第3話 薄暗い廊下の奥で聞いたこと

 始業式から一週間くらい経った。

 あの日から朝の日課にひとり分追加されて、それを手渡す度に可憐な笑顔を拝めた。柊さんとは違って表情豊かな松葉さんには毎日和ませてもらっているし、会う度に想いは募っていった。これが初恋なのかもしれない。

 でも、僕はあの雨の日にはすでに落ちていたのかもしれない。容姿に一目惚れというよりは子犬を想うその優しさに。そのあと、席替えの時に容姿にも一目惚れしたんだけれど。


 でも、学校に向かう前にいつも目に付く傘立てのソレはなかなか返せなかった。女性物の傘を持って登校し辛いのもあるけど、教室で渡されたくないだろうと思うから。弁当の受け取り方にしても、松葉さんの方から「美月に渡しといて」と言われて、そっと他にバレないように柊さんに渡している。多分、僕と変な噂になりたくないからだろうと思う。

 そんな冷めた考えの自分と、あの時「優しいひと、好きだよ」と言ってくれた気持ちが本心かもしれないと妄想を抱く自分がいた。


 今日は奮発してカルビなんてものを入れてみた。女子はお肉が苦手かもしれないとも思ったが、たまには良いだろう。




 いつも通り登校してすぐ、隣の柊さんにそっと渡す。


「いつもごめん」


 決まって、松葉さんからは「ありがと♪」柊さんからは「ごめん」だった。見掛けに反して、柊さんが律儀なのは良く分かった。


 いつも通り授業が終わり、いつも通り昼休みに柊さんの席にふたりが座る。そんな三人の時間が僕にとっては至福の時間だった。




 放課後になって帰ろうと廊下を歩いていると、


「おい藤ヶ谷!」


 振り返ると矢車先生が走ってきた。


「何ですか?」

「この機材、視聴覚室に戻すの忘れてな。頼めるか?」

「良いですよ。持って行きます」

「すまんな」


 そう言い残して慌ててまた走り去っていった。

 渡されたデッキのようなものはなかなか重く、今いる西館二階から東館三階へと大掛かりな移動となる。あそこは特別室ばかりのため、放課後に訪れるひとは皆無だろう。お化け屋敷状態なので、気乗りはしないが、先生からの頼みならやむを得ない。

 重たいデッキを鞄と共に運ぶ。まだ春先なのに汗が滲んでいた。


 思っていた通り、東館三階の廊下は寒々とした消灯空間であり、はやく終えたい気持ちが早歩きを起こさせる。視聴覚室と書かれた場所で、ポケットから渡された鍵を取り出し、扉をあけてデッキを置く。再び出て扉を施錠し、帰ろうと思った時だった。


「ふふ」


 ――ッ!


 何か妙なせせら笑いが聞こえてきた。幽霊が「今からお前を殺してやる」とでも考えながら笑っているのだろうか。身震いがしてきた。

 辺りを見やると不自然なものを目にした。

 通路のずーっと奥の方にぼんやりと光が漏れている。あそこはただの空き部屋で倉庫状態のはず。鍵だって閉まっているはずなのに。


 はやく立ち去ろうと思うのに、なぜか体が引きよせられた。少しだけ見たら帰ろう、そんなホラーでは死ぬ定番のような行動をなぜ自分がしたのかわからない。だけど、どうしても一目見たくなった。


