第17話

 実力テストの結果発表があった、次の日。

 前日の夜に光は泉へLINEを送り、昼休みに会うことになっていた。

 泉は、昼休みは空いているという生徒会室を指定した。ここで二人、弁当を食べることに。


「付き合っているのだから、お弁当くらい一緒に食べて当然よね」

「お、おう」


 泉の目は輝いていた。もともとあまり表情が変わらない子だと思っていたが、光といる時だけは別の顔を見せる。今から別れ話をするというのに、光は胸が痛くなった。


「実は……」

「どうしたの?」


 二人で弁当を食べながら、なかなか言い出せない光。泉は、別れ話をされるなどとは思ってもいないようだ。むしろ、光から昼食を提案され、機嫌が良くなっていた。


「大事なことが……あるんだが……」


 いきなりストレートに言ったら傷つくだろうと、オブラートに包んだ言い方を試みる光。


「大事なこと?」

「ああ……」

「それって、もしかして、二人きりでなければできない事かしら?」

「それはそうだが……」


 泉は急に挙動不審そうにあたりを見回しはじめた。何を考えているのか、光にはわからなかった。


「こ、ここでは無理よ。流石に勇気がないわ」

「勇気……?」

「今日、私の家に行きましょう。いつも送り迎えしてくれるお手伝いさんはすぐ帰るから、二人きりで話せるわ」

「そ、そうか……」


 何かを勘違いしている泉に押し切られ、光はこの時、何も言えなかった。

 放課後、光は泉を迎えに来る黒塗りの高級車に乗り、泉の家へ向かうことになった。運転手は山科だ。


「あっらあ~、泉ちゃんってこういう子がタイプなのね。たくましくていいじゃない」

「静かにして」


 茶々を入れてくる山科と、とにかく黙らせようとする泉。光は、急に現れた美人の大人に気圧され、何も言えなかった。トヨタ・センチュリーの車内が異常に静かなこともあり、重苦しい空気が流れた。

 泉の家は、住宅地にあってこぢんまりしているが、光の家の二倍はある一軒家だった。光は、山科さんに軽く礼を言ったあと、泉について行った。


「ここが私の部屋よ」


 いきなり泉の部屋に通され、光は面食らった。女子の部屋に入るのは初めて――ではないのだが、彼女の部屋、というのは初めてだ。

 泉の部屋は八畳程度の広さで、そこまで広くはなかった。その分、二人きりで部屋にいると、否応なく泉の体温を感じるほど近い。緊張している光は、呼吸ができなくなりそうだった。


「山科さんは帰ったわ。というか帰らせたわ。光くんも、遠慮しないで」


 泉は上着を脱いでからベッドに座り、隣へ座るよう光へ促した。ベッドの他に腰掛けられる場所は、勉強机のデスクチェアしかない。ここで泉の誘いを断ってデスクチェアに座ったら失礼すぎるので、光もコートを脱ぎ、泉の隣に座った。隣と言っても、人一人くらい距離を空けてだが。


「へ、部屋に入ると暑いわね」

 

 確かに泉の部屋は暑かった。セントラルヒーティングで家中に暖房が効いているからだ。夏も冬も窓を開けることを想定している古い日本式家屋に住んでいる光は初体験の暑さだった。

 泉はおもむろにブレザーを脱ぎ、その下のセーターも脱いだ。

 光はしばらくその様子を見ていたが、裸になっていないとはいえ服を脱いでいるところを見ていると、いけない気持ちになって来たので、視線を外し、自分のブレザーとセーターを脱いだ。

 泉はさらにネクタイも外し、カッターシャツの第一ボタンを空けた。


「山川くん」

「お、おう」

「距離を感じるわ」

「……」

「近くに行ってもいい?」


 光が返事をしないでいると、泉は肩が触れ合うような距離まで近づいてきた。

 背が高い光は、この距離で泉を見下ろすと、カッターシャツの中が見えてしまう。


「っ!」


 それに気づいた光は、ぐっ、と視線を上に向けた。


「み、見たいなら、見てもいいのよ? 私たち、付き合っているのだから」

「……」

「見たくないのかしら?」


 見たいか見たくないか、と言われればそれはもちろん見たいので、光は一瞬だけ、視線を下げた。

 シャツの内側に、紫色のきれいな下着と、小さなふくらみが見える。


「……もっと見たい?」

「……」

「ちょっと待って」


 光が天井のシミを数えている間に、隣ではもぞもぞ、と服を脱ぐ音がする。


「この下着、似合ってるかしら?」

「……」

「ねえ、見てもいいのよ」


 泉が何度も促すので、光はまた、泉の体に視線を向けた。

 泉の上半身は、ブラだけになっていた。新品の下着らしく、きれいに輝いている。ところどころ透けていて、光はその部分を見ると、見てはいけないという気持ちがさらに強くなり、目を背けた。


「ど、どうしていきなり脱ぐんだ」

「……す、好きな人には、全部見てほしいから?」

「っ!」


 予想以上にストレートな答えが帰ってきて、光はさらに困惑した。

 まずい。家に行く、と言われた時から嫌な予感はしていたが、どう考えても誘っている。

 この前の初詣で万帆と仲良くした分、差を埋めるため、さらに距離を縮めようとしているのか。別れ話をしに来た光にとって、これは予想外だった。

 

「や、山川くん、大事なことって、こういう事じゃないの?」

「違う! 今日は、そういう意味で言ったんじゃない」

「そうだったの……でも、私は別にいいわ。山川くんになら、何をされてもいい」


 形だけ付き合うつもりだったのに、どうしてこうなってしまったのか。

 泉は、いつの間にか、本当の意味で光に惚れている。この時、光はそう実感した。


「なっ……待て。冷静になれ。俺たち、まだ手もつないだことがないのに、いきなりこんな事をするのは、おかしいだろう」

「それはそうね……わかったわ」


 納得してくれたのかと思ったら、直後に、光の手の甲へ泉の手が重なった。


「手をつないだわ」


 何もわかってないじゃないか! 

光は、心の中で絶叫した。


「次は……き、キスかしら? 山川くん、こっちを向いて」


 さっきから、泉の呼吸が少し荒い。もう後戻りできない泉は、とても興奮している。

 今、泉の方を向いたら、絶対にキスされる。

 既成事実ができてしまったら、別れ話どころではなくなる。一度いたしてしまってから振るなんて、最低の男だ――

 などと光が考えていたら、


「お茶をお持ちしましたーっ!」


 すでに帰ったはずの山科が、突然、部屋に入ってきた。

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