第23話 矢車先生からの挑戦状
松葉さんの彼氏になるため、夜に自宅の電子レンジとポットの線を抜く僕。
ここで冷静になって考えてみると、このふたつのアイテムを失うと弁当制作に支障をきたすことに気付く。そうなれば、松葉さんと柊さんだけでなく、父のテンションもダダ下がりになるだろう。
そう感じた僕は自室に戻り、電話を掛けてみる。
まだ十時のこの時間帯なら、と呼び出し音を聞いていると、
『なに?』
ものすごーく不機嫌な声の松葉さんが出る。
「夜分遅くにすみません。ちょっと相談したくて」
『あたし、今裸なんだけど』
「ええぇっ!?」
言われた瞬間、想像してしまった。
『今、イケメンとホテルに居んのよ』
「そ、そんな……っ」
これから始まる淫らなシーンを想像して死にたくなった。
『なに死にそうな声出してんのよッ! ひとりだっつーのッ! 家でバスタイムなだけだから』
「よかったぁ」
『まっ、あんたとは一生そんなイベントは起こらないけど』
「はあ……」
わかっていたことだが、またテンションが下がる。
『あー、もうッ! 鬱陶しいッ! 寒いから早くしてッ!』
「はい! 電子レンジとポットの件ですが、うちのを運んでしまうと弁当作りに支障が出るんですが」
『あー、アレ冗談だから』
「え!?」
『電子レンジなんて運べるわけないでしょ? 電話なかったら、こっちからメールするつもりだったし』
助かった。
だが、今の言い方だと僕からの電話を待ってくれていたのだろうか。もっと早くにメールすることだって出来たはずだから。
「分かりました。ところで、明日は何が食べたいですか?」
『……オムライス?』
「了解です! 卵をふんわりにしておきますね」
『ケチャップで変なもの描くのなしだから』
「変なものとは?」
『なんでもないッ! それじゃ!』
ツーツーという音が受話部分から聞こえていた。
※※※
次の日の放課後の部室。
四人掛けのテーブルに松葉さんの指示でついてみると、右隣に柊さん、向かいに柿坂さん、斜め前に松葉さんとなった。僕は廊下側の後方で、近くには掃除ロッカーがある。掃除要員みたいで少し嫌なのだが。
向かいの柿坂さんは窓側の後方で、近くには腰ほどの台がある。本当ならそこへ電子レンジとポットを設置したかったのだろう。そうなると柿坂さんは料理上手だから給仕というわけか。
柊さんは前方入り口に一番近く、来客対応には向いているが、来客などない。
松葉さんはソファに一番近い席なので、ひと眠りするためにわざとあの席を選んだと見える。
「美月、ずっと何やってんの?」
珍しく、隣にいる柊さんがスマホでずっと作業をしている。
「クラスの子に教えてもらったゲームやってんの」
画面を見せてくれたが、沢山の猫が右往左往している。他のふたりにも見せていた。
「それ飼育ゲーでしょ? 面倒くさそー。あたしは男の飼育しよっと♪」
「最低ー」
いつも通り合コン絡みのアクセスをする松葉さんを柊さんが冷ややかに見る。
「ねえ、ふたりはスマホにしないの?」
柊さんから言われ、僕と柿坂さんが顔を見合わせる。実は柿坂さんもガラケー派でピンク色の可愛い折り畳みを持っていた。こんな近くにガラケー仲間がいて僕は嬉しい。
「わたしは、これで」
「僕も。というか、僕の場合、スマホを買っても持ち腐れですよ。機械音痴なので」
「そんな難しくないって。教えてあげよっか?」
「いや、でも……」
そんな僕らに、自分のスマホを見ながら松葉さんが言う。
「スマホにすれば、美月が際どい自撮り送ってくれるかもよー?」
「ちょ、そんなことしないしッ! 愛莉はやったことあんのッ?」
「あるよー」
流石は恋愛マスター。一通りのことはこなしてらっしゃる。
だが、何故か僕の目から汗が。
「腕曲げたとこドアップで撮って、谷間だお♪ って送ったら、みんな、うわマジ!? サイコー、って送ってくる。……ふっ、ダッサ」
「あんた、マジ腐ってるわ」
