第16話 キョド子ちゃんが嫌いらしい

 今日はゴールデンウィーク前最後の授業日。

 ぼんやりとしながら課外活動帰りの松葉さんの装いを思い出していた。松葉さんが赤の傘を持った瞬間、甦った記憶。見覚えはあった洋服だったが、それはあの雨の日と同じ装いだったと気付いたのだ。もしかしたら、僕のためにわざと選んできてくれたのだろうかとニヤケ顔になる。


「不審者~、ご飯食べないでニヤケてる~」


 言われて横を見ると、ふたりが奇異な目を向けていた。昼休みなのに考え事なんかするからだ。気をつけないと。


「なんでもないですよ。さあ、食べましょう」

「あれ~? あたしたちの入浴シーン想像しちゃったりして~?」

「え!? そうなの?」

「違いますよ。えーっと、肉団子を」

「怪しーー」


 そんな時だった。

 教室の前の方で騒然とする。


「ご、ごめんッ!」


 見ると、柿坂さんの弁当が床にひっくり返っていた。どうやら男子が騒いで机にぶつかって落ちたようだ。


「へ、平気……な……ので」


 必死に謝る男子たちの横で、ひとり床の弁当を拾っていた。


「俺の弁当食ってくれ!」

「俺のも!」


 次々に差し出される弁当。


「へ、平気……な……のでッ!」


 全身を痙攣させるほどの怖がりようで弁当を抱えて教室を走り去ってしまった。


「あんたらバタバタしてっからじゃん!」

「ごめん」

「うちらにじゃなくて柿坂さんにもっかい謝んなよ?」


 黒板近くでは女子たちが男子たちを責めていた。

 それよりも柿坂さんは大丈夫だろうか。折角親から作ってもらった弁当なのに。

 そんな風に考えながら自分の弁当に視線を落とした。


「行きたきゃ行けばーー?」

「え?」


 ムスッとした松葉さんがそう言ってきた。


「行っても良いけど、ちゃんと戻ってきてよね?」

「はい!」


 柊さんからのプッシュで気持ちが固まり、まだ手を付けていない弁当に蓋をして、それを持って教室を走って出た。

 しかし、変な言い方だ。午後授業が残っているから必ず教室に戻ってくるというのに。


 洗面所や廊下、中庭などに目を向けても柿坂さんは見当たらない。食を求めて購買へ、と思い付き、向かってみた。


 すると購買には居なかったが、その脇にある食堂入り口で震えながら中を覗いている柿坂さんが居た。何故か入ろうとしない。


「入らないんですか?」

「ひ……っ」


 恐々振り返ってくる柿坂さん。僕だと知ると、ほんの少しだけ落ち着いてくれた。


「コレ、食べてください」

「へ、平気……な……ので」

「人混みが嫌いですか?」


 カーディガンの裾を強く握る様子で察しは付いた。ずっと弁当生活で食堂を利用したことがないのだろう。怖くて入れないのだろう。


「いえ……お、お腹……減って……ないので」


 その時、聞き覚えのある間抜けな音が鳴った。

 すぐ真っ赤になりながら立ち去ろうとするので、


「待ってください!」

「――ッ!」


 咄嗟に腕を掴んでしまった。

 振り返った柿坂さんの目に涙が浮かんでいる。


「す、すみません。つい」


 腕を解放すると、


「……お、お、教えて……くだ……さい。……買い方」


 食堂での流れを知りたいらしい。


「それじゃあ一緒に食べましょう。僕の弁当と学食とどっちが良いですか?」


 どうせ何かしらは食べないといけなかったので提案してみると、震えながら弁当を指差していた。


「分かりました。じゃあ、僕のものを券売機で買うので。さあ、こちらへ」


 僕に続いて柿坂さんが初食堂を経験する。

 順番を待ち、素うどんを購入して、ふたり掛けの空き席に腰を下ろした。


「どうぞ」


 弁当を渡すと、静かに蓋を開けていた。


「僕が作ったので、お口に合うかどうか」

「え!?」


 驚き眼を僕に向けていた。


「きっと柿坂さんのご両親の弁当には劣りますよ」

「じ、じ、自分で……作ってる……ので」

「え? そうなんですか? それじゃあ味の評価をお願いできませんか?」

「へ、下手……な……ので」


 僕が素うどんを食べていると、柿坂さんが肉団子を口に入れた。


「どうですか?」

「お、お、美味しい……です」

「あの、お世辞抜きで良いので、その肉団子何か感じませんか?」

「え?」


 本も見ずに自己流で作ってきた弁当生活なのだが、調理側の知り合いがいないため悩んでいることを聞いてみた。


「コクが足りない感じがするんですが、どうですか?」


 じーっと肉団子を眺める柿坂さん。


「……はい」

