第12話

 一月三日。

 予定通り、泉と光は涼宮神社へ初詣に向かった。涼宮神社とは、このあたりでは最も大きな神社で、初詣の時期にはたくさんの人が訪れる。屋台もかなり出店し、最寄り駅から神社までの参道は大賑わいになる。

 光は、涼宮神社の最寄り駅で朝八時に泉と会った。例によって、泉は黒塗りの高級車に送迎されていた。それにしても、泉は毎回朝早い時間を指定してくるので、寝正月を送っていた光には若干辛かった。

 泉はこの前、青柳モールで会った時と同じコートを着ていた。光も正月だからと言って気合を入れたりせず、ラフな格好だった。

 駅から涼宮神社までの道を、二人は人の流れに任せて、ゆっくり歩き始める。


「行きましょう」

「おう」

「山川くん、初詣には毎年行くの?」

「家の近所の神社には毎年、年が明けてすぐにお参りしている。涼宮神社には、母が生きていた時はよく来ていたが、久しぶりだな」

「意外と信心深いのね。でもそういうの、素敵だと思うわ」

「そうか? 当たり前のことだと思っていたが」

「今時、そういうものを当たり前のように信じられる人って少ないわよ」


 相変わらず、光と泉の会話は調子がよかった。

 そんな二人を、人混みに隠れながら、瑞樹と美帆が追っていた。


「早めに集合してよかったわね。倭文さん、朝型で有名なのよ」

「まだねむいんですけどー」

「しっかり歩きなさい! 置いていかれるわよ」

「えー、そんなに早く歩いたらお姉ちゃんついていけないよ」

「……」


 この日は、瑞樹と美帆だけではなかった。万帆が、二人の後ろをついて行っていた。

 カジュアルな格好をしている瑞樹と美帆に対し、万帆は人混みの中でも目を引くほど目立っていた。

 着物を来ていたからだ。

 地味な色合いで、帯も簡素なものだったが、立派な振り袖だった。

 万帆は身長が低く、髪が短いので、着物を着るといかにも日本の美人という感じで、よく似合っていた。


「あー、ごめんね万帆ちゃん、着物じゃ早く歩けないよね」

「先に行ってくれてもいいですよ……」


 万帆は、着物で目立っているのが恥ずかしいらしく、弱気だった。


「もっとしゃんと歩きなよー。わたしもそれ着たかったんだよ」


 この着物は万帆の母親のものなので、美帆のぶんはなかった。


「万帆ちゃん、目立ってるってことは、山川くんもきっと気に入ってくれるわよ」


 瑞樹が万帆の肩をぽんぽん叩きながら、耳元でつぶやく。


「本当でしょうか……」

「心配しないで。あいつ……倭文さんって、女の子なのにファッションに対する興味がないの。今日だって、この前と同じコート着てるでしょう。あの子、服装で山川くんに気に入られよう、なんて気持ちは一つもないのよ。そこを万帆ちゃんがその綺麗な着物で、偶然通りかかるの。離れていた山川くんの心は一気に戻るはずよ」


 言いながら瑞樹は、怪しい笑顔を浮かべていた。この作戦、光の注意を万帆に移すのも大事だが、瑞樹としては、服装で負けた泉が悔しがるところを見ることの方が楽しみだった。


「瑞樹ちゃん、なんか悪いこと考えてない?」


 美帆にそう指摘されたが、「万帆ちゃんのためよ」と瑞樹は答えた。


* * *


 境内に着いた泉と光は、まず本殿を参拝した。

 とても綺麗な二礼二拍手一礼で、二人の動きがぴったり合っていた。背後からうかがっていた瑞樹たちは、ここでも二人の相性の良さを見せつけられた。

 瑞樹の作戦では、二人が本殿のお参りを終えたあと、美帆と万帆が偶然を装って二人とすれ違い、美帆が万帆の着物を猛アピールすることで、二人の仲を険悪にするはずだった。

 ところが、


「山川くん、次はどこへお参りする?」

「お裏参りも一応済ませておくか。めったに来ないからな」


 謎に信心深い光は、涼宮神社のお裏参りコースを知っていた。本殿だけでなく、隅々までお参りしなければ、参拝は成立しないと考えていた。


「そう。私、お裏参りはしたことないのだけど、山川くんがそう言うなら一緒に行くわ」


 こうして、光と泉は本殿までの参道を引き返さず、人混みを縫って本殿の脇にある小道へ向かった。

 それを見ていた瑞樹たちは、予想外の行動に慌てた。


「えっ、山川くんどこ行くの!?」

「も、もしかして、誰にも見られてないところで姫始めを……」

「朝っぱらからそんな訳あるか!」


 いきなり下品なことを言った美帆を、瑞樹はぱしん、と叩いた。「あー、神様の前で乱暴なことしちゃいけないのにー!」と拗ねる美帆を無視して、瑞樹は必死で光たちを追った。

 涼宮神社は、街から少し離れた山の中に建っている。本殿の裏は雑木林になっていて、お裏参りをするためには舗装もされていない獣道のような山道を登らなければならない。そのためか、とても賑わっているのに、お裏参りをする人はほとんどいなかった。


「寒かったから、凍っているかもしれない。気をつけろ」


 普通、彼女をこんなところへ誘いはしないのだが、なにせ光は硬い男なので、参拝の形式を守ることにこだわっていた。だから泉をお裏参りへ連れて行くことに何のためらいもなかった。


「わかったわ」


 泉もまた、お裏参りというものを今まで知らず、こういうものなのか、という気持ちがあったので、特に文句も言わず受け入れられた……いや、それは嘘だ。泉は体力に自信がなく、山道を登るのは少し不安だった。しかし、光が先導してくれているので、その背中が自らを導いてくれる王子様のように輝いて見えて、自然について行ってしまった。


「むっ」


 山道の途中。光が足を止めた。そこにはかなり大きな段差があった。途中で足をかけ、ボルダリングのように壁を登らなければならなかった。


「これくらいなら大丈夫よ」

「いや。登った先が凍っている。滑ったら危険だ。少しそこで待ってくれ」


 光は、ひょい、ひょいと大きな段差を登り、上から泉に手を差し出した。


「ほら。そこに右足を引っ掛けて、ぐっと登るといい。登ったあとに滑らないよう気をつけてな」

「……」


 何気ない光の動作が、泉をときめかせていた。

 

「どうした? やはり怖いか」

「い、いえ、行くわ」


 泉が手を伸ばすと、光はその手が離れないように、ぎゅっと握った。固く、力強い光の手に握られ、泉は体中を抱きしめられたような感触を覚えた。

 しかし、もたもたしていられないので、泉は言われた通りに足をかけ、段差を登った。泉が思っていたよりも段差は高く、光に引っ張ってもらわないと厳しかった。


「帰りも気をつけよう。登る時より、降りる時の方が怪我をしやすいからな」


 光の言葉は、かつて父と母とでここに来た時、父に言われていたことの受け売りなのだが、初体験の泉には、光がとても力強い存在に思えた。

 その後、二人は裏参道の小さな社に無事到着し、お詣りをした。二礼二拍手一礼をしたが、この時は泉のほうが少し遅れ、ぎこちない動きだった。

 泉はこの時、次にあの段差を降りる時はどんな風にエスコートしてくれるのだろう、できればもっと光の体に触ってみたい……という雑念に追われていて、お参りどころではなかったのだ。

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