第15話
初詣デートを終えた光は、自宅に帰り、ひたすら悶々としていた。
辛いとか、悲しいという気持ちではなかった。
ただただ、割り切ることができない感情に、頭を悩ませていた。
光は、困っている人を見たら助けなさい、と父や母から言われて育った。ただし自分の助けられる範囲であれば、という注意もあったが、万帆の怪我は自分の力でなんとかなる範囲だった。
仮に、あそこで怪我をしていたのが瑞樹であっても、美帆であっても光は同じことをしただろう。
万帆に好かれたいとか、悪化している関係をもう一度元に戻したいとか、そういう気持ちは一切なかった。ただそこで困っている万帆をどうにかしたいだけだった。
最初は夢中だった。お姫様抱っこをしながら段差を降りるのは、そう簡単な事ではなかった。しばらく集中する必要があった。
しかし、歩くにつれ、自分の体に幸福感が湧き上がってくるのを、光は感じた。
これは、抱いているのが瑞樹や美帆なら、感じなかっただろう。好きな人と、腕ごしとはいえ体を密着させているのだ。
思い起こせば、光は泉の告白を受け止めながらも、万帆のことは一度も忘れなかった。
教室では、気がつけばいつも万帆の姿を目で追っていた。
もしかしたら何かメッセージが来ているのではないか、と何度も携帯を確認していた。
体を密着させて、あらためて思い出した。自分は、万帆のことが好きなのだと。
実は、抱っこをしながら歩いていた時、一度だけ万帆と目が合ったことがある。
万帆が慣れない体制で苦しくないかと、ひと目表情を確認しようと、ふと万帆の顔を見た時だ。
万帆は少し驚いた表情をした後、ふい、と目を背けてしまった。
それが何を意味しているかは、わからない。ただ、わかったのは、光が視線を向けるまで、万帆は光の顔をじっと見ていたことだ。
嫌いな男の顔を、わざわざ見つめるだろうか?
そう考えると、万帆は自分のことを心底嫌いな訳ではない、という謎の自信が、光に湧いてきた。
もう一度、万帆さんと一緒の時間を過ごしたい。
光は、切に願っていた。
そのためには、今のねじれた状況を元に戻さなければならなかった。
泉とは、身の上相談に乗ってもらったうえ、何回か正式にデートをして、お互いに彼氏・彼女と認めているところ申し訳ないが、それは間違いだったと伝えるしかない。
全ては、光の優柔不断さが招いたことであり、それらは自ら解決しなければならなかった。
* * *
初詣デートの尾行から帰った万帆は、着物を脱いだ後、真冬だというのに着物の下の肌着だけの姿で、ベッドの上でぼうっとしていた。
「お姉ちゃーん、お姉ちゃん戻ってきてー」
美帆が顔の前で手を振ってみるが、反応はない。「だめだこりゃ」と美帆は諦め、部屋を出た。
このような状態になったのは、もちろん、光にお姫様抱っこされたことが原因だった。
一世一代の告白に泉が乱入して来てから、万帆は、自分の人生にいい事なんて一つもない、と考えていた。せっかく仲良くなった光と付き合える、と思っていたのに。
光のことは、万帆も好きだった。はじめは、正直言ってあまり興味がなかった。というか、光がでかい上にいつも仏頂面なので、生物としての恐怖感を覚えていた。
だが話してみると意外に優しく、趣味も一致した。これまでのイメージが修正され、あまり異性を意識してこなかった万帆は、光に好意を持つようになった。
美帆の妨害というハプニングはあったが、美帆はいつも自分の邪魔をしてくると知っていたので、大したことだとは思っていなかった。しかし泉の乱入は予想外だった。
泉には、容姿も、成績も、そして性格も勝てない。だから自分なんか、光にふさわしくない。そう思うと、急に自分が小さく思えて、光に近づくことを遠慮してしまった。
告白事件の後も瑞樹の応援はあったが、それでなんとか関わりを保てているだけで、主体的な行動ではなかった。
光のことは諦めよう。万帆は、そう決めていた。
その直後に、初詣の一件があり、万帆はふたたび光を諦められなくなった。
相性のいい異性と、ただ同じ時間を過ごすというだけで感じてしまう、これまでの人生で一度も味わったことのない心地よさを、思い出してしまったのだ。
この時の万帆は、その感触にとりつかれ、完全に思考が止まってしまった。
もう一回、抱っこされたいなあ。
それくらいしか、万帆は考えられなかった。
しかし、自分が告白したらまた失敗すると決まっているし、光は泉と付き合っている。もう一度光が万帆を抱っこする可能性はゼロに等しい。
だから、どうにかしなければいけないのだが、どうすればいいかわからないので、万帆は考えるのをやめてしまった。
* * *
初詣デートの尾行から戻った瑞樹は、一心不乱に勉強をしていた。
瑞樹は、極めて利口で、冷静で、打算的な女である。光の体操着に興味を持ってしまったあの一件を除けば、いつも明確に作戦立てて動いていた。
この時、瑞樹は泉の異常に気づいていた。そして、ある作戦を思いついた。
泉は、光のことしか考えられなくなっている。
――ということは、今なら、泉がずっと守ってきた学年一位の座を奪えるのではないか。
ピンチはチャンスだ。自分のことを意識していない光のことはこの際どうでもいい。瑞樹にとって、今得られる最大限のリターンはこれだ。
そう決めて、冬休み明けに行われる実力テストの勉強に取り組んでいたのだった。
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