仕上げバサミでおつかれさま

 カットに入る前にシュネはまずルーちゃんの周囲を一周する。

 それを左の頭、右の頭の順に目で追っていく。


「キュ~ア?」

「ちょ~と動かないでね~」

 

 後肢こうしの太もも、あばら、わき腹、首の付け根、胸、と順に毛並みに沿ってコームを入れていく。


「何をなされているのでしょうか?」

「ん~っと、全体的に毛が短いからコーム入れても毛先立たないのね」


 シュネは背中にコームを入れて首の方に流していく。

 背中の毛が立てた先から倒れていく。


「ね?」

「確かに」

「だから全体のバランスを見て毛が長い部分を整えるの」

「それでルーちゃんの周りをぐるっと周ったのですね」


 シュネはあばら辺りの毛を流れに沿ってコームコームを掛ける。


「毛が少し不揃いでしょ? これを綺麗に整えるの」


 仕上げバサミ取り出して、少し飛び出た毛をカットしていく。


「こんな感じかな。遠目からじゃあんまり変わってないかもだけど……」

「ですが反対側と見比べると違いがわかりますね。右側は少しだらしなく見えます」

「本当に? ありがと」


 たとえお世辞でも褒められた気がしてシュネは嬉しくなった。


「そういえばハサミの持ち方と動かし方を言ってなかったね」

「持ち方? 動かし方? 何か違うのでしょうか?」

「全然違うと言ってもいい」

「そんなにですか」

「ライア姉、毛先カット2ミリメートルでよろしく」

「わかったわ」

「?」


 ルーちゃんのカットをライア姉にお願いしてアミィちゃんにハサミの説明をする。

 アミィちゃんは何か聞きたがっているけどハサミの持ち手を見せて言う。


「まずは指を入れるとこだけど、ちょろっと突起が飛び出してるでしょ?」

「あ、はい」

「これは小指掛しょうしかけっていって小指を掛けるとこなの。薬指を入れれば……ほら小指が引っ掛かるでしょ」

「本当ですね。……私が使うハサミはもっと指入れるとこが大きくて小指を掛ける場所なんてないです」


 アミィちゃんは両手に人差し指でハサミの形を空中に作った。


「たぶんそれは裁鋏たちばさみじゃないかな? 布を切ったりするときに使う」

「そうです! 布を切る時に使いました」


 裁鋏は指を通すところの幅が広く、手に馴染みやすくて安定して布が切れるようになっている。

 しかしトリマーや理髪店で使用するハサミは指を通す場所はリング状になっているのだ。


「じゃあ面白いの見せてあげよう」


 シュネが得意気に右手を前方に突き出してハサミを見せる。

――ハサミを見せるというより『ハサミが指に吸い付いている様子』を見せたといった方がよいだろう。


「ええっと?」

「……」


 アミィちゃんはよくわかっていない様子だ。

 軽く空中で手を上下左右と手のひら返しなどを披露した。


「あれ? ハサミが手にくっ付いて離れていない?」


 気付いたアミィちゃんに向かい「ふふん」と胸を張った。


「これができないとハサミを上手に開閉できないんだよ」

「それはどのような感じでしょうか?」


 どうやら興味が沸いてきたようだ。


「この吸い付いた状態のまま親指を輪っかに入れる」

「はい」

「で、親指だけ動かすと、下の刃は止まったままで上の刃だけが動くの」


 シャクシャクと音を立ててハサミを動かす。 


「両方の刃が動くと意図した場所と違うとこをカットして、動物にケガをさせちゃうからね」

「そんなに難しいのですか? 見てると簡単そうですが……」

「難しさを感じて欲しいけど、切れ味がとてもいいハサミなの。もしかしたらアミィちゃんがケガをする可能性もあるから……ごめんね」

「お気になさらないでください。素人が来やすく扱える代物ではないということでしょうから」


 トリマーの使うハサミは人の指もスパッと切れるほど切れ味よい。取り扱いには十分注意が必要になる。


「シュネ、半分終わらせたわよ。後は左半身だけよ」

「わっふ!」


 ハサミの説明をしている内に右半身が綺麗に整っていた。

 気のせいか、右側はスッキリした表情をしている。


「あ、もう終わらせたのね」

「口と耳周りは?」

「そこはまだよ」


 顔はまだ終わらせていなかったようだ。――ひとりで顔の周りのカットはさすがのライア姉も無理だよね。

 頭が一つならライア姉もひとりでカットはできるのだが、多頭では厳しいだろう。


「たてがみは……キッチリ半分終わってる……」


