
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