第24話 柊さん向上プログラム

 静まり返る部室で僕から言い始めた。


「み、みなさん、落ち着きましょう。何とかなりますよ」


 僕の声だけが響く。松葉さんはソファに座って何かを考えており、柊さんは机に突っ伏しており、柿坂さんは心配そうに眺めていた。


 ようやく松葉さんが立ちあがり、


「まあ後悔してもしょうがない。あたしらが教えれば良いわけだし。ちなみに、穂花の成績ってどんな感じ?」


 その時、柊さんは少しだけ顔をあげて柿坂さんを見やる。


「二位……でした」


 なんとなくそんな気はしていた。どう見ても知的そうだから。

 再び、机に突っ伏し直す柊さん。


「そ、そっかぁ。それはそれは。つーか、あんたいつまで突っ伏してんのよッ! 顔上げなさいってッ!」

「愛莉のせいだから」

「はあ!? なんでよッ?」

「だって、そうじゃん! 勝負の内容も聞かないで安請け合いするからッ!」

「仕方ないでしょ! あの鬼教師を奴隷に出来る機会なんて滅多にないんだからッ!」


 やはり最悪な夢をお持ちだった。

 もし勝利したら矢車先生はどうなってしまうのだろうか、と今度はそっちが心配になる。


「あの、ちなみに順位をお聞きしても?」


 すぐに三人から強い視線を受ける。


「藤ヶ谷くん、キライ」

「ええぇっ!?」

「あんた、女心が分かってないわねえ」

「ええぇっ!?」

「今の、ダメ、です」

「ええぇっ!?」


 順位を聞かないことには対策のしようがないと思われるのだが。


「まっ、一理あるから、自分から発表しなさいよ?」

「裏切り者」

「はあ!? 今日金曜日ッ! テスト月曜日ッ! もう時間ないのッ! 分かるッ?」


 観念したらしく、柊さんが頭を上げて言う。


「……十位」

「え? もう一度お願いします」

「百四十位!」


 僕が聞き逃したことで大声発表になってしまった。この寒々となる部室に、心から申し訳なさを感じる。


「それでは苦手科目などは?」

「全部おんなじくらい。三十点前後くらい」

「それは良いことです!」


 言ってすぐ三人が睨んでくる。


「ち、違います! そういう意味じゃなくて。苦手科目がないということは成績を上げやすいってことです」

「ホント?」

「まあ犬の言う通りね。あたしらがそれぞれ得意とする科目を分担して教えればいけるかも」

「僕は数学、物理、化学が得意な方です」

「わ、わたし、国語と日本史」

「ちょうど良いわ。あたし、英語と世界史が得意だから」


 分担作業の段取りは整ったのだが、当の本人が乗り気ではない。


「さあ、始めるわよ?」

「もうちょっと待って? 今、ボーナスタイムに入ったから」


 この期に及んで、猫を飼育してらっしゃる。


「あんた! なめてんのッ?」

「じゃあ愛莉がやっといて? 先に柿坂さんと藤ヶ谷くんに教えてもらっとくから」

「はあ!? こんなのやったことないんだけど」

「ほら、ここをこうして」


 椅子から立ち上がり、スマホを松葉さんへ渡す柊さん。画面を操作させてやり方を教えている。ああいうものの呑み込みは早いようだ。


「へえ、結構可愛い――じゃないわよッ! さっさとやんなさいって! ソファでサービスタイムやっといてあげるから」

「あぁ、ボーナスタイムね?」

「どうだって良いわッ!」


 漫才のようなやり取りを終えた柊さんが柿坂さんから指導を受ける。

 松葉さんはソファでスマホを弄り、僕は交代に備えて理系科目を復習する。




 一時間ほど経ち、柿坂さんから交代の合図を受ける。


「ねえ穂花ー、もうすぐ五時だけど、ホントに大丈夫なの?」

「はい、今メール、しました。コンビニ弁当、食べとく、って」

「強さが逆転してんじゃん。そのお弁当、切ない味しそうだけど。まあ良いや、もうすぐ購買閉まるし、何か買いに行かない?」

「行きます」


 僕と柊さんにも必要なものを聞き、ふたりは購買へ向かっていった。

 部屋に残ったふたりで指導を続ける。


「あのふたり仲良いよね? 最初毛嫌いしてたのに」

「そうですね。腹黒だとか言ってましたね」

「全然当たってなかったけど」


 実は松葉さんなら初対面の時にはすでに柿坂さんの本質を見抜いていたのでは、と思ってみたりもする。女優肌な松葉さんなら毛嫌いする演技くらいお手の物だろうし。

 柿坂さんは自宅でのあの一件から、まるで姉であるかのように松葉さんを慕っている。頭を撫でられたり、腕を組まれる度にニコリと微笑んで猫のように懐いている。そういう包容力が松葉さんにはあるのだろう。僕もきっとそこに惚れたのだと思う。


「あっ、そこ違ってますね」

「え!? どこどこ?」


 指摘した箇所をしっかりと理解していく。きっとやれば出来る子だ。整理整頓もやればきっちりとしていたし。


「そうです。あってます。この調子なら大丈夫です」

「ホント?」

「はい! 柊さんならきっと出来ます」

「そうかなぁ……。じゃあさ、もし七十五位以内に入れたら、ご褒美――」


 何かを言い掛けた柊さんの手から零れ落ちた消しゴムが机下に落ちた。


「あ、ごめん。落とした」

「僕が取りますよ」

「え!? ちょ」


 椅子を引く柊さんの近くにしゃがみ込んで消しゴムを手にした時、


「あんた、なにしてんの?」

「え?」


 松葉さんの声が聞こえて顔をあげると、横には座りながらスカートの裾を押さえる柊さんが見える。


「ち、違います! 決して覗こうなどと」

「あー、犬の分のパン、あたし食べるわ。お金は返さないけど」

「そ、そんな……っ」

「勘違いだって。わたしが落とした消しゴム、拾ってくれただけだから」

「またひとつ、テクを覚えなさったのね、美月さん?」

「違うって!」


 僕の指導時間を終えて、みんなで間食を挟んだ。柿坂さんはあれから胃の調子が回復したらしく、冷たい物も平気で食後の服用もなかった。ひとりの悩みを解決できて本当によかった。

 これからも多くの人の幸せを僕は願う。


 最後は松葉さんタイム。


「そこ違うッ! 何回言わすのッ!」

「キツイって。ふたりみたく優しく」

「あぁ、そこの答えはアップルじゃなくてチェリー。そこの犬めのことですぅ」

「ええぇっ!?」


 折角ソファで休憩していたのに僕は大声を上げて飛び起きた。


「つーか、なんで愛莉って英語そんな出来んの?」

「外国のボーイも手懐けていますからぁ」

「嘘ッ! 範囲広すぎッ!」

「無駄話は良いから!」

「ひっ!」


 その後も夜七時近くまで指導は続いた。

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