第21話 愛しすぎも程々に
次の日の昼休み。
何故か今日は柿坂さんを呼ばずに三人で弁当を食べている。
「昨日のアレって、ヤバい系?」
「たぶん」
いつになく冷静な松葉さん。冗談を言わない。
「どうするんですか?」
「とりあえず甘部に呼ぶわ。解決できるかビミョーだけど」
「まあ、それしかないよねえ」
前の方の席に座る柿坂さんの背中を見ていると、僕らは弁当を味わう余裕すらあまりなかった。
放課後、松葉さんが仕掛ける。
声を掛けても首を横に振って断っているようだ。
それでも松葉さんは強引に腕を引っ張ってきた。
「き、今日は……帰る……ので」
「あんた、また戻ってんじゃん。シロたんとの会話はどうなったのよ?」
「い、今は、いない……ので」
昨日、あまりの出来事に呆然と立ち尽くす僕らを残して走って帰った柿坂さんはぬいぐるみを持って帰りはしなかった。どれほど渡そうとしても「要らない」の一点張りだった。
「ちゃんとお待ちですから。さあ、行くわよ~」
「え? え?」
何がお待ちなのかは知らないが、僕らは部室を目指した。
扉を開けると、部室のソファにシロたんが居た。
「え!? 愛莉、どしたの?」
「早めに登校して先にここへ置きに来たの」
確かに昨日、松葉さんがシロたんを持って帰ったが、サイズは顔より少し大きいくらいだから学校の指定鞄には入りそうにない。
「え!? それって、抱えて?」
「そう。ゴスロリっ子みたくなっちゃったから変な目で見られたけど」
「愛莉、痛い子」
「うっさい! それじゃあ、続きね?」
ソファからシロたんを持って来て顔の前に掲げて、座らせた柿坂さんに語り掛ける。
「こんち~、穂花~♪」
また声色を変えて演じている。
「ど、どうも……」
「昨日はパァ~っと帰っちゃったねえ? 何かあったのぉ?」
「…………」
「そうだ! ボクたち、もう友達だよね?」
「……はい」
「じゃあさ、ボク、穂花のおかーさんに会いたいなあ?」
「い、い、居ない……ので」
少しぬいぐるみをずらした松葉さんの表情は、予想通りと言った感じだった。
「それじゃあ、おとーさんに――」
「ひっ……」
その時、急に柿坂さんが震え出した。
「どしたのぉ? おとーさんも居ないのぉ?」
「い、い、居ます……」
「どんなひとぉ? 優しい?」
「は、はい……とても」
「おとーさんのこと好き?」
「は、はい……す、す、す、好きです」
いつもよりも最後だけ詰まっている気がする。
「じゃあさ、会わせて――」
「い、い、い、忙しい……ので」
ぬいぐるみを少しだけ下げた松葉さんが柿坂さんを観察している。黒目が忙しなく動いている。
「ねえ、穂花~? お袖、長いねえ~?」
「いッ!」
すぐに袖口をギュッと手で強く抑える柿坂さん。以前から僕も、その指まで隠れるカーディガンには少し違和感を覚えてはいた。
「ちょっと、お袖を――」
茶のカーディガンの袖に松葉さんが手を伸ばしてすぐ、大きな音を立てて椅子から柿坂さんが立ちあがり、後ずさる。
それを見てすぐ、シロたんを机に置いて松葉さんが言ってきた。
「ちょっとふたりとも、押さえて」
少し柊さんと視線を交わした後、僕は右腕を、柊さんは左腕を捕まえる。
「い、嫌ッ! は、放してッ!」
松葉さんが袖を捲ると、僕らが予想した通り、両腕には赤い腫れがあった。
「虐待、か」
松葉さんがそう言うと、
「ち、違いますッ! お、お父さんは、そんなひとじゃ」
「けど、昨日帰ったあとにされたんだよね、コレ? まだ新しそうだし」
「わ、わ、わたしから、頼んだんですッ!」
「そんなドMがいるわけないっつーのッ!!」
松葉さんの怒鳴り声に観念したのか、柿坂さんが静かになる。
しばらく呼吸を整えたあと、椅子に座り直した柿坂さんが語り始めた。
「お母さんが、いた頃は、なかった、です」
「離婚?」
「死別、です。……胃がん、で」
「ふたり暮らしになってから何で殴られてんのよ?」
「お父さん、には、わたし、しか、いな、くて。他の、ひとと、話す、と、怒って」
「束縛系ってやつか。鬱陶しいから殴るじゃなくて、大事すぎて殴るってやつでしょ?」
「いやいや、それ意味わかんないって。何で大事なのに殴んの?」
「DVと一緒。大事だけど言いなりにならなかったらムカつくの。んで、殴った後に謝んのよ」
テレビで聞いたことがある。情緒不安定なのか、暴力と謝罪、その矛盾性を秘めていると。
「ホント? 柿坂さん?」
「そう、ですね。……されたあと、謝って、くれます」
「つまりはアレでしょ? 自分だけのお姫様だから、友達も彼氏も作んなってことでしょ?」
