第26話 女子三人と男子ひとり
アパートに戻っても、まだ響く語呂の声。
「あんた、いつまで年号で詰まってんのよ?」
「しょうがないじゃん。暗記苦手なんだから」
「いやいや、苦手なら猫の餌の種類あんな早く記憶できないから」
柊さんがハマっている猫撫でゲームには数多くのアイテムが存在しており、それを松葉さんよりも速いスピードで一字一句間違うことなく覚えたのである。
「あれは役に立つことだから」
「役に立たんわッ!」
突っ込みを入れる松葉さんの横で冷蔵庫に品物を入れていく。松葉さんが帰り道で指示してきた通りに冷蔵庫奥にモンブランを忍ばせ、それを隠すように食材を並べていく。
実は松葉さんが僕についてきた理由がこれである。柊さんの大好物がモンブランだと知っている松葉さんが内緒でご褒美を買ったのだ。松葉さんのポケットマネーで。
成果が見えたら渡すらしい。いつも悪ぶっているのに……。
更に松葉さんに惚れた瞬間だった。
そしてようやく僕の番が回ってきた。
柿坂さんが座っていた場所に僕が近付いてみると、何故か柊さんが上機嫌になる。
「理数系の方が好きなんですか?」
「んー、まあそんな感じ」
その言葉に安堵していたのに、教えてみるとなかなか理解してくれない。本当に好きなのだろうか。
「美月! どこ見てんのッ! 教科書見なさいって!」
「ご、ごめん……」
僕はずっと教科書を見ていたので、言われて柊さんを見てみたのだが、瞬時に教科書に目を戻されたので、一体どこを見ていたのか分からない。
そんな時、少しばかり体を後ろに引いて確認すると、ベッドの脇にスマホが置いてある。まさか、僕が怒らないことを良いことに猫を愛でていたのでは。
しばらくすると松葉さんがクローゼットの中を漁っているのが見えた。
「美月、あたしお風呂入るから着替え貸して?」
「良いよー」
「穂花も借りるでしょ? どれにする?」
「え、い、良いの?」
「良いよー」
ふたりに返事を送る柊さん。
松葉さんは白のもこもこパジャマ。柊さんはピンクのサラサラパジャマ。
「あんたはどうすんの?」
「いや、僕はそんな……。制服のままで――」
「良いよ? グレーとかもあるから」
「ですが、サイズが」
「フリーサイズだから大丈夫っしょ?」
クローゼットから松葉さんが取り出し、「ほい」と言って投げられたパジャマを見る。何だか甘い匂いがする。カップ麺臭には汚染されていないようだ。
「じゃあ、あたしから入るから。穂花はそのあとね?」
「はい」
手の空いた柿坂さんが料理の下準備をしてくれている。
薄い壁を通してシャワーの音が聞こえてくる。あの向こう側で裸の松葉さんが浴びていると思うと集中できない。自宅ではリビングや二階に逃げられたが、ここは逃げ場がない。
「ねえ、手が止まってんだけど?」
その様子を察知した柊さんがニヤリと見てくる。
「す、すみません。ここはですねえ」
「覗きに行ってみたら?」
「そ、そんなことしませんよッ?」
焦る僕に「ふーん」と告げた柊さんが立ちあがり、風呂場へ向かっていく。中へ入って扉越しに声を掛けている。
「ねえ愛莉ー! 藤ヶ谷くんが一緒に入りたいってー!」
「そ、そんなッ!」
僕がすぐに声をあげて立ち上がるも、
『はあ!? バカじゃないのッ! 覗いたら殺すからッ!』
もうお怒りの後だった。
「だってー、愛莉の裸想像して数学止まってんだもん」
『クソ犬ッ! そんな暇ないっつーのッ! さっさとやるッ!』
「はいッ!」
扉越しに声が聞こえ、返事を送ると、クスクス笑いながら柊さんが戻ってくる。犯罪者扱いを受けてしまった。まあ柊さんにとって息抜きになったのなら良かったかもしれないが。
今まで死にそうな顔だった柊さんに笑顔が戻り、そんなことを考えていた。
しばらくすると風呂場から愛らしい白パジャマを着た鬼のような顔の松葉さんが現れる。
「愛莉、わたしが調子のったせいだから、許してあげて?」
「ふーん」
「あの、僕は決してやましい想像など」
「ふーん」
低い返事に載せて近くへ歩いてくる。
「あの時、ちょうど谷間を洗ってたのよねえ」
谷間という言葉。かなり破壊力のあるそれによって頭に巡る想像。
「穂花ー! 晩御飯三人分でー!」
