第7話

十二月二十五日。日曜日。

 光は、泉に指定された通り、朝の八時に青柳駅の東口へ向かった。

 昨日、父・正明に山川電工の解散を告げられてから、光は相当なショックを受けていた。正直、今日のデートは断ろうとも思っていた。しかし、体調は悪くなかったので、断れなかった。光は熱が出ていなければ、他にどんな心と体の異常があっても学校に行くタイプの人間だった。

 黒塗りの大きな高級車がロータリーに止まり、そこから泉が出てきた。トヨタ・センチュリーという、皇族も使用している高級車だ。泉は相当な金持ちのようだ。しかし、憔悴している光にはどうでもいい事だった。


「おはよう」

「おう」


 泉はいつもと違う、真っ白なコートを着ていた。可愛らしい、というイメージの万帆とは違い、泉は大人っぽい美しさがあった。高校生とは思えないほど成熟した美しさだった。光はさすがに目が覚めて、少し気後れした。


「今からバスにのって、青柳モールに行って、映画を見ましょう」

「おう」


 青柳モールとは、地元民なら誰でも知っている大型ショッピングモールだ。シネコンも併設されている、かなり大規模なタイプ。

ちなみに青柳市は日本国のどこかにある架空の中小都市です。

 

「私、映画を見るのは好きで、アマゾ○プライムでよく洋画を見るのだけど、劇場には行ったことがないの」

「そうか」

「私の好きな映画でいいかしら」

「ああ、いいぞ」


 生気のない返事を連続する光だったが、泉は満足していた。おそらく光の態度より、映画のほうが楽しみなのだ。

 光としては、泉には申し訳ないがデートっぽく振る舞う精神的余裕がなく、映画に集中してもらう方が助かった。反面、やる気のなさに気づいてもらい、デートそのものが中止になるという希望も抱いていたが、そちらは今のところ実現しそうになかった。

 バスで十五分ほど走り、青柳モールのシネコンへ。

 光は普段、映画を見ないのでよくわからなかったが、泉が選んだのはとんでもない作品だった。アメリカ人大学生たちが夏至祭のため北欧のある地方へ行き、とある一族の猟奇的な儀式を目にする。光は内容を頭に入れられず、いつのまにかメインの登場人物全員が死んでいた。映画から今後の人生のアドバイスを受けられないか、と思っていた光だが、そういう作品ではなかった。


「噂どおりね……」


 見終わった後、泉はそれなりに満足したようで、ますます機嫌が良くなっていた。


「私、映画館に来るの初めてだから、いつも家で見るのと違って、すごく迫力があって楽しかったわ」

「そうか」

「わざわざ私のためについて来てくれて、ありがとう」

「おう」

「……あら? 効果がないわ」


 泉は鞄から小さなメモを取り出し、首をかしげていた。おそらく生徒会の誰かに考えてもらったというデートプランで、ここでお礼を言うように仕組まれていたのだろう。確かに泉の笑顔は魅力的だったが、今の光にはそれを受け止める余裕はなかった。


「次はランチにしましょう」

「そうだな」

「山川くん、何か食べたいものはある?」

「そうだな――」


 レストラン街へ歩きながら、光はあることを思い出した。

 かつて母が生きていた頃、レストラン街のオムライスを、光のリクエストでよく食べていた。子供の頃の光は、なぜかオムライスが好きだった。「またオムライス?」と母に呆れられながらも、毎回寄っていた。


