第18話

「あらあら、お邪魔しちゃったわね~」


 泉がとんでもない恰好なのに、怖気づかず机の上にお茶を置く山科。


「ちょ、ちょっと、もう帰るんじゃなかったの!?」

「せっかく泉ちゃんの彼氏さんが来ているのだから、おもてなししないと」

「別にいいわよ!」

「あらあら~、泉ちゃん、ちょっとちょっと」


 山科は、上半身がブラジャーだけの泉に、そっと耳打ちした。

 光るには聞こえなかったが、泉はその言葉を聞くと急に顔を赤くして、


「ちょっと待ってて、山川くん」


 と言い残し、部屋を出てしまった。

 山科は勉強机の椅子に座り、にこにこしたまま光に話しかける。


「えっと、山川くん? ごめんなさいね、泉ちゃんが強引なことしちゃって。びっくりしたでしょ」

「ああ、はい」


 女性が苦手な光だが、山科は泉と違って『常識がある』感じがしたので、普通に話せた。ちょっとふざけているのは、泉と話すために作られたノリのような気がした。


「もう気づいているかもしれないけど、泉ちゃんに山川くんを誘惑しなさい、って言ったのは私なの」


 正直、光もおかしいとは思っていた。デートという最もソフトな接触から入ってきた泉が、いきなり体の関係を進めるのは、不自然だった。


「詳しくは聞いてないけど、泉ちゃん、別の女の子に山川くんをとられそうだと思ってるみたいで、焦ってたのよ。まさかあそこまで積極的になるとは思わなかったけど。泉ちゃん、山川くんのことがよっぽど好きなのね」

「倭文さんは、どこへ行ったんですか」


 一言で泉を離れさせられたのは何故か、光は気になっていた。


「ふふ。そういうことする前にシャワー浴びてきなさい、って言ったのよ。学校から帰ってすぐで汗かいてるし、匂いが気になるわよって」


 思いの外生々しい言葉だったので、光は息を飲んだ。


「あの子、ヘンなところで几帳面だから。たまに抜けてるけど。そこが可愛いんだけど、今回はちょっと、山川くんに迷惑をかけそうだから、途中で止めることにしたの」

「俺に迷惑、ですか?」

「山川くん、本当は泉ちゃんのこと、そんなに好きじゃないでしょ」


 言われて、光は思わずびくり、と反応してしまった。

 山科には、最初から見抜かれていたのだ。


「どうして、そう思うんですか」

「だって、学校から歩いてる時からちょっと離れて歩いてたし、車に乗ってる時も何も話さないし、付き合っているというより、泉ちゃんに振り回されてる感じなんだもの」


 全く図星だった。これまでの泉との行動は、ほぼすべて泉からの提案であり、光は成り行きで付き合っているだけだった。


「お姉さん、そういう優柔不断な子はちょっと嫌いよ。本当に好きな子とも、そんなんだからうまく付き合えなかったんでしょう」

「……はい」


 この人には何を言っても無駄だな、と光は思った。まるで母親にいたずらを咎められているような気持ちになった。


「泉ちゃんの人生は自由だから、別に止めなくてもよかったのだけど、山川くんの気持ちが中途半端なままでエッチしても、泉ちゃんは後々傷つくだけよ。初めての時くらい、愛に満ちた体験をしたほうがいいわ」


 過激すぎて光は返事ができなかったのだが、思い当たるところはあった。そういうことは、中途半端な気持ちですべきではない、という気持ちはあった。


「男の子なんだから、あんな風に誘惑されて反応しちゃうのは当然よ。自分を責めることはないわ。でも、次に泉ちゃんが帰ってきたら、勇気を出して断ってね」

「はい。俺、今日は倭文さんと別れるために話をしようと思っていたので」

「あらあら~。泉ちゃん可愛そうね。ま、初恋なんて上手くいかないものだし、仕方ないわ。さっさと振られた方が泉ちゃんのためになると思うの。だいたい泉ちゃん、これまでモテる努力なんて一切して来なかったのに、いきなり立派な彼氏作ろうなんて百年早いのよ」


 最後のほうで山科の私怨が入った気がしたが、彼女の言葉に光はおおむね救われた。

 

「さて、とはいえ一度興奮しちゃったし、今日はお姉さんで我慢してね?」


 急に山川が光の隣に座り、太ももをさすり始めた。

 経験したことのない大人の女性の妖美な香りと、太ももという生々しすぎる場所をまさぐられ、光は再度、ピンチに陥った。

 

「お姉さんじゃだめ? 私、けっこうキレイな方だと思うのだけど。どう思う?」

「いや、たしかに、キレイですが」

「同い年の子と初めてしたら失敗しちゃうわ。私がやり方を教えてあげるから、ね?」

「……できません!」


 光は立ち上がり、山科と距離をとった。


「あらあら、私までふられちゃうなんて」

「悪ふざけはやめてください」

「うふふ。ごめんなさい。山川くん、可愛かったからついいたずらしちゃったわ」


 かわいい、なんて言われたのは幼い頃以来だったので、光は鳥肌がたった。こんないかつい男をかわいいと思うなんて、大人の女性は、怖い。

 

「戻ったわ!」


 ちょうどその時、泉が戻ってきた。

 全身に湯気をまとい、髪は濡れている。シャワーをした後だった。

 しかし、そんな事よりも、光は泉の服装に目を奪われてしまった。

 泉が着ていたのは、フードのついたパジャマだった。フードには、猫を模した耳がついている。いわゆる着ぐるみパジャマだった。


「ぷっ、あははははっ! 泉ちゃんそれ着てきたの!」


 山科が、ベッドの上で笑い転げる。

 その意味に気づいた泉は、急にあたふたしはじめた。


「ち、違うの、お風呂のあとはいつもパジャマを着るから、いつもの癖で着てしまったの!」


 弁解する泉と、なりふり構わず笑い続ける山科。

 光は、そんな二人をじっと眺めながら、場が落ち着くのを待っていた。今の光は、泉と別れ話をする、と決意していて、多少のイレギュラーな事態には動じなかった。

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