第4話

 万帆の告白を断り、泉と付き合うことになった日の、次の日。

 放課後、光は家庭科準備室へ向かった。


「正座」


 部屋に入ってすぐ、瑞樹の明らかに怒っている声が飛んできた。


「正座しろっつってんの」

「……はい」


 光は従った。最初は瑞樹が体操着の匂いを嗅いで、光が弱みを握ったところから始まったのに、今は上下関係が逆転している。


「色々聞きたいことはあるけど。長くなっても仕方ないから、簡潔に聞くわ」

「……」

「あんた、倭文さんのことが好きなの?」


 光は、答えに窮した。

 泉は美人だが、その存在を光が知ったのは昨日のことだ。いくら女性経験のない光でも、告白された衝撃ですぐに泉を好きになる、という事はなかった。

 しかし、今現在の光は泉と付き合っているのだから、泉を好きでない、というと、矛盾が起こる。好きでもない女と付き合ってはならない。硬い男である光は、こうも考えていた。

 今、泉のことが好きではないと明言してしまったら、告白を受け入れたことは間違いだということになる。自分が責められるのはよいが、それは泉に失礼な気がした。


「質問を変えるわ。あんた、万帆ちゃんのことはもう好きじゃなくなったの?」

「いや、それは……」


 反射的に返事をしてから、瑞樹の顔が少しだけほころんだ。上手くのせられたな、と光は思った。

 泉への気遣いのために迷っていたが、光が日頃考えていることの中で一番大きなウェイトを占める「万帆が好き」という気持ちは、そう簡単に否定できなかったのだ。


「その反応を見れただけで十分よ。倭文さんの告白を受け入れた、というのはただの間違いでいいのね?」

「……ああ。情けないことだが」

「あんたがでかい図体のくせにヘタレなのは、もうとっくにわかってる。一度告白を受け入れたせいで断れなくなった、とか思ってるんでしょう」

「……」

「あんた、ヘンなところで義理堅いもんね。でも万帆ちゃんは、あんたのそういうところも理解してくれてると思うわよ」

「……俺は、どうすればいい?」

「まず、倭文さんに、告白された相手を間違えたこと、ちゃんと話して。それから万帆ちゃんには、改めてあんたから告白しなさい。ってか、女の子に言わせるなんて男らしくないわよ。あんたがリードしなさいよ。でかいんだから」


 でかいのは関係ないだろう、と光は思ったが、いちいちつっこむ雰囲気ではなかった。

 瑞樹の言い方は厳しかったが、光への助言としては最適だった。光は光で夜通し考えたのだが、何もかも正直に話すのが一番だという結論に達していた。

 一人で悩みがちな光には、瑞樹のように、遠慮なく助言してくれる存在が必要だった。瑞樹のおかげで、光はそうしよう、と気持ちを固めつつあった。


「そう、しよう、と思う」

「そう。よかったわね、万帆ちゃん」


 瑞樹は突然、部屋の隅っこに向かって話しかけた。

 掃除用具入れのロッカーがゆっくりと開き、万帆が出てきた。

 ロッカーの中がホコリっぽいせいか、こほこほ、とむせながら万帆が顔を出す。その顔は真っ赤で、今にも蒸発しそうだ。瑞樹と光のやり取りを全部聞いていたせいだ、と光は気づき、今度は自分の顔が赤くなった。

 

「あの……光、くん」

「お、おう」

「近くに行ってもいいですか」

「と、当然だ。俺なんかの近くでよければいくらでも」


 日中の教室では、お互いに意識して接近を回避していたから、これは大きな進歩だった。

 一体、何を言われるのだろう?

 光が正座しながら待っていると、万帆がポケットから二枚のチケットを取り出した。


「これ、一緒に行きませんか」


 そのチケットは、駅近くのカフェで実施される、恩田陸の作品をテーマにしたピアノ演奏会だった。

 著名な評論家がゲストで、恩田陸の作中で出てきたピアノ曲を演奏し、物語と照らし合わせて解説が入るという、恩田陸ファンにはとても魅力的な企画だった。


「お母さんが、知り合いからもらったらしいので……お金の心配はいりません」


 チケットに書かれた金額を見ると、光の一ヶ月の小遣いがなくなってしまいそうな額だった。食事代込みだが、これを自腹と考えたら、とても痛い。


「一緒に行ってくれたら、わたし、もう一回、光くんに大事な話をしたいと思ってます。でも、それまでに、光くんに大事な話をしてもいいような状態に、なっていてほしいです」


 それはつまり、このデートの日までに泉との関係を断ち切れ、ということだ。

 泉を傷つける可能性はある。しかし、自分が好きな万帆のお願いだ。腹をくくって、その通りにするしかなかった。


「ああ……わかった、ぜひ一緒に」


 チケットを一枚受け取った光は、その券面をよく読んで、真っ青な顔になった。

 万帆もその変化に気づき、怪訝そうに光の顔を覗き込む。


「す、すまない!」


 光は、正座のまま頭を下げた。土下座のような格好だった。


「えっ? えっ?」

「このピアノ演奏会の日……十二月二十四日は、ずっと前から、予定が入っているんだ」


 予想外の言葉に、きょとんとする万帆。


「……は?」


 瑞樹が、怒りを隠さず、威嚇するような声を出した。


「十二月二十四日に予定があるって、一応聞くけど、その日がクリスマスイブで、恋人がいる人はデートをする日だって、わかってるわよね?」

「わかっている」

「しかも、二十四日は今週の土曜日よ。平日ならともかく、部活もバイトもやってない休日にあんたの予定が入ってるってなに? それは万帆ちゃんの心遣いを台無しにするほどの予定なの?」

「すまない……十二月二十四日だけは……どうしても駄目なんだ……」

「あ、あのっ」


 怒っている瑞樹とは対照的に、万帆は心配そうだった。

光の様子が、どうもおかしい。いつもと、違う。

それは、光が初めて、万帆より優先すべきものを万帆に示したからだった。全てを万帆優先にして行動していたここ最近の光が、初めてそれ以外のものを見せたのだ。

万帆は、それが本当に大事な予定だと、直感していた。


「言いたくなければいいですけど……何の予定なのか、わたしに教えてください」

「十二月、二十四日は……」


土下座のまま、光は重々しい口調で、ゆっくりと言う。


「三年前に亡くなった、俺の母親の命日なんだ……」

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