最後、吹き出しながら言っていた。
しかし、僕は本物の画像を送っていなかったことに酷く安堵していた。
そんな時、誰も来ないはずの部室に来客があった。
「ちょっと良いか?」
それは担任の矢車先生。手には紙が握られている。
「先生、何でしょう?」
先生の登場に天使モードに入った松葉さん。さっきまで足を組んでいたはずだが。
「ここも随分変わったじゃないか」
部屋の全体を眺めながら先生が言っていた。
「はい。それはもう大変でした。四人で仲良く模様替えしたんですよ?」
確か僕ひとりで完成させたはずだが。
「そうか。松葉も少し明るくなった気がするな」
「何を言っているんですか? あたしはいつも明るいですよ?」
松葉さんの顔を見た矢車先生が意味深に少し笑った。
「最近よく四人でいるから、そろそろ頃合いかと思ってな」
「頃合い?」
不思議そうな松葉さんと同様に、僕ら三人も不思議がる。
「コレだ」
一枚の用紙を松葉さんに渡していた。
「これは……」
「部の申請書だ。四人以上が条件だったから待ってたんだ。正式に申請しろ」
「いやいや、申請はちょっと……」
面倒だからと嫌がっていたから、この反応は予想通り。
「あとの三人はどうだ?」
「わたしたち、交流会やってるだけなんで、正式なのはちょっと。なんか制約多そうだし」
「僕も自信ないです」
「わたしも……」
その様子に溜息をつく矢車先生。
「お前らなら、何かやってくれそうなんだがなぁ」
何かとは一体。
他の三人はともかく、僕には出来ることなどない。
「先生? そろそろお引き取り願えます? あたしたち用事が――」
「そうも行かんのだ。あぁ、そうだ、ひとつ勝負しよう。お前らが勝ったら諦めてやる」
「いやいや、あたしたちにメリットないですよね?」
「あるぞ? お前らが勝ったら、何でも言うこと聞いてやる」
「えっ!?」
驚き声を松葉さんが上げて、すぐに考え始めている。
あの松葉さんのことだ。教師を手懐ければやりたい放題だとでも考えているのだろう。
しかし、勝負の内容が分からない以上、安易な判断は危険なのだが。
「どうする?」
「お受けします」
僕らの意見を聞かずに独断で決定した松葉さん。危険性よりも後の天国を優先したらしい。
「よし、分かった。勝負内容だが、松葉なら簡単なことだ。安心しろ」
「はあ」
「来週の中間考査。二年全体――百五十人中で半分以上」
それは楽勝すぎるのではないだろうか。
一年と同じメンバーが二年になっているわけで、松葉さんはその一年最後の考査の総合順位が五位なのだから。
「あら先生、出来レースになってしまいますよ? うふふ」
「そうかそうか。あぁ、言い忘れたが、四人全員、な?」
「ええぇっ!?」
余裕の表情だった松葉さんが絶望に変わる。
だが、僕はこの前総合三位だったし、柿坂さんも優秀そうだ。
いや、待てよ……。
まさか……。
そう思って隣に視線を移すと、柊さんだけが小刻みに震えていた。
「どした? さっきまで余裕そうだったが?」
「あのぉ、ご辞退したいのですが」
「何を言ってる? たかが七十五位だぞ? 簡単だろ?」
ガクガクしながら松葉さんが柊さんを見ると、目に涙を浮かべて柊さんが首を横に振っていた。
「あのぉ、あたしひとりで五位以内というのは?」
するとすぐに矢車先生が松葉さんの両肩をがしりと掴む。
「お前らは四人でひとつだよなー? だったら、みんなで参戦しないと、だろー? お前ら三人が柊を鍛えれば勝てるよなー?」
この時、柊さんの成績を知った上で吹っかけてきたことが分かった。というより教師なのだから知っていて当然か。
「は……い」
その圧に押された松葉さんが了承する。
「んじゃ、来週楽しみにしてるぞー」
そう言い残して、矢車先生は部室を出ていった。
しばらく誰もしゃべらない無言の空間がそこにあった。
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