第14話

 さて、約十万文字にわたる葛藤の末、光と万帆はハッピーエンドを迎えることができた。

 ここで、旅館に泊まっている他の人物たちにスポットを当ててみよう。

 瑞樹は、光のいる露天風呂への乱入を阻止された後、美帆と一緒に大浴場へ行った。すでに泉が入浴しており、三人で湯船に浸かった。

 

「はあー。万帆ちゃんに勝てなかったか」

「お疲れさま」


 美帆が瑞樹を慰める。奥で一人お湯につかっていた瑞樹が、その会話に聞き耳を立てた。


「……万帆さん、山川くんへの告白、上手くいったのかしら」

「さあね。まあ、あれで失敗したらもう知らないって感じ」


 美帆が答えて、泉もふう、と小さなため息をついた。

 もともと光に興味のない美帆を除いて、二人の負けヒロインの嘆息が、大浴場に響いていた。

 仲が悪かったはずの瑞樹と泉だが、今は同じ境遇ということで、お互い肩を寄せていた。ある意味、光がいなければ起こり得ないことだった。


「……くんくん。あんたいい香りするわね」

「そうかしら?」

「ちょっと嗅がせてよ」

「なっ――」


 色々と失敗してやけになった瑞樹は、まだ嗅いだことのない泉の匂いを求めて、風呂の中で泉に抱きつきはじめた。

 匂いフェチの事を知らない泉は混乱して、抵抗したが、瑞樹の方が力強く、しばらくの間拘束されていた。


「うーん、瑞樹ちゃんはそれでいいの……?」


 美帆は呑気に、広い大浴場で泳ぎながら、その様子を見ていた。


* * *


 翌朝。

 倭文泉は、朝五時に目が覚めた。

 その後眠れず、朝風呂へ向かうことにした。

 泉は家族とホテルへ泊まった経験はあるが、温泉旅館に泊まったのは初めてで、光と同じく、源泉かけ流し温泉の気持ちよさを気に入っていた。

 昨日と違って明るい廊下を歩くと、奥に露天風呂があることに気づいた。混浴と書いていたが、この時間で他に入っている人はいないだろう。

 そう考えて、泉は露天風呂へ向かった。

 まだ朝が早く、ぼうっとしていた泉は、ふらっと服を脱いで、温泉へ入った――


「……え?」


 湯船の真ん中で、翔太が大の字になって浮いていた。

 一瞬、目が合った後、


「うおああああ!!!!!」


 翔太が潜水した。泉もあわてて、タオルで体を隠した。


「ご、ごめんなさい! 誰か来ると思わなくて」


 湯船の中で土下座しながら翔太がそう言った。泉はその様子がおかしくて、笑ってしまった。翔太が頭を下げている間に、さっさと湯船へ入ってしまった。ここのお湯は濁りがあるので、湯船へ浸かってしまったら体は見えなかった。


「お、俺、出ます」

「ここ、混浴なのでしょう。ゆっくりするといいわ」


 普通、混浴の露天風呂など滅多にないのだが、世間知らずな泉はよくあるものだと勘違いしていた。

 こうして二人、一緒になった訳だが、泉と翔太では共通の話題がなかった。翔太はいつも活気に溢れて、光とはすぐ仲良くなったし、瑞樹とも同じ中学だった関係で昨日のうちに打ち解けていた。しかし泉を見ると、なぜか恥ずかしくなって会話ができなかった。

こんな感覚は翔太にとって初めてだった。なにせ翔太は、中二だというのに女子へカエルを投げつけるような少年である。


「ねえ、翔太君」

「は、はいっ」

「昨日、美帆さんが、あなたが私のことを好きだと言っていたけど。あれは本当なの?」

「ひいっ!?」


 翔太は背筋を伸ばし、顔が真っ赤になった。

 美帆がそう言ったのは、単にからかっているだけではなく、翔太が前日の電車の中で「あの倭文さんっていう人めっちゃ美人じゃねえ?」と、美帆に漏らしていたからだった。それだけで美帆は色々、察していたのである。


「そ、そんなの嘘に決まってるじゃないですか? うちのねーちゃん、ああいうバカなこと言って俺のことからかうんですよ」

「そうなの。それなら安心したわ」

「へっ? あん、しん?」

「私……今でも山川くんのことが好きだから。万が一あなたに好きと言われても、答えられないの」


 その時、翔太は湯船の中で、何かがズタボロに崩れていくのを感じていた。

 翔太の初恋は、わずか二日にして失恋に変わった。


「山川センパイ、すげえなあ……なんであんなにモテるんだ」


 翔太が一人愚痴るっていると、脱衣所の方でドタバタと誰かが入ってくる音が聞こえた。

 万帆と美帆だった。この二人も目が覚めて、姉妹仲良く朝風呂に来たのだった。


「あーっ! しょーたんが倭文さんとお風呂入ってる!」

「なにーっ!? しょーたんギルティ!」

「お、おい、やめろって!」


 翔太は、万帆と美帆とにたて続けに責められ、裸の二人に湯船から引きずり出された。なお、万帆と美帆の裸を見ても翔太は一切動じなかった。二人とも家では風呂上がりに裸で歩いているのだ。


「ギルティ!」

「ギルティ!」


 こうして翔太は、せっかくの泉との時間を姉に奪われてしまった。いつも姉にイライラしていた翔太だが、この日ほど、姉たちを真の意味で恨んだ日はなかった。

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