 真面目というか融通が利かないというか、折角なら終わらせて欲しいと思うシュネであった。


「それじゃ左側をカットしていくね」


 たてがみにコームを入れて余分な毛をカットしていく。


「すごい……綺麗に同じ長さで整っていきますね」

「片方の刃しか動いてないから同じ長さの位置に刃を持ってきて、少しずつ手を動かせば……この通り。違和感なく整えれるの」


 手早く整っていく様を見て、アミィちゃんは感嘆の息を吐いている。

 一定のリズムで一定のスピードでカットしていくシュネはアミィちゃん目には格好良く映った。

 シャクシャクシャクシャクシャクシャク。

 シャクシャクシャクシャクシャクシャク。

 シャクシャクシャクシャクシャクシャク。

 笛を吹いていたシュネを見ていたので、このハサミの音も、まるで楽器を演奏しているかのように聞こえてくる。


「クゥーン……」


 ルーちゃんも心地よさそうだ。


「大体オッケーだけど、たてがみの部分が少しだけ周りの毛に馴染んでいないでしょ?」

「え~っと……なんとなくわかるよう……な?」


 アミィちゃんにはわからなかったらしいが、シュネにはこの『少し』が気になる。

 仕上げバサミをシザーホルダーにしまい、別のハサミを取り出す。


「気になる部分はスキバサミでぼかしていくの」


 スキバサミで二回だけカットしてコームで整える。


「ん、いい感じ」

「え? それだけで」いいんですか?

「うん。これは自己満足な部分だからね~」

「なるほど」


 他に気になる部分がないかを多方面から確認する。

 正面から、横から、後ろから。


「オッケーだね、あとは耳と口周りだね」


 ルーちゃんの顎を下から支えるように持ち上げる。


「よ~しよし、少し我慢してね~」


 顔を背けようとするのを引き戻してバランスを見る。


「わたしが先にカットするね」

「わかったわ。……は~い、こっち向いてね~」


 ライア姉に右の頭がシュネの方に来ないようにしてもらう。


「耳の周りを整えるけど、指でちゃんと耳の部分を確認しながら整えていくの。この確認をおこたると間違えて耳を切っちゃうかもだからね」

「それはしっかりと確認しなければですね」


 スキバサミからボブバサミに持ち替えて慎重にカットしていき、両耳の輪郭をはっきりとさせる。


「ちょっとは見栄え良くなったかな」

「少しカットするだけで見た目がシュッとしますね」

「だね~。次は口周りのカットだね。ここも耳の周りと同じように輪郭がはっきりするようにカットしていくの」 

「ここも慎重にカットしないといけませんね」

「この口唇こうしんって言う、たるんでてる部分に気を付けてカットしていくの」


 シュネは左の側に口唇を軽くつまんで、ルーちゃんの頭が動かないようにする。


「動かないでね~」


 手首を返して刃先を下に向け、ルーちゃんが急に動いてもケガしないようにカットしていく。


よだれが口周りに溜まると汚れるし、汚れたとこを舐めちゃうと病気になるかもだからちゃんと整えてあげないとね」


 整え終えるとやり残しがないかを確認する。


「ふぅ……後はライア姉が顔のカットして今日のトリミング終了だね」

「お願いね」

「は~い、ルーちゃ~ん、邪魔にならないようにこっち向いてね~」


 左の頭がライア姉の邪魔をしないようにする。


「よ~しよしよし、いいよー」


 ライア姉が小さく頷くと手早く丁寧に耳周り口周りをカットしていく。


「ライア姉さまのカットはとても早いですね」

「すごいよね。なるべく早く終わらせることでトリミングされてる子の負担を減らすのがライア姉のモットーなんだよ」

「なるほど」

「よし……っと。一通り確認するわよ」

「はーい」


 軽くコームを掛けて毛並みを整えつつ、気になる点がないかをチェックしていく。


「大丈夫そうね。お疲れ様、ルーちゃん」

「お疲れ~」

「お二人ともお疲れ様でした。ルーちゃんを綺麗にしていただきありがとうございます」

「「わっふ!」」


 アミィちゃんがペコリと頭を下げてお礼の言葉を述べた。

 ルーちゃんの頭を撫でながら「アミィさんも長時間お疲れ様」とライア姉が言う。


「それじゃレイ姉に終了報告しに行こっか」

「ええ」


 ルーちゃんとアミィちゃんを連れて受付に向かう。

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