「オムライスがいい」


 他の店のことはよく知らないし、初デートでどのような店に行くべきかそもそもわからないので、光はそう提案した。


「……そう。ならオムライスにしましょう」


 泉はメモを確認してから同意した。

 オムライスの店に入り、光は昔から食べていたトマトソースのオムライスを頼んだ。


「私はデミグラスソースでお願いします」


 泉が店員にそう言って、光は一瞬、デジャ・ヴを覚えた。

 母との記憶だった。

 幼い頃も、光がトマトソースと先に言い、あとから母がデミグラスソースと言っていた。

 その時の感覚が、一瞬蘇ったのだ。


「どうしたの? まだなにか頼むの?」

「い、いや、何でもない」


 光が驚いた顔をしていたので、泉が怪訝そうに聞いてきた。光は驚きを隠そうとしたが、対面で泉と座り、彼女の顔をじっくりと見た時、あることに気づいた。

 泉は、母に似ている。

 母親らしい包容力はないが、頭の良さ、急にデートに誘う思い切りの良さなどは、母を思わせた。しかもよく考えたら、整った顔立ちや大人っぽい美しさは、母そのものだった。

 自分をマザコンだと言うつもりはないが、このタイミングで母を思い出させる存在が目の前に現れたのだと気づいて、光は動揺した。

 じきに、料理が運ばれてきた。


「山川くん。せっかくだから、一口ずつ交換しましょう」

「おう……?」


 平静を装おうとしたのに、泉の何気ない行動が、光をさらに過去の世界へと引きずり込む。

 大皿が差し出され、光は一口だけすくい、デミグラスソースを口にした。

苦い。

 幼い頃の光は、いつも母が食べるデミグラスソースに挑戦して。

 苦くて食べられず、


「山川くん、舌は意外と子供っぽいのね」


『まだまだ子供だなあ』と、ふざけて言われていたのだ――


「――っ」


 光は、もろもろの苦しい感情に耐えられなくなり、スプーンを置いた。

 泉はそんな光の様子をじっと見ていた。どうやら彼女も、光が異常であることに気づいたようだった。


「山川くん。無理に答えなくていいのだけど――何か、嫌なことでもあった?」

「……」


 光は悩んだ。一応彼女とはいえ、はじめてゆっくり話すこの機会に、自分の身の上話をしたら引かれないだろうか。面倒な男だと思われないだろうか。

 だが、嫌われたらその時はその時でいい。もともと泉とは別れる予定なのだ。

 何より、今の光は、自分が抱えている悩みを誰かに話したかった。瑞樹や万帆とよく話すようになって、光は自分だけでなく、誰かに自分の気持ちを共有することの効果を知りはじめていた。それまではあまり人と話さず、ほとんど自分だけで抱えていたのだ。しかし今の光は、悩みを誰かに共有するだけで、自分の気持ちが楽になることを知っている。

 瑞樹も、万帆も、例の告白事件があったせいで、しばらくまともに話せないだろう。

 だったら、とりあえずこの子に聞いてもらうのも、いいかもしれない――


「実は――」


 光は、いろいろなことを泉に話した。

 母が三年前に亡くなったこと。この店は亡くなった母とよく来ていたこと。

 昨日、父親に家業である山川電工の解散を告げられたこと。

 泉が母親に似ている――というのは、流石にそう言われても困るだろう、と考え、言わなかった。というより、彼女が母親と似ている、などと言ったらマザコンだと思われるような気がして、言う気になれなかった。


「そうなの」


 泉の返答はあっさりしていた。特に感想もなかった。しかし、相槌はしっかり打っていたし、母の死や山川電工の解散を聞いた時は、あまり表情を変えなかったものの、とても真剣な目をしていた。少なくとも、全く興味がない訳ではなさそうだった。


「それで、山川くんはこれからどうするの」


 過去の話のフォローもなしに、泉はストレートにそう聞いてきた。

 それは、光が今、最も悩んでいることだった。余計な話をせずにいきなりそう言われて、光は泉に全てを見抜かれたような気分だった。


「……わからん。それを今、悩んでいる」


 泉は例のメモに目を通し、少し考えてから、おもむろに話した。


「山川くん。理想のクリスマスデートにはならないかもしれないけれど、ちょっと場を変えて、あなたの悩みについてゆっくり話さない?」

「ゆっくり、話す?」

「進路のことなら、私、いろいろ相談できると思うわ」


 泉の目が、輝いていた。

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