「ま、待ってください! 確かに想像しました。だって、好きな人だから」
「なッ!」
正直に答えると、風呂上がりだからだろうか、松葉さんの顔が赤い。
「見事なカウンター」
「うっさい! ほら、さっさとやりなさい!」
「けど数学はそこそこ進んだんだよ? ほら?」
長時間の努力によって範囲の半分くらいは終わっていた。
「威張ってる場合? これから物理と化学ってことでしょ? 間に合うの?」
そう尋ねられて俯く柊さんと僕。微妙な状況だとしか言えなかった。
そんな時、
「わ、わたし、お風呂」
「はーい、ゆっくり入ってきて」
「はい」
松葉さんの労いに柿坂さんが微笑みながら風呂場に入った。
またシャワーの音が鳴るも、今度は想像することはなかった。やはり恋の力は凄いらしい。
柊さんから頼まれた松葉さんが猫を愛でている。意外とハマっているようだ。
「ねえ、この、時期が来ましたっての何?」
スマホをこちらに向けながら松葉さんが言うと、柊さんが向かっていく。
「あっ、新しい子が誕生するやつだ」
「やだ~、スマホの子たちも犬と同じこと考えてるぅ~」
悪口を言われている。物理が全然進まない。というか柊さんがあちらに行ってしまい、机の前には僕ひとり。
「黒猫と茶猫って何色が生まれるんだろ?」
それはまるで、松葉さんと僕の髪色を表しているように思えて、とても気になる。ふたりの子は何色の髪色で生まれるのだろうか。
「ねえ、何か気に入らないから破談って選択肢ないの?」
恐らく松葉さんも同じことを考えたのだろう。僕をちらちらと窺っているから。
「そんなん無いって! あっ、ほらほら生まれる!」
何色だったのだろうか。もはや物理どころではない。
「茶色……」
ぽろりと松葉さんの口から零れ落ちた。父親の血が勝ったというわけか。いや、僕、旦那でもなんでもないんだけど。
「うわあ、凄い高ステ! 容姿は母親似で性格は父親似だって~」
柊さんは何の迷いもなく、ただただ高性能なキャラが出た事だけを喜んでいる。だが、松葉さんは不機嫌そうだ。
「あほくさ。毒されてんじゃん。もうその子は終わりね」
「え? 何のこと?」
不思議そうな顔をする柊さんの横で立ちあがる松葉さん。僕の顔をじーっと見て嫌そーにしていた。
そんな時、
「お風呂、あがりました」
「「「ええぇっ!?」」」
ピンクのパジャマを身に纏うその姿に、僕らは一斉に大声を上げる。パジャマが変だからじゃない。お下げを解き、眼鏡を外していたからだ。
「だれ?」
「か、柿坂、です」
「うわっ、凄ッ! 柿坂さん、めっちゃ可愛いじゃん!」
柿坂さんの周りで松葉さんと柊さんがはしゃいでいる。
僕は机近くで正座をしながら眺めているが、とんでもない美少女である。度の厚い眼鏡によって小さく映る瞳が、まさかあれほどまでに美しいとは。ギャップというものだろう。
当の本人は「言われたの、初めて」と言っていたから自覚がないようだ。実にもったいない。
「にしても、なんでこんなんばっかなのよ」
「ホント、ホントー」
そう言って何故かふたりが僕を見る。
意味が分からないまま、僕と柿坂さんが準備をした晩御飯を四人で食べた。頑張った褒美にモンブランを松葉さんが渡すと、ぎゅーっと柊さんが抱きしめていた。友情とは素晴らしい。
食後、柊さんが風呂に入り、そのあと僕が、と思ったのだが、「女子三人のあとに入浴だなんて野蛮ー」という松葉ご指摘によって入浴することは叶わなかった。更には、先ほど借りたグレーパジャマを手に洗面所へ入ろうとすると、「お風呂も入ってないのに着るなんて、パジャマが可愛そー」というこれまた松葉ご指摘によって制服のままでいる。
それからも夜通し勉強会は続いたのだが、気付くと床に寝そべっていた。どうやら順番を待っている間に僕が寝落ちしたらしい。茶色の毛布が掛けられているが、誰が掛けてくれたのかは分からなかった。
やけに静かだと思って振り返ってみると、松葉さんと柿坂さんがひとつの掛布団を使ってベッドで添い寝していて、毛布を羽織った柊さんが机に突っ伏して眠っていた。同じ色の毛布だから、柊さんが押し入れから出して掛けてくれたのだろうと思う。
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