第8話

 光と翔太が家に入ると、ソファで美帆がくつろいでいた。


「おかえりー」

「万帆姉は? まだ出てこないのかよ」

「そだねー。しょーたん汗くさいからシャワーしな。ついでに山川くんも入れば?」

「お、おう」

「山川センパイ、せっかくだから筋肉見せてくださいよ。どう見ても体つきやばいし」

「別に構わんが……何か努力してこういう体になった訳ではないぞ」


 こうして、二人はシャワーへ向かった。

 浴室へ二人が入ったのを見計らって、万帆が部屋から出てきた。


「……山川くん、まだいるの?」

「うん。今男二人でシャワー浴びてるよ。襲っちゃえば?」

「そんなこと、できる訳ないでしょ」

「うおー! 山川センパイ、○○○でけえ!」


 浴室から、翔太のはしゃぐ声が聞こえた。

万帆がそれを聞いて、顔を真っ赤にしている。


「ほーん」


 美帆は、そんな万帆を見てにやにやしている。


「お姉ちゃん、なに想像してるの?」

「な、何も考えてないよ」

「ふーん。あとでしょーたんに何センチだったか聞いてみよ」

「っ! 美帆っ!」

「え? わたしは山川くんが身長何センチなのか聞くだけだよ? お姉ちゃん何だと思ったの?」

「美帆~っ!」


 また喧嘩が始まろうとしたが、男のシャワーなど一瞬で、すぐに出てきそうな雰囲気だったので、万帆はふたたび自分の部屋へ引っ込んだ。


 風呂上がりの光と翔太が、浴室から出てきた。翔太はパンツ一生、光は制服しかないのでズボンにTシャツだけという姿だった。

 

「しょーたん! 服着なさい」

「うるせー美帆姉だって風呂上がり裸のくせに……ごふっ」


 翔太が、美帆の目にも留まらぬ右ストレートを腹に食らい、その場に倒れた。


「ここの家族は、格闘技でも習っていたのか?」

「習ってないよ。きょうだいげんかで鍛えられてるだけだよ」


 翔太がお茶を入れてくれて、光と二人で飲んだ。美帆の分はなく「姉の分も用意しろよー」とまた喧嘩が始まりそうになったが、いい加減二人とも飽きたのか、ヒートアップしなかった。


「お姉ちゃん、山川くんがいる限りは出てこないっぽいよ」

「そうか……今日のところは帰るとするか」

「待ってください。俺が万帆姉の機嫌直しますから。姉のご機嫌取りならまかせてください」


 翔太は万帆が引きこもる部屋の前に立ち、大声で叫びはじめた。


「おい万帆姉! 山川センパイは万帆姉のことが好きで、ちょっと前に告白してきた別の女の子には興味ないらしいぞ! なにへそ曲げてるんだよ! 山川センパイめっちゃいい人じゃねーか!」


 こうもストレートに言われると、光は恥ずかしかった。美帆はそれを聞きながら、腹を押さえて笑いをこらえている。


「そんなのわかってるもん!」


 扉は閉じたまま、万帆の返事があった。


「じゃあ何が嫌なんだよ!」

「うるさいなーもう! わたしは、自分で告白したら絶対失敗するの! 呪われてるの! 山川くんは悪くないから! わたしのせいだから!」

「はあ? なんだそれ。もしかして中学の時のことまだ引きずってんのかよ?」


 万帆の反応が止まった。

 美帆も固まっている。中学の時のことは、光には秘密にしていたのだ。


「あれ、もしかして山川センパイ、知らないんすか? 万帆姉、中学のときにある男子に告白したんですけど、その男子が間違えて美帆姉に返事しちゃって、結果的に美帆姉と付き合ったっていう事件があったんすよ」


 光の、もっとも知りたかった情報を、翔太がいとも簡単に喋ってしまった。

 他人から聞くのは禁じ手、と光は考えていたが、いまは万帆も聞いているし、翔太の勢いを止めることもできず、そのまま聞いた。


「それまで万帆姉と美帆姉はすごい仲良くて、二人で入れ替わって先生や友達をだまして遊んでたんですけど、それ以来万帆姉、学校では静かなキャラに変えて、話し方はだいぶ違う感じにしたらしいっすよ。俺は万帆姉のそういうキャラ、見たことないけど――」

「しょーたんのバカーっ!」

「どべうっ」


 勢いよく扉が開き、翔太がふっとばされた。


「ぐあっ!」

「なんで……なんで言っちゃうのよ!」

「いや、こんなの中学のやつなら誰でも知ってるし、教えてもいいだろ。俺の代まで伝説になってるぞ」

「光くんには秘密にしてたの!」


 飛び出てきた万帆は、いつのまにかスウェットから着替えて、セーターとスカートを着ていた。


「あー! お姉ちゃんだけ山川くんに見られてもいいように着替えてる! ずるーい! っていうかその服わたしのやつじゃん!」

「急いで着替えたから時間なかったの!」

「んー、まあいいや。山川くんにお姉ちゃんの秘密を知られたショックの方が大きいから、許してあげるよ」

「っ……!」


 万帆は、泣きそうな目で光を見ていた。

 やはり、どうしても万帆は知られたくなかったらしい。


「っていうか、猫かぶってるのもばれちゃったし、どうする? 山川くん。お姉ちゃん、山川くんが知ってるみたいにか弱くておとなしい子じゃないよ。おまけにきょうだいの中でいちばん力強いよ」

「男の俺より力強いもんな」

「あんたは黙ってなさい」

「ごふっ」


 倒れている翔太が茶々を入れたところ、万帆が蹴りを入れていた。

 これが万帆の本性である。


「ううむ」


 光は、突然のことに大きく悩んだ。

 確かに、光が惹かれていたのは、絵に書いたような文学少女である万帆の姿だった。

 

「山川くんは、それでもお姉ちゃんと付き合いたいの?」


 美帆が問いかける。

 光は、考えても時間が足りないので、直感的に答えることにした。


「ああ……万帆さんの過去や、性格が俺の想像と少し違ったことについては、たしかに驚いた……が、俺は今でも、ここにいる皆の中で、万帆さんだけが輝いているように見えるんだ」

「えっ……」


 今度は、万帆が驚いている。

 万帆としては、完全に詰んだ、つまり光に嫌われたと思っていたのだ。


「もともと万帆さんを混乱させてしまったのは俺のせいだ。だから今すぐ、万帆さんと付き合ってくれなんていう都合のいいことは言えない。だが、俺の万帆さんに対する気持ちは何も変わらない。今、俺が言えるのはそれだけだ」


 万帆は、顔を真っ赤にして、固まってしまった。


「うひょー。山川くんはイケメンだねえ。お姉ちゃんはどうするの?」

「……わかんない!」


 万帆はまた、部屋に閉じこもってしまった。光は、これで少しは関係を戻せるのではないかと思っていたが、ダメだったので、肩を落とした。


「はあ。お姉ちゃんもわがままだなあ」

「ったく、山川センパイみたいに、万帆姉のこと一番に考えてくれるいい男、めったにいないんだぞ」


 美帆と翔太がダメ出しを始めたので、光は「まあ、落ち着いてから考えてくれれば俺はそれでいいから」と二人をなだめた。

 結局、万帆は出てきそうになかったので、光はお茶の礼を言ったあと、家に帰った。

 ちなみに翔太とは仲良くなって、またキャッチボールするためにLINEの交換もした。

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