第27話 松葉さんが毛嫌いするひと
一度は目覚めたものの誰も起きていないのだからと二度寝をし、次に起きた時にはカーテンから少しばかり光が差し込んでいた。
時計は朝六時を示しており、未だに皆が眠っている。
だが、そこに松葉さんの姿はなかった。
トイレや洗面所の電気は点いておらず、台所にもいない。
心配になったので玄関の外へ出てみる。
二階外通路に差し込む朝の陽射し。五月も半ばで、この時間帯でも少し暑さを感じる。
真っ直ぐ階段まで進んだ時、なにやら声が聞こえた。
「……っさい」
女性の声のようだが、警戒しながら忍び足で階段を下りてみた。
「こんな朝早くに掛けてこないでよ。迷惑」
どうやら声の主は松葉さんのようだ。酷く荒々しい口調である。相手は誰だろうか。
「泊まりなんて珍しくないでしょ? その心配してますって演技やめて、ムカつくから」
相手に対して酷く嫌悪感を抱くような態度。
だが、ここで僕は松葉さんから見える位置まで歩む。盗み聞きはあまり良いことじゃないから。
出てみると、もうすでに制服に着替え済の松葉さんが見えた。この様子だと、着信履歴を見て着替えてから掛けたのだろう。
僕が目に入った瞬間、目を丸くさせた松葉さん。
「も、もう切るから! それじゃ」
荒い仕草でスマホを指で叩いていた。
「すみません。部屋に姿がなかったので、心配で」
「心配される筋合いないっつーのッ! チッ! どいつもこいつも」
「あの、もしかしてご両親ですか?」
僕の脇を抜けようとする松葉さんに、その時ふと思い浮かんだ予想を口にした。
「キモ! 盗み聞きとか」
「いえ、違います。あまり内容は聞いていませんが、なんとなくそう思っただけで」
その様子から図星らしい。ご両親のどちらと不仲なのだろうか。以前、柊さんが言っていた鬼という言葉から察すると母親なのだろうが。
「あんた、親好き?」
少し冷静に告げられた。
「母のことは知らないので何とも言えませんが、父のことは尊敬しています。毎日頑張ってくれているので」
「そう」
少し俯きがちになる松葉さん。
「以前、柊さんから聞いたのですが、母親が厳しいのですか?」
「美月……」
「いえ、聞いたのは鬼の正体が母親だということだけです。それ以上は何も」
「あたしはアイツが嫌いなの! この世で一番!」
酷く声を荒げた松葉さんを見て、深入りするべきではなかった、と土足で踏み込んだ自分を軽蔑した。
「すみません。余計なことを聞いてしまって」
「まっ、二番目に嫌いなのは、ポックリ死んだ父親だけど」
「え!? 松葉さんも片親なんですか?」
「そっ、物心つく前に事故で。借金って置き土産して」
「そう、ですか……」
この時、四月の頃に柊さんが言っていた『似た者同士』という言葉の意味がなんとなく理解できた気がした。
それと同時に、松葉さんが悪ぶってしまう理由がコレなのだろうかと考え込んでいた。
「よく、子どもが親を選ぶ、なんて言うけど、あたし生まれるとこ間違えたわ」
「…………」
何も思い浮かばない。どう返事をしたら良いのだろうか。
その時だった。
「あれ? ふたりとも何やってんの?」
階段の上を見ると、柊さんがパジャマ姿で覗いていた。
「朝から襲われそうになったから逃げてきたのよ~」
「ええぇっ!?」
隣にはいつも通りの松葉さんがいた。さっきまでの暗い表情は鳴りを潜めている。
僕が柊さんに弁解してから三人で部屋に戻った。
しかし、部屋に戻っても僕の胸のつかえは治まらなかった。
その後は土曜日と同様に、今日は朝から勉強会が続き、柊さんの学力は随分と向上していた。夕暮れになる頃には範囲の大方を網羅し、半分以内の順位を取れそうな状態になる。
「これ以上は限界だからお開きってとこね。ただ、未だ苦手な箇所があるから、偏って出題されるとヤバいけど」
「そうなんだよねえ。運次第とか怖いなぁ」
柊さんが肩を落とす。
「ラスボスが控える中、中ボスで運次第ってのがねえ」
松葉さんが言いたいことは重々承知している。
一年の時から担当教師に変更はなく、出題者が変わらないので、その時の経験から言えば、ラスボスは国語、中ボスはその他である。国語だけ平均点が異様に低いからだ。ただ、低いからと言って一様に低水準というわけではなく、中間がないという二極化状態であるため、柊さんがやらかすと半分以内が大きく遠のく。その上、他の六科目も運次第であり、悪運続きなら壊滅する。
「僕もあの問題は苦手ですね」
「あたしも。穂花みたいにセンスが良いひとしか出来ない仕様なんだもん。その場で考えろ、みたいな。だから事前学習があんまし効果ないっていうね」
柿坂さんの指導を、僕と松葉さんも聞いていたのだが、とても奇抜な考えをしてらっしゃる。小説家肌というか。
その時の柊さんは生気の抜けた顔をしていたから無意味だっただろう。
対策しやすい六科目で高水準を取ってほしいものである。
「ホント、あの鬼教師なに考えてるんだっつー話よ」
その国語の担当者が矢車先生。幼少から小説ばかりを読み漁り、文学部を出て教師になった筋金入りの読書マニア。確か恋愛小説オタクとも聞いたことがある。男勝りな矢車先生には違和感を覚えるが。
「僕もそこは同感です。前年のあの問題には参りました。この流れから主人公に好意を寄せている女性を述べよ、だなんて。あんな情報だけでは流石に」
そう言うとすぐに三人がジト目を送ってくる。どうして不機嫌なのだろうか。
「わたし、すぐ分かったけど」
「ええぇっ!?」
柊さんは答えられたらしい。全教科三十点前後だと言っていたが、国語はそういうところで稼いでいたのか。
順位の差は相当なのに負けると、少し傷つく。
「藤ヶ谷、くん、は、無理そう」
「ええぇっ!?」
柿坂さんが落胆の様子を見せていた。何故に僕は解けないのだろうか。
その時、ふと気付いた。
「あ、それはアレですよ。僕が男だからですよ。女性の心情を読み解かないといけないですから男には」
そう言うと、また三人がジト目を送ってくる。何故に怒るのか。
「あーやだやだ。最悪な言い訳なんですけどぉ?」
「ええぇっ!?」
松葉さんが嫌悪感を露にさせると、ふたりが松葉さんの近くに寄って支持の意を表していた。僕だけひとり除け者である。
そんな悲しい最後で勉強会が幕を閉じるのかと思った時、
「あ、そういえば毛布ありがとね、愛莉?」
突然、柊さんがそんなことを言った。
「は? なんのこと?」
「え!? いつもトイレ近いから、てっきり愛莉かと。それじゃあ、柿坂さん? それとも藤ヶ谷くん?」
僕も掛けてもらった側だから違う。僕は柊さんが掛けてくれたのだと思っていたのだが。
「僕も起きたら毛布が掛かってたので」
「わ、わたし、も、寝て――」
「ああああああ! ほら、穂花? 掛けてあげたのよね?」
「ん、ん~?」
腑に落ちない様子だが、頷く柿坂さん。
あの様子だと、まさか松葉さんが掛けてくれたのか。いつも犬、犬、言ってくるけど、やはり優しいじゃあないか。また惚れてしまう。
「キモ」
軽蔑するような瞳を僕に向ける松葉さん。少しニヤケていたからかもしれない。
でも、嬉しくなって当然なのです。
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