黙って頷く柿坂さん。
「それは酷すぎます。それじゃあ柿坂さんに一生友達ができない」
「もう出来てんじゃん」
松葉さんがそう言うと、少しだけ柿坂さんが嬉しそうにしていた。
「だけど、問題はそのお父さんよね。どうすんの、愛莉?」
しばらく考えた松葉さんが、
「あんたんち、行って良い?」
「む、む、無理、です!」
「あたしらなら大丈夫♪ もしもの時は、犬がサンドバッグになってくれる約束だから」
「ええぇっ!?」
確かにそんな約束をした。
「あれ~? 裏切るの~? 犬~?」
「いえ、守りましょう! 命を賭して!」
心なしか震える拳を突き上げながら言ってみた。
それから柿坂さんに道案内をされて、柿坂家に到着した。僕だけ体の震えを抑えることに必死だった。この家で死ぬかもしれないから。
五時まで帰ってこないらしく、少しだけリビングで待たせてもらう。
綺麗に片付いた部屋には空き瓶などはなく、酒に酔って暴れるタイプではなさそうである。
しばらくして鍵の開く音がした。
急ぎ足で柿坂さんが出迎えに行った。
遠くの方で声が聞こえてくる。
「穂花、今日はちゃんと帰っているんだね。昨日はすまなかったね」
「はい」
どう聞いても優しそうな声。虐待をする父親の声とは思えなかった。柊さんもそんな様子だったが、松葉さんだけは険しい表情だった。
「今日のご飯は何かな? 穂花の夕食は最高だからね」
「ま、まだ。もう少し」
「良いよ、ゆっくりお作り」
先に柿坂さんが入って、その後ろから色白の子煩悩そうな父親の顔が見えた。
「え? お客さん……?」
一瞬険しくなったその表情は、すぐに穏やかさを取り戻す。
「すみません。勝手にお邪魔してしまって」
松葉さんが話し出す。
「いいえ、構いませんよ。穂花の知り合いかい?」
「え、ま、まあ」
「友達ですぅ♪」
松葉さんが軽い言い方でそう告げると、少しだけ父親の動きが止まる。
「そ、そうか。一度に三人もできるなんて、よかったなあ、穂花?」
「は、はぃ」
柿坂さんの声が小さくなる。父親は笑顔だが、何だか怖い。
「今日はもう遅いですから、お帰りいただけますか? 私たちはこれから夕食ですので」
「はい、帰りますぅ♪」
素直に玄関に向かっていく松葉さん。何の解決にもなっていない気がするが。
「それじゃあ穂花、今週末に引っ越しで良いんだよね? うちのシェアハウスに」
「え」
「ちょ、ちょっとキミ! 何の話ですかッ?」
恐らくは松葉さんの作り出した嘘。それに引っかかった父親が慌てて走ってくる。
「あぁ、穂花から頼まれたんですぅ。バシバシされるから家出たいって」
それを聞いた父親が柿坂さんを睨みつける。
「ち、違くて」
「穂花ったら、痛い痛いだから薬を飲んでて」
「本当なのかッ! 穂花ッ!」
たぶん、昨日の昼食後に飲んでいた白い粉薬のことを言っているのだろう。だが、あの時はまだ殴られていなかったから違う効能の薬のはずだが。
「ちょっと、お腹、痛、くて」
「何で言わないんだッ! 何か悪いものでも食べたのかッ?」
「…………」
一向に語ろうとしない柿坂さん。
「あれえ? 分かんないのぉ?」
「キミには聞いていないッ! 穂花ッ! 答えなさいッ!」
「…………」
「あんたからのストレスで胃が痛んでんだっつーのッ!!」
怒鳴った松葉さんに呆然とする父親。
「違う……。私は穂花を……」
「穂花? 医者からは何て言われてんの?」
「……胃……潰瘍に……なりそうって」
「このまま続いたら胃がんになるかもね」
「――ッ!」
胃がんという言葉に突如震え出す父親。奥さんのことを思い出したのだろう。
「おじさんの気持ちもよくわかるよ? 穂花はホント良い子だし、傍に置いときたくなるだろうし。独り占めしたくなるのも、ね」
言葉を受けて父親の頬を涙が伝う。
「けどさ、自分だけ幸せになっちゃダメじゃん」
そう言って松葉さんが後ろから、柿坂さんの肩を両手で掴む。
「この子とふたりで幸せになってよ?」
その後押しによって、柿坂さんが父親の近くに寄ると、父親は泣きながら娘を抱きしめて何度も何度も謝っていた。
柿坂家を後にして、帰り道で「なんで薬と病気のこと分かったんですか?」と尋ねると、「ハンバーガーみんなで食べた時、小食で冷たいもの拒否してたし」と語り、付け加えるように「それに、いつもぐぅ~っと猫背で歩いてるし」と言った。
その観察力に、僕も柊さんも恐れ入った様子を向けた。
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