「ですよね? やっぱり。どうしたら良いんでしょうかねえ」

「……ちょこ」

「え?」

「……チョコ……シロップ……合う……ので」

「そんな発想初めて知りました。ちょっとレシピを」


 ゆっくりとした口調だったが、しっかりとひとつずつ丁寧にレシピを教えてくれた。ずっと家族の分を作ってきたらしく、自信はないと言っているが、腕は確かだと僕は見た。


「いやあ、助かりました。作ってみますね」

「そ、それ……」


 僕の素うどんに指を差している。


「の、延びる……ので」


 指摘された通り、長々と話し込んでいたら随分と量が増えている。


「本当ですね。何だか量が増えてお得な気がしますね」

「ふふ」


 口に手を当てて柿坂さんが笑った。




 一緒に戻ると気まずいだろうから、少し先に黒板側から柿坂さんが教室に入り、そのあとロッカー側から僕が入った。

 入ってすぐ柿坂さんに男子たちが謝っているのが見えた。


「遅くなってすみません」


 シラーっとした顔でふたりが見てきた。


「偉く長かったですこと、ワンちゃん♪」


 松葉さんが満面の笑みで言ってくる。物凄く怖い。


「約束破りー。戻ってきてって言ったよね?」


 今度は柊さんが野太い声で聞いてくる。


「はい、戻ってきましたよ?」

「もうチャイム鳴るじゃん」

「でも、お弁当を渡したら食べるものが無くなるので、それで食堂で一緒に」

「あれ~? ひとりで食堂に行けない子なんているかしら~?」

「はい、柿坂さん人混みが苦手らしくて」

「ん~? どうかな~? ひとりで良いですって言う女の子に無理矢理ねちゃ付いたんじゃないのかな~?」

「そ、そんなことは決して」

「もしかして、まだ続いてるのかな~、ルーレット」


 松葉さんが言っているのは人生ゲームの浮気試練のことだろう。自分だけの奴隷が他人に向いたことで機嫌を損ねているんだ。きっとそうだ。


 そこでチャイムは鳴り、解散となった。

 だが、その理屈だと何故に柊さんまで不機嫌なのだろうか。柊さんとは友達関係であって主と奴隷な関係ではないはずだが。




 その日の甘部。松葉さんが切り出した。


「本日の議題。うちのクソ犬が他の雌犬に尻尾を振っている件についてッ!」

「ええぇっ!?」

「異議ナーシ!」

「ええぇっ!?」


 何故にふたりから責められるのか。そんなに柿坂さんは嫌われているというのか。


「食堂での一件をお話しください」


 冷静な言い方で松葉さんが告げる。


「はい。食堂入り口で入りたくても入れずにブルブルと震える柿坂さんを発見しまして」

「それは武者震いです」

「ええぇっ!?」

「はい、続けてください」

「それで僕の弁当と学食とどちらが良いですかと尋ねると弁当を指差されまして」

「それはマーキングです」

「ええぇっ!?」

「はい、続けてください」

「食堂の使い方が分からないので教えてほしいと言われ、一緒に券売機に並び、僕用の素うどんを買って二人席に移動しました」

「それは記憶喪失プレイです」

「ええぇっ!?」

「はい、続けてください」

「聞くと弁当は自分で作られているらしく、肉団子の調理アドバイスをいただきました」

「それは胃袋ツカミングです」

「ええぇっ!?」

「ちょっと待って、肉団子って何か変だったの?」


 突如、松葉さん裁判を止めて柊さんが割って入ってきた。


「はい。コクが足りない感じだったんです。気付きませんでしたか?」

「全然。めっちゃ美味しかったけど。愛莉は?」

「美味しかった――ってそんなことはどうでも良いっつーのッ!」

「あのぉ、そんなに柿坂さんのこと、お嫌いですか?」

「はい♪ お嫌いです♪」


 満面の笑顔で松葉さんが仰る。


「まあでも、演技で出来る範囲超えてるから、悩んでるんだとは思うけど」


 少し冷静に柊さんが言う。


「そうなんですよ! 柿坂さんだって、きっと自然にみんなとお話ししたいはずなんです!」

「でも更生員が藤ヶ谷くんである必要性は、って話なんだけどね」

「ですが……」

「あんた、そんなに柿坂って子に惚れてんの?」


 無愛想に松葉さんが言う。


「いえ、僕は松葉さん一筋ですッ!」


 すぐ松葉さんの目が見開いた。

 そして、ふたりとも鞄を持ち始めた。


「あーー、暑苦しーー、解散ーー」

「わたしもーー」


 そんなに暑苦しいのか、ふたりとも顔は赤く、僕だけが部屋に取り残された。

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