第13話
光が、一人で露天風呂を堪能していた頃。
脱衣所へ、誰かが入ってきたことに気づいた。
そもそもここが混浴だと思っていない光は、翔太が来たのだろうか、と思っていた。光はかなり長風呂をする方で、一時間は風呂の中にいられるので、一人寂しくなった翔太が追いかけてきたのか、と思ったのだ。
だから脱衣所のほうをろくに見もせず、綺麗な月を眺めていた。
しかし、服を脱いだその人物の足音が、ぴと、ぴと、というとても柔らかい音だったので、光は異変に気づいた。翔太だったら、勢いよく飛び込んでくるはずだった。
他に客はいないはず。高齢の館主が来たのだろうか。
そう思ってちらり、と入り口を見ると、そこにいたのは――万帆だった。
タオルを胸から腰にかけて巻いていて、裸が見えた訳ではなかったが、風呂へ突然万帆が現れたことに光は驚き、思わず目をそむけた。
「うおっ」
「ご、ごめんなさい、一緒に入ってもいいですか?」
「な、何を、ここは男湯じゃないのか」
「混浴の露天風呂ですよ?」
「そ、そうだったのか」
混浴などというものがこの世に現存するとは思っていなかったが、万帆にそう言われると、光に断る理由はなかった。
「別にかまわないが……俺が出ようか?」
「一緒に入りたいんです」
「お、おう……」
万帆は光が座っている場所のすぐそばに、人一人くらいの距離をあけて座った。
光は万帆の姿を直視できず、ひたすら正面を見ている。
「……ごめんなさい。急に入ったりして」
「い、いや、何も問題はない。混浴だからな」
「わたしじゃつまんないですよね。モデルみたいな体型の瑞樹ちゃんと一緒だったら嬉しかったかも」
「清宮と? たしかに綺麗な体だとは思うが、一緒に入られても困るというか、気まずいだけだな」
「……光くん、瑞樹ちゃんのこと好きじゃないんですか?」
「何故そうなる?」
「学校で、こそこそ二人で話してますよね?」
「ああ……深いわけがあってな」
「深い理由?」
「清宮の尊厳のために、どういう理由かは言えない」
「もしかして、瑞樹ちゃんが匂いフェチだってこと、知っちゃったとか?」
「ぶっ。何故それを」
「中学生のときに瑞樹ちゃんから聞きました。高校では隠してるみたいですけど」
「そうだったのか……ならもう話してもいいか。清宮はある日、俺の体操着の匂いを嗅いでいたんだ。それを俺が見てしまって、その事実を隠してもらうかわりに俺の言うことを何でも聞く、と言ってきた。別に俺は、そんなことをしてくれなくても秘密は守るつもりだったのだが、手伝ってほしいことはないかと言われて、俺が万帆さんのことが好きだ、と言ったら二人の仲を応援してくれる事になってな。清宮には色々、手伝ってもらっていたわけだ」
「そ、そうだったんですね……光くん、瑞樹ちゃんと仲良くなってたので、わたしの知らないうちに二人でお付き合いを始めたのかと思って」
「それは断じてない。清宮は綺麗で、頭もいいし、女子としてはいいと思うが、そういう仲になったことは一度もない」
「安心しました……でも光くん、わたしには綺麗とか言ってくれたことないですよね」
「あ、ああ……」
「ちょっと嫉妬しちゃうかも」
「いや。万帆さんは、き、綺麗だ。綺麗というか、綺麗を超えて神々しいというか、眩しすぎて直視すらできないし、どう表現したらいいかわからない」
「そ、そんなふうに言われると……」
万帆は恥ずかしくなり、風呂に鼻までつかってぶくぶくし始めた。光は見ていないが。
「この前しょーたんにバラされちゃったんですけど、わたし、自分で告白するとろくなことがないっていうジンクスがあって……山川くんも、きっと瑞樹ちゃんや倭文さんと仲良くなって、わたしのことなんてどうでもよくなっちゃうんだろうな、って思ってて」
「そんな訳ない」
光はずっとそう思っていたが、万帆に伝えられていなかった。今伝えないと、二度ともう同じ話はできないような気がして、必死の思いでそう言った。
「俺は……初めて好きだと思ったのは万帆さんで、それ以来気持ちは変わっていない。ただ、俺の行動のせいで万帆さんを混乱させてしまった。だから俺からどうこう言える立場にないんだ」
「じゃあ……わたしが、もう気にしてません、って言ったら?」
「そう言ってもらえると、嬉しい」
「嬉しい……だけですか?」
「いや……」
「わたしと、その……改めてちゃんと付き合ってみたいとか、思わないんですか?」
「……思っているさ。だが万帆さんが俺のことを好きでないのに、付き合うことを強制はできない」
「……もう。ほんと、真面目ですよね、光くんは」
「……」
しばし無言。
次の一手をどうしようかと、光が悩んでいた時。
「こっち、向いてください」
万帆が、小さな声でつぶやいた。
「ちゃんと目を見て伝えたいんです」
光が振り向くと、万帆はじっと光の目を見ていた。
「光くんのことが好きです。わたしと付き合ってください」
待ち望んでいたその言葉は、とてもシンプルに、万帆の口から発せられた。
「……俺でいいのなら」
「光くんじゃなきゃダメなんですよ」
「そう、か……」
「もうちょっと近くに行っていいですか?」
「お、おう」
万帆は光のすぐそばまで近づき、ぴと、と肩を触れさせた。
温泉のお湯の方が熱いはずなのに、万帆の体温はしっかりと光に伝わった。
「こ、これくらいしないと、光くんはわたしがほんとに好きだって、伝わらないと思ったので」
「い、いや……そんなことをしなくても、俺は十分……」
ふと、光の頬に、何か柔らかいものが触れた。
万帆のキスだった。
光があわてて万帆の顔を見ると、ふふ、といたずらっぽく笑っていた。
「次は光くんがしてください」
「し、しかし、そんな事は、したことがない」
「適当でいいですよ。ほら」
万帆が頬を出し、光は、おそるおそる自分の唇を近づけた。あまり強く触れたら壊してしまいそうな気がして、とても優しくしていた。
「……ん」
万帆は小さく声をあげて、また目を閉じた。
とても甘い時間が流れていた。
光にとってはこのうえない幸福だった。
「……そろそろ出ますか?」
しばらく経ってから、万帆がそう言った。
「ああ……先に出てもらえないか」
「しばらく一緒にいたいです」
「いや……万帆さんはタオルを巻いているが、今、俺は何も持っていない」
「そ、そうでしたね……じゃあ、脱衣所の外で待ってます」
万帆が先に出てくれたので、光は安心した。
お湯ににごりがあったので隠せていたが、あわや、光のそれが龍のごとく天を向いている姿を、万帆に見せてしまうところだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます