第10話

 瑞樹が、大地から予想外の告白を受けていた頃。

 光と泉は、ラブホテルの入り口で、大量のパネルから部屋を選んでいた。


「これはレンタルルームかしら? 広くてよさそうね。値段もそんなに高くないし」


 泉は、ここがどういう場所かわかっていないようだった。光は知っているので、流石に止めようかと思ったが、『どういう場所なのか』説明すること自体が恥ずかしかったので、何も言えなかった。


「この部屋にしましょう。ソファがあるから。ベッドは余計だけど」


 泉が選んだ部屋はスタンダードな一室で、ダブルベッドと二人向き合って座れるソファ、バスルームがある部屋だった。


「ホテルみたいね。ちょっと狭いけど」


 あまり外泊したことのない光は、ホテルの部屋の大きさがよくわからず、自分の部屋より広いこの部屋は広いものだと思っていたが、泉は違う感想を持っていた。

 二人でソファに座り、向き合って話す。


「さっき話は聞かせてもらったから、今度は私から話すわ」

「おう」

「私はね、将来、国家公務員になるつもり」

「国家公務員……?」

「ええ。国家公務員といっても色々な種類があるのだけど、私が目指しているのは国家公務員総合職。簡単に言うと霞が関で働いている官僚と呼ばれる人たちのことよ」

「どうして、国家公務員になろうと思ったんだ」

「私、両親が国家公務員なの。今は東京に転勤して近くにいないのだけど、両親から国家公務員の仕事のことは色々と聞かされてきたから、その影響が大きいわ。だから、山川くんがお父さんと同じ仕事を目指している、というのは何となくわかる。国家公務員という仕事は私の親が辞めてもなくならないけど、山川くんの家みたいに中小企業だとそういう事もあるんだなって」

「ああ……」


 光の考えでは、山川電工のような中小企業と国家公務員ではスケールが違いすぎるのだが、泉は同じようなものだと認識したらしい。


「でも私、親に国家公務員になれって言われた訳じゃないわ。自分で、自分のやるべき事はよく考えた。世の中いろいろな仕事があるけど、私は人のためになる仕事がしたいから。国家公務員なら、それを叶えられる。山川くんはそういうことを考えなかったの?」

「ううむ……」


 光は、そういう事よりもとにかく父の跡継ぎになることを考えていた。ただ、父・正明のように危険がある高所で働く人々がいることで、電気が皆の家庭に届いているのだ、という話は母から何度も聞かされていた。光はそれが社会に必要な仕事なのだと認識していた。


「親父の仕事は、危険だが、社会に必要な仕事だ。俺も、社会の役に立ちたい、とは思っている」

「そうよ。それでいいじゃない。だったらその方針のままでいいのよ。山川くんのお父さんの会社じゃなくても、電気に関わる仕事を選べばいいと思うわ」


 正明の宣言により頭が空っぽになってしまった光にとって、自分のこれまでの思想を否定せず、かつその思想を受け継いでくれる泉の考えは、とても心地よかった。

 てっきり、熱心な教師のように、自分の成績や将来の目標をベースに進路指導をされると思っていたのに、意外だった。

 泉の言葉で、光は久しぶりに、救われたような気がしたのだ。


「で、電気に関わる仕事をするとして、問題は自分の能力をどう活かすかよ。山川くん、この前の模試はどうだった?」

「ああ、倭文さんよりは悪いと思うが、一応俺の狙っている首都工業大学の電気科はB判定だった」

「……山川くん、けっこう頭いいのね。首都工業大学ってかなり偏差値のいい大学よ。知名度がなさすぎて、知らない人からの評価は低いけど」

「そう、なのか? 親父がとりあえずそこを目指せと言っていたから、とりあえず目標にしているだけだが」

「お父さんの影響が大きいのね……まあいいわ。とりあえず、その大学を狙う方針は変えない方がいいわ。今から文系の大学とか目指すのは大変だもの……あとは、大学に入ってから考えればいいと思う」

「そうなのか」


 意外にあっさりしているな、と光は思った。てっきり今後の人生について、説教のごとく指導を受けるのかと思っていた。


「私のように公務員が最終目標なら、大学合格と公務員試験の勉強を両立させる必要があるけど、一般企業に入社したいなら、大学に入ってからの就活で決まる。今から就活の練習をしても仕方がないから、まずは大学に入ることだけを考えて、勉強に集中したほうがいいと思うわ。今スマホで調べたけど、首都工業大学は筆記試験だけで入れるから、面接の練習も必要ない」

「そうか……」


 山川電工の解散のせいで、光はこれまでの努力が全て無駄になったような気がしていた。しかし、泉に後押しされた今後の人生の考え方のおかげで、そうではない、と自信が持てた。


「あまり深く考える必要はないのよ。私だって、もしかしたら国家公務員以外の別のものに憧れて、目標を変えるかもしれない。高校生の時点では、まだ選択肢はいっぱいあるの。でも、だからといって何も目標にしていないと、やるべき事が見えてこないわ。今の山川くんは、目標が何もなくなってしまった、と思っているんでしょう? そういう時は、とりあえず今まで積み上げてきたものをベースに、似たような目標を立てておくの。それで、その目標に近づく努力をしながら、別の目標が見えてきたら、そちらに切り替えればいいわ」

「そうか……そうだな……ありがとう、倭文さん」


 光にとって受け入れやすいこのメッセージは、本人も満足していた。光が泉の目をまっすぐ見て礼を言うと、泉はなぜか顔をそむけた。


「別にお礼を言われるようなことじゃないわ。私、山川くんに生徒会長選挙の応援演説をお願いしようと思ってるから、このタイミングで悩みができるのはあまりよくないし。そう、これは私の都合なのよ」

「そうだとしても、今の俺にはそれで十分、参考になった」


 泉の照れ隠しにも全く動じず、率直に礼を言う光。

 泉は、『自分と付き合える』ということの価値を光に与えることで、生徒会長選挙の手伝いをしてもらおうと考えていた。この人生相談も、その一貫だった。

 だから、光から生徒会長選挙の手伝い以外に、このような形で礼を言ってもらえるとは思っていなかった。

 なぜか、すごく嬉しい。

 それが、光に礼を言われた時の、泉の感想だった。

 これまで、あまり異性と話しこむようなことがなかった泉にとって、光の率直な態度は、ストレートに泉の心に入ってきた。

 どうしてだろう、お礼を言われただけだのに、すごく嬉しい。

 泉の胸中に、突如として様々な、整理できそうにない感情が生まれた。しかし、この場でそれを光に感づかれてはならない、と思ったので、泉はこの場を切り上げることにした。


「今日はもう帰りましょう。山川くん、突然のことでまだ疲れているでしょう。ゆっくり体を休めることも大事よ」

「ああ、そうだな」


 こうして、二人はラブホテルを出て、西青柳駅まで戻った。

 家の人が迎えに来る、という泉を駅前に残し、光が先に電車へ乗る。


「倭文さん、今日は本当にありがとう」


 最後の一瞬だけだが、光はいつも学校では見せない、笑顔を見せてくれたような気がした。

 その一瞬を、泉はしばらくの間忘れることができなかった。ケーキ屋さんで、泉の大好きなモンブランが他のケーキよりずっと輝いて見えるように、光のことが、泉の心中で大きなウェイトを占めるようになったのは、この時からだった。

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