第14話

 倭文泉の両親は転勤族で、数年ごとに日本全国のどこかへ引っ越してしまう。

 以前は泉も両親について行ったが、受験期を落ち着いて過ごすため、今は両親の地元である青柳市の家で一人暮らしをしている。

 一人暮らしといっても、高校生を一人にするのが不安だった泉の両親は、倭文家専用の家政婦を雇っている。

 山科さんという、四十代の女性だ。

 料理、洗濯、裁縫、そして黒塗りの高級車を運転しての送迎まで、何でもこなす。

 見た目はとても若く、美人で、とても四十代には見えない。今どきここまで手厚くお世話をしてくれる家政婦は珍しいのだが、泉の母と旧知の仲であり、泉が小さい頃からよく知っていて、家政婦を頼まれた時は快諾したらしい。

 さて、話を初詣デートの後に戻そう。

 黒塗りの高級車に乗り込んだ泉は、山科に何も言わず、むすっとしたまま窓の外を見ていた。


「あらあら。彼氏さんと喧嘩でもしたんですか?」

「彼氏なんかいないわ。ただの男子のお友達よ」


 学校では光のことを彼氏だと公言しているのに、家族のような存在の山科が相手では恥ずかしいらしく、泉は嘘をついていた。


「男女の友情なんて成立しませんよ。恋愛あるのみです」


 山科が茶化したが、泉は答えなかった。学校では見せない、お嬢様ゆえのわがままな一面だった。

 自宅に帰った後も、泉は黙ったまま自分の部屋に戻り、コートも脱がずにベッドへ倒れた。


「あらあら。上着くらいは脱ぎなさいな。ヘンな癖がついて、次のデートに着ていけなくなるかもしれませんよ」


 次のデートに、という言葉を聞いて、泉は渋々上着を脱いだ。


「お昼はどうされますか?」

「いらないわ」

「何も食べてないのでしょう? お腹が空いていると、彼氏さんと仲直りする方法も思いつきませんよ」

「だから、彼氏なんかいないわ」


 イヤイヤ期の三歳児のような泉を無視して、山科は年越しそばの残りを茹で、食卓に置いた。だいたいの高校生は、食べ物の匂いがしたら勝手に食卓まで来るのだ。

 案の定、泉は呼ばれる前に食卓まで歩いてきた。


「ひどいお顔ですね」

「……」

「どんな喧嘩をしたんですか」

「……喧嘩なんかしてないわ」

「相手がそう思ってなくても、女の子がそんなに不機嫌になるんだったら、立派な喧嘩ですよ」


 そう言われて、泉は初めて、光が自分のことをどう思っていたのか、気になり始めた。

 光はまだ万帆のことを諦めていない、と泉は考えていた。それは光の雰囲気から感じ取っていたのではなく、光が数日で心変わりするような性格でないと、これまでの交流から結論づけていたからだ。

 しかし一方で、万帆との仲はなかなか進まなかったようだし、彼女を作ったことのない光なら案外あっさりと自分に懐いてくれるのではないか、という気持ちもあった。

 この葛藤は、前者である、と結論づけられた。

 泉の考えでは、普通の男子なら、困っているとはいえ歩けない少女をお姫様抱っこすることはない。何のためらいもなく万帆を抱っこしたのは、やはり光に万帆への気持ちが残っているからだ。

 もしかしたら、あの後不遜な態度をとった泉を、光は嫌いになったかもしれない。


「で、何があったのですか」

「……同級生の他の女の子が、足を怪我してて、やま……私の男子の友達が、その子の手当をしていたの」

「あらあら~、それは嫉妬してしまいますね。わかりますよ」

「そうよね? 私、おかしくないわよね?」

「泉ちゃんくらいの年齢なら、好きな男の子が他の女の子と話しているだけでも、そう思ってもおかしくないです」

「でも、私、そのせいでその友達に、ちょっと冷たく当たってしまったの」

「なるほど~。私なら、その子の相手をしていたぶん、もっと甘やかしてくれるようにお願いしますけど」

「その発想はなかったわ……」

「ピンチはチャンスですよ」


 山科の話術に乗せられ、普通に出来事を話してしまう泉。家族に近いほど仲はいいので、相談に乗ってもらえるのはありがたかった。山科は山科で、自分はもう終わってしまった若い時代の恋愛話を、外野として楽しんでいた。


「ま、相手が鈍感な子なら、なんで泉ちゃんが怒ってるのかもわからないので、自分から謝ってとりあえず悪い雰囲気を取り除く、というのもありですよ」

「そうした方がいいかしら……」


 光が泉の気持ちを機敏に感じ取ってくれるとは思えなかったので、泉は山科の助言を選択肢の一つに入れることにした。

 それにしても、お姫様抱っこに嫉妬心を覚えるとは、泉自身も予想していなかった。

 手をつなぐとか、キスをするなどのスキンシップは、男女が付き合う形として、いずれは光と経験するかもしれない、と泉は考えていた。それは多くの人がいずれ経験する事なので、自分も時が来たら抵抗なくできるだろう、と思っていた。

 しかし、目の前で抱っこされた万帆を見て、泉は嫉妬してしまった。

 私、まだ手もつないだことないのに。

 どうすれば、山川くんが自分を抱っこしてくれるのだろう。

 そんなことを、泉は帰りの車中からずっと考えていた。


「山科さん。うちに着物はないかしら」

「はい? お母様の着物は、引っ越しの時にかさばるから一昔前に処分してしまいましたが……あらあら、もしかして、その同級生の女の子が着物を着ていて、お友達が見とれてしまったのですか?」


 この人、なんでこんなに勘が鋭いのだろう、と泉に悪寒が走った。


「草履の鼻緒が切れていたの。私も草履を履けばいいのかしら」

「違いますよ! もう、どうして泉ちゃんは女の子なのにファッションへ興味を持ってくれないのかしら」


 泉のデート服、実は山科が選んでいる。ちなみに泉はファッションへ興味がないのではなく。センスが壊滅的である。ヘンなTシャツが大好きなのだが、自宅以外では着ないように山科からきつく言われていた。


「私も、外見でアピールできるようになればいいのだけれど」


 山科はそれなりに気合いを入れて泉のデート服を選んでいたのだが、たしかに初詣の着物というダークホースには勝てないな、と思った。

 そこはもう負けても仕方ないとして、このまま泉のセンスに任せていたら二人の仲が永遠に進まないと察した山科は、あるいたずらを仕掛けることにした。


「泉ちゃん。着物なんかより、もっと男の子を虜にするものがありますよ」

「何かしら?」


 泉が目を輝かせている。山科は、とても悪そうな表情で、小声でつぶやく。


「下着です」

「……下着?」

「そう。勝負下着。男子はみんな大好きですよ」

「……そ、そんなの、見せられないわ。恥ずかしいもの」

「お家で二人きりなら大丈夫ですよ」

「そ、そ、それって」

「そうです。男なんて、脱げば落ちるんですよ」


 根も葉もない話だったが、そのようなアプローチを全く考えていなかった泉は、いろいろと想像してしまい、頭の中が沸騰してしまった。


「さて、お昼食べたらデパートの初売りに行きますよ!」


 妙に気合が入っている山科。泉は、自分が光に下着姿を見せ、さらにそのあとの展開を具体的に想像してしまい、彼女の高度な思考能力はその間、すべて消えてしまった。

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