第14話
光は、ものごとをネガティブな方向に考えやすい性格である。
自分にとって都合のいいことが起こるなんて、全く思いもしない。
これまで経験したことのない、女子との恋愛について、となると、なおさらネガティブになる。
だからこそ、これまで万帆に接近するのをためらっていたのだ。
今回も、光は万帆が何か悪いことを話すのではないか、と身構えていた。
光にとって、万帆と美帆を間違えたことは、完全に自分の過失だった。
その過ちの代償は、どこかでやってくる、と光は思っていた。
だから、万帆が改まって話しはじめた時、光はその時が来た、と考え、死を覚悟していた。
「……この前、山川くんがわたしを家まで送ってくれる、って言った時、わたし、色々と嘘ついて、断ってしまいましたよね」
「ああ……そうだったかな」
光の全く予想していない話題だった。
その時、断られたことは少しショックだったが、家庭の事情などがあって自分の家の場所を知られたくない者は一定数いるので、仕方ないことだと光は考えていた。光にとって、そのことは大した問題ではなかった。
「本当は、バスですぐ行けるのに、家が遠いって嘘ついちゃって……あんな嘘をついたのは、実は理由があったんです」
「どんな理由だ?」
「わたし……山川くんのことを、美帆に知られるのが、嫌だったんです」
確かに、万帆は光のことを美帆に全く伝えていない、と言っていた。
きょうだいであれば、自分の好きな人の話をしてもおかしくないものだが、万帆は頑なに秘密を守っていた。
「美帆は、あのとおり私にすごくちょっかいを出してくるので……山川くんのことを知られたら、絶対にまたいじられるだろうと思って、美帆には山川くんのことを隠しておいたんです」
「お、おう」
美帆の性格を知った光としては、その方がいいのでは、と思える。
「でも……よく考えたら……山川くんがあんなに親切にしてくれたのに、美帆に会わせたくない、という理由だけで断ってしまうのは、すごく失礼なことですよね」
光は、どうやら万帆が自分の想像と全く違うことを考えている、と気づいた。
光にとって、その日万帆を家まで送れなかったことは、ごくわずかな記憶でしかない。
しかし、一方で万帆は、嘘をついて光の申し出を断ったことに、負い目を感じている。
「双子の妹がいる、って山川くんには言ってなかったから、断った本当の理由もわからないだろう、ってわたしは考えてたんですけど……美帆に見つかっちゃいましたし……そもそも、あんなうるさい妹がいる、っていうことは、もっと早く山川くんに伝えておくべきだった、って思って……」
万帆の話を聞きながら、光はあることに気づいた。
光は、美帆と万帆を間違えたことに対して負い目を感じているが、万帆はそれほど気にしていない。
万帆は、美帆の存在を今まで言っていなかったことに対して負い目を感じているが、光はそれほど気にしていない。
お互いに、すれ違いをしている。
「山川くん、わたしのこと、嫌いになりましたか……?」
気づくと、万帆は泣きそうな顔をしている。光が自分の負い目に悩んでいたように、万帆もまた、ここ数日は美帆のことで悩んでいたのだろう。
「江草さん」
「は、はい」
「俺が妹と江草さんを間違えていたことと、江草さんが妹の存在を隠していたこと。この二つで、おあいこだ。だから、今は貸し借りなしだ。そういうことにしないか?」
光はネガティブだが、そのためか現実的な思考が得意な性格だった。
この状況で光が「気にしていない」と答えても、万帆は納得しないだろう。
二人が公平な状態に戻らなければ、お互いの悩みは解消されない。
そう考えて、光は万帆に提案をしたのだった。
「……よく考えたら、そうですね」
「ああ。今回の件は、お互いに非がある。俺がはじめから妹の存在を知っていれば間違えることもなかったが、俺が妹と江草さんを間違えなければ勘違いしたままデートすることもなかった。だから、そこはおあいこなんだ。これ以上この問題について考えても仕方ない。だから、今まで通り、普通にいてほしい」
「ふ、普通にですか」
「何か?」
「えと……もうそろそろ、普通とかじゃなくて、一歩進んで、というか……」
「前よりは仲良くなったと思う」
「あっ、いえ、そうですよね、普通でいいですよね」
最後のところで万帆が少し詰まり、光は気になったが、その理由はわからなかった。とにかく万帆が納得してくれたので、光は満足だった。
「あの、一つだけお願いがあるんですけど」
「何だ?」
「美帆のことがばれてしまったので……江草さんって呼ばれると、わたしなのか美帆なのか、ちょっとまぎらわしいんですよね」
「同じ学校にいるのは万帆……さんだけだから、別にかまわないと思うが」
光は硬い男なので、女子を下の名前で呼ぶのが苦手だった。男子を含めみんなから下の名前で呼ばれるような気さくな女子相手でも、わざわざ名字で呼ぶのが普通だった。美帆のことも、名前は口にせず『妹』としていた。
「またあの子が邪魔しにくるかもしれないじゃないですか。いや、絶対また邪魔しに来ます」
「お、おう」
「なので……わたしのこと、万帆、って呼んでください」
すべての女子と一定の距離を保ち続けていた光にとって、それは難しい課題だった。
「万帆って呼んでくれたら、わたしも山川くんのこと、光くん、って呼びます」
態度を決めかねていた光に、万帆が交換条件を出してきた。それはとても甘い響きだった。二人の距離がぐっと縮まったような感じがした。
「わかった……そうしよう」
「じゃあ、今、呼んでみてください」
「……ま、ま、万帆、さん」
大男の光が、いかにも恥ずかしそうに言ったので、万帆は思わず笑ってしまった。
「はい、光くん」
万帆は、満面の笑みで、光の名を呼んだ。そのおかげで、光がここ数日、万帆を怒らせてしまったことに悩んでいた時の苦悩が、一瞬にして吹き飛んだ。
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