第7話

 約束の土曜日。

 光は、待ち合わせ時間の三十分前に到着した。

 瑞樹に背中を押されて万帆とデートをすることになった後、光は瑞樹に初デートの助言を求めたが、「いつもどおり話せば?」と一蹴されてしまった。

 光が正直に「緊張して何も話せないかもしれない」と言うと、万帆は「あまり時間が長くなりすぎないように」「相手の話題をいろいろ聞いてあげて」「服装は気をつけること」などと具体的なアドバイスをくれた。どれもオーソドックスなものだったが、光はそれらの言葉を真に受けて、新しい服を下ろしてデートに向かった。

 万帆は約束の十分前に現れた。


「こんにちは。待ちましたか?」


 一瞬、光は目の前に現れた女の子が万帆だと、わからなかった。

 学校で着ているベージュのコートと違い、真っ白なコートだった。その下は黒いキュロットスカートで、これまで制服姿しか見たことがなかった光は、その姿を見るだけで体中がじわり、と火照った。

 この瞬間まで、光は万帆の私服姿を見られる、ということを意識していなかった。いや、好きな人の私服姿が――しかも、自分とのデートのためにわざわざおしゃれをしている、という事実が嬉しすぎて、光は返事もせず、万帆の姿をまじまじと見つめてしまった。


「あ、あの……わたしの格好、へん、ですか?」

「いや、変じゃない。に、似合っていたから、思わず見入ってしまった」

「えっ、そ、そうなんですか、ありがとうございます。や、山川くんもかっこいいですよ」


 ふたりとも恥ずかしくなり、顔を真っ赤にしながら、目線をそむけた。

 二人で店に入り、四人がけの席に座ると、万帆はコートを脱いだ。白基調の落ち着いたセーターが、光には眩しい。本当に、好きな子の私服を見られるという喜びは計り知れないものだった。この時点で、光はこの日の目的の九割を達成したような気分になった。

 二人でメニューを眺める。亮太からもらったチケットは一人二千円もあるので、だいたいのものは頼める。

 万帆がチーズ入りのハンバーグにする、というので光も同じものを頼んだ。二人でハンバーグを同時に切り、チーズが中からとろり、と出てくるところを見て、笑った。

 すべて食べ終えたあと、チケットの内容を読んでいた万帆が、一度に二千円使わなければ残りは無効になる、と気づいた。

 ちょうどデザートが頼めるくらいだったので、光はふたたびメニューを広げた。

 万帆は明らかにチョコバナナパフェに視線を合わせていたが、なかなか注文しようとはしなかった。


「うーん……」

「どうした? パフェがいいんじゃないのか?」

「食べたいんですけど……こんなに一度に食べられないと思って。食べ物を残すの、もったいないですよね」

「それなら、余ったら俺が食おう」

「えっ、いいんですか?」


 どうやら万帆は、注文したものを残してしまうことが気がかりだったらしい。光は体格相応の大食いなので、チーズ入りハンバーグを食べ終えた時点で、まだ半分も胃が埋まっていなかった。


「えへへ。彼氏さんがいると、こういうこともできるんですね」


 彼氏さん、という言葉に、光は驚く。一度デートをしただけで彼氏認定されていいものなのだろうか? いや、わざわざ恥ずかしい告白劇をするより、さっさと万帆に認めてもらった方が楽なのだが、それにしても突然すぎた。


「あっ、今のはそういう意味じゃなくて、もし彼氏さんがいたらこういうこともあるんだなあって、そういう意味ですよ! わたし、男の人と付き合う機会なんかちっともなかったので……わたしみたいな大人しい子に彼氏なんかできる訳なくて……」


 光の異変に気づいた万帆が、言い訳を繰り返す。光は安心したと同時に、まだ彼氏と認められていないことに落ち込んだ。


「そんなことない。江草さんは男子からも人気だし、いつ彼氏ができてもおかしくない」

「えっ、わたしが人気? 嘘ですよね?」

「おとなしくてあまり話さないが……そういうところも含めて可愛いんだ」

「そ、そんなこと言われたら恥ずかしいです。えへへ」


 それは男子からというより光の本心だったが、万帆の照れ笑いが今日いちばん可愛かったので、スルーされた事は気に留めず、素直に喜んだ。


* * *


「食事が終わったら、家まで送ってあげなさい。一人で帰れない訳じゃないけど、余韻も含めた雰囲気が大事なのよ」


 光は、瑞樹からそう言われていた。

 なので会計を済ませたあと、光は万帆に家まで送ろう、と提案しようとした。


「家まで送ろ――」

「あの、このあと――」


 二人の言葉が被り、気まずい雰囲気になる。引っ込み思案な万帆がぐっと黙ったので、光が先に話すことになった。


「家まで、送る」

「えっ……あの、わたしの家、ここの駅から下りなんです。山川くんは上りなので、山川くんの時間を奪ってしまうので、それは悪いです」

「この後は特に予定がないから、別にかまわない」

「い、いえ、私の家は駅から歩いて三十分くらいかかりますし、やっぱり迷惑ですよ」


 光は迷った。瑞樹のアドバイスは守るべきだが、万帆が頑なに断っている。どんなに遠くても、好きな人がどんな家に住んでいるかは知りたい。光にとって、今から遠くまで移動することは問題なかった。しかし嫌がっている万帆に無理矢理ついていく訳にもいかない。


「なら、まあ、駅で電車に乗るまでは送ろう」

「あっ、はい、お願いします」


 結局、万帆の意思を尊重しつつ瑞樹からの助言も実現する形でそうなった。一緒に遊んだら、途中まで一緒に帰ることなど、当たり前なのだが。

 わずか五分程度の道を、二人で歩きはじめる。一歩踏み出したとき、万帆が光の予想以上に近寄ってきて、ふわりとしたコートの袖が、光の腕に触れた。

 光はとっさに避けた。誰かとぶつかりそうな時は自分から避けないと、他人(特に女子)は光の圧倒的な体格に恐れをなし、おびえてしまうから、そういう癖がついていた。

 

「あれっ……?」


 しかし、万帆の反応は、光がこれまで経験したことのないものだった。怯えはなく、しかし残念そうな顔で、光の腕を見ていた。


「どうした?」

「あ、いや、なんでもないです……」


 結局、光には万帆のこの時の行動の意味がわからず、あとで瑞樹に事後報告するまで気づかなかった。

 この後、光は律儀に下りホームまで万帆についてゆき、電車のドアが閉まった後もひたすら万帆を見送った。

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