第7話
「ただいまー! 万帆姉、彼氏さんが来てるぞ!」
光にとっては二回目となる江草家。
翔太が勢いよく玄関を開けると、奥にあるリビングから、何やら怪しげなうめき声が聞こえた。
「ぐぎぎぎぎ」
「むむむむむ」
「だーっ! ねーちゃんず、また喧嘩してんのかよ!」
翔太に続き、光もリビングに行くと、ソファの上で万帆と美帆が組み合っていた。
片方がもう片方を組み伏せているのだが、ふたりとも全く同じ色のゆるいスウェットを着ていたので、どちらが万帆なのか光にはわからなかった。
「万帆姉、落ち着けって」
普段の行動からして、活発ですばしっこい美帆が万帆を取り押さえているのかと、光は思ったが、翔太がそう言いながら羽交い締めにして引き離したのは、上に乗っている方だった。
光にとっては意外だった。
「さすが兄妹だな。二人をすぐに見分けられるとは」
「喧嘩、強い方が万帆姉なんだよ」
万帆と美帆はまだヒートアップ気味だったが、ソファで体を起こした美帆が冷静になり、光に気づいた。
「あれ? 山川くん、うちに何しに来たの?」
「あ、いや、特に用事はないのだが……弟の翔太君に声をかけられてな」
「しょーたんが呼んだの?」
「しょーたん、って呼ぶんじゃねえクソ姉」
「あーん?」
今度は美帆と翔太で喧嘩が始まってしまった。見るに耐えなかったので、光は二人の間に入り、落ち着かせた。
「このひと、万帆姉の彼氏なんだろ? 用事あるのかと思って」
「あー……今は色々あって彼氏じゃないんだよね」
「えっ、マジ?」
翔太が光のほうを見て、光はうなずいた。
「マジかよ。美帆姉に彼氏できて、万帆姉にもできたから、やっと俺が落ち着いてこの家にいられると思ったのに!」
翔太は地団駄を踏んでいた。なるほど、この様子ならいつも姉弟げんかをしているに違いない。翔太としては、姉にはさっさと出ていってほしかったのだ。
「しょーたんわたしたちに出ていってほしいの? ひどーい」
「もっとおしとやかにしてたら別にいいけどさ。っていうかしょーたんって呼ぶなっつってんだろ」
「えー。しょーたんだってわたしたちのこと『ねーちゃんず』って略して呼ぶからおあいこだよ。ちゃんと『お姉様方』って呼びなよ」
「んな呼び方するわけないだろ!」
美帆と翔太が話しているのを、万帆がぼうっと見つめていた。
光が、なぜか自宅に来ている。
急にその事実を認知した万帆は、何も言わずに部屋へ隠れてしまった。
「あー、万帆姉、隠れちゃったじゃん」
「あーあ。山川くん、万帆姉ああなると出てこないから帰ってくれない? 万帆姉がいちばん力強いから、全力で閉じこもっちゃうと誰もあの扉開けられないんだよね」
「そ、そうなのか」
「なー、山川センパイ、キャッチボールしません? 俺、今テスト中で部活できなくて、なまってるんだけど」
翔太はいつの間にかバットとグラブ、ボールを用意していた。
「野球部なのか」
「はい!」
「部活でやった事はないが、キャッチボールくらいならできるぞ。親父が野球好きだったからな」
「やった! じゃあ、裏の川原へ行きましょう!」
翔太がワクワクしている目で光を誘ったので、堅物の光にも少年の心のよなものが芽生えて、断れなかった。
美帆も「いってらっしゃーい」と言うので、光はキャッチボールへ出かけた。
* * *
翔太は中学の軟式野球部でピッチャーを勤めており、投げ込みの相手がほしかったらしい。
光は、翔太のボールをひたすら受け止め、返してやった。中学野球は変化球禁止だから、ストレートしか来ない。あまり経験のない光でも、キャッチボールをするぶんには問題なかった。
五十球くらい投げたところで、小休止。
「なかなかいい球を投げるじゃないか」
「まあ、鍛えてますから。山川センパイにはかなわないっすけど」
翔太が腕を見せた。光の半分くらいの太さしかなかったが、筋肉質でいい腕だった。
「もっと身長が伸びればいいんですけどねー」
「まだ中二だろ。俺は高校に入ってからも数センチ伸びたぞ」
「マジで!? じゃあ、俺もまだわかんないっすね!」
翔太は元気な好青年といったところで、光の印象は良かった。
「なあ。なんでさっき、万帆さんと美帆さんは喧嘩してたんだ?」
「さあ? あの二人、目が合っただけでも喧嘩始めるからわかんないっす」
「そ、そんなに仲が悪いのか?」
「いやー、ほんとに仲悪いって訳じゃないんですけど、俺も含めて、みんな主張が強いからよく喧嘩になるだけですよ」
「万帆さんは、そこまで強くないと思うが」
「え? 万帆姉がいちばん声でかいし、力も強いし、うるさいっすよ」
「学校では、そう見えないのだが……」
「あー、学校ではなんかキャラ変えてるみたいな話聞きました。もしかして、素の万帆姉見て引いちゃいました?」
「いや、むしろあちらの方が自然だというなら、俺はそれでいいが」
「……山川センパイ、いま万帆姉と付き合ってないんですよね? 何があったんですか?」
初対面の翔太にどこまで言うかは微妙なところだが、どうせ美帆にバラされるという気もしており、光は一部を話すことにした。
「ああ。簡単に言うと、俺と万帆さんが付き合おう、と決めたところで、別の女子が俺に告白してきてな。そのせいで色々あって万帆さんを傷つけてしまった」
「うぇー、山川センパイめっちゃモテますね! やっぱ身長かな?」
「それはわからんが……とにかく、万帆さんは少し、俺と距離を置きたいようだ」
「なるほどなるほど。じゃ。俺が万帆姉の機嫌直してあげますよ!」
「……いいのか?」
「いいっすよ! 俺、山川センパイのこと応援してますから! うるさい万帆姉の世話してくれるし、キャッチボールの相手もしてくれるし最高のセンパイですよ」
「ほ、ほう……」
「あと百球くらい、いいすか? 万帆姉、今すねてるんでちょっと時間置いた方がいいっす」
「そうか」
姉弟である翔太の言葉には、根拠はないものの説得力があった。
光はそのあと百球以上キャッチボールを続けたあと、やや疲れた体でマンションへ歩いた
「なあ。あの二人をすぐに見分けるコツとかないのか?」
「あー、それは無理っすね。俺でも間違えますもん。あの二人、わざと似せてるんですよ。散髪だって同じ美容院へ一緒の日に行って長さ合わせてるんす」
「そ、そうだったのか……」
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