「笑える」


 近付くと声がハッキリとしてきた。女の子の声だ。部活か何かで使用しているのだろうか。僕は帰宅部で、放課後にこんな場所に来たことはないから知らないだけなのだろうか。


「便利だよねー、キノコくん」


 キノコ? 何のことだろう。

 少しばかり腰を下ろし、聞いてみた。盗み聞きなんて嫌だけど、幽霊かもしれないし。


「健気に毎日作ってくれるしさー」

「あんた、最低だね」

「今日なんてほら、お肉入ってたし。タダとか最高じゃん」


 え!? この声、まさか。


「もう解放してあげなよ」

「え? なんで? 好きでやってんでしょ? ああいう童貞くんはちょっと刺激すると一発だから。チョロ~い♪」


 嘘……。松葉さんがそんな……。


「言いすぎ」

「美月もやってみれば? あたしと同じくらい顔良いんだから」

「あんたみたくなりたくないから」

「つーか、キノコくんも馬鹿だよねー。あたしと釣り合うと思う? あたしイケメン専門だから。身の程をわきまえてほしいよねー」

「あんたねえ」

「あっ、来週他校の子と合コンなんだけど行かない?」

「行かない」

「ホント美月は見掛けワルなのに乙女よねー」

「放っといて。あんた、いつか罰当たるよ」


 下を向いて泣いてしまい、レンズに水滴ばかりが溜まっていた。騙されていたからじゃない。こんな裏面を知ってもなお、松葉さんのことを嫌いになれない自分がいたからだ。あの子犬を見ていた横顔は嘘じゃない、そう思えてならなかった。


 座り込んで泣く横で、立てかけていた黒の指定鞄がバタンと音を成して倒れてしまった。


「誰ッ!」


 マズい、バレる……っ。

 今すぐ立ち上がり、走り去れば僕だということは知られない。だけど、あまりの動揺で身動きできなかった。


「藤ヶ谷くん……っ」


 扉をあけて先に顔を覗かせたのは柊さんだった。僕が泣いていることを知って慌てた様子を示している。


「嘘……。聞いてたんだ」


 そう言って出てきた松葉さんを見て、目を疑った。いつもとは全然違う眉間の皺と険しさ。こちらが本当の顔なのだろう。


「と、とりあえず立とう? ね?」


 倒れた鞄を持ち上げた柊さんが優しく腕を掴んできた。


「あーあ、次の候補探さなきゃ」

「愛莉! ごめん、藤ヶ谷くん。とりあえず中に」


 促されるまま部屋に入ると、長机に椅子ふたつ。あとの備品は部屋の隅に押しやられた倉庫風な空間だった。小走りに柊さんが折り畳みの椅子を手に取り、僕の近くに置いてくれた。


「男のくせに泣いちゃって。ダサっ」

「あんたねえ!」

「柊さん、良いんです。本当のことですから」


 遠くで腕組みをする松葉さんと、近くに気遣う笑みを浮かべる柊さんが見える。


「バラしたければバラせば? この学校以外にも男はいっぱいいるから」

「誰にも言いません」

「へえ……。恩作っといて一回ヤらせてくださいみたいな感じ?」

「愛莉!」


 柊さんが荒く立ちあがり、右手を振り上げた。


「やめて! 柊さん!」


 そう言うと頬を叩かずにいてくれた。


「ねえ美月、キノコくん好きなの?」

「違う。あんたの言動が腹立つだけ。昔っから変わんないから」

「変わる必要なんてないじゃん。あたしは賢く生きてるだけ」


 その時、なぜか僕は立ちあがった。ふたりはビクついたみたいだけど、殴ったりする気なんて無い。ただ一言、松葉さんに言いたかった。

 静かに松葉さんの前に移動する。


「なに? 殴んの? 顔だけはやめて。商売道具だから」

「す、好きです」

「は?」


 ずっと下を向いたまま告白した。僕は多分嫌われたかったんだと思う。嫌うという事柄はまだ相手に関心がある証拠だから。無関心になられる方が、ずっとずっと嫌だったから。そこまでしても、松葉さんのそばにいたかった。


「あたしの裏知って告白とか……。ドM?」

「本気なんです」

「さっきの聞いてたよね? あたしイケメン専門だって。ジミメンは帰って」

「また弁当作ってくるので」

「要らない。知られた上じゃあやりづらいし」


 その時、僕の背中越しに声が響く。


「あんた、本気になんの怖いんじゃないの?」

「は?」

「今までの男みんな本性知ったら逃げたもんね。知って逃げなかったの藤ヶ谷くんが初めてだし」

「バカ言わないで。じゃあ聞くけど、容姿、お金、才能、あんた何かある?」

「ありません」

「じゃあ諦めて。チャオ~、モブ~」

「明日、何が食べたいですか?」

「はあ!? 要らないって!」


 また後ろから声援が飛ぶ。


「愛莉、卵料理好きだよねー。オムレツとか」

「分かりました! 失礼します!」

「はあ!? 受け取らないから!」


 オムレツと言った時、柊さんは僕の背中をトンと叩いた。それをGOのサインだと感じた僕は無意識に駆け出していた。

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