第5話

 図書室の最奥が、静寂に包まれた。

光はしばらく何も言えなかった。何も話さないでいると、古い本特有のカビっぽい匂いを感じて、我に返った。


「……なぜ、そう思うんだ?」


 それは光の、率直な気持ちだった。

 たしかに光は、これまで女子と付き合ったことがない。つまり、異性愛者であることの証明はしていない。しかし、だからといって同性愛者だというのは、短絡的すぎるように思えた。

 学校での行動を思い返しても、女子とはあまり話さないのは確かだが、女子との話し方がわからず、男子とばかり話す男子などいくらでもいる。あとは光の長身で筋肉質という体型がゲイを連想させたのかもしれないが、これは正直、本人にはどうしようもないので、そうだったとしたら落ち込むしかなかった。

 光の考えに対して、万帆の答えは予想外のものだった。


「だって、山川くんが貸してくれる本って……男性どうし、の要素がある本ばっかりだから」


 光はそれを聞いて、納得した。

 万帆が『仮面の告白』を読んでいる、と聞いた時から、光は万帆に勧める本を、必ず男色の要素があるものにしていた。恩田陸の作品にそういう要素をもつものが多かったこともあるが、光の真意としては、


「いや、別にそういうのが好きだという訳じゃない。男と女では趣味が違うから、江草さんが楽しめそうなものを選んだだけだ」


 ということだったが、この返事は非常にまずかった。


「そ、それってつまり……わたしのこと、ふ、腐女子さんだと思ってるってことですか!?」


 光がゲイでないとすれば、万帆に男性どうしの要素のある本を渡している、という行動の意味は、万帆がそういうものを好んでいるから、としか説明できなかった。


「い、いや、そういう訳ではない」

「じゃあ、どうしてそういう本ばっかり貸してくれるんですか」

「面白く、なかったか?」

「い、いえ、面白かったですけど」

「俺は恩田陸のほとんどの本を読んでいて、ネットで感想なんかも読んでいるが、どうやら男性読者と女性読者の好みには、違いがあるらしいんだ。だから、俺が好きなもので女性読者からの人気も高い本を選んでいた。そうしたら、勝手にそうなっただけだ。江草さんにそういう趣味がある、とは思っていない」

「そ、そうなんですか、それはよかったです……」


 無口な光がめずらしく早口で話したので、万帆は気圧されていた。

 実を言うと、光は中学生の頃にクラスの女子が「女の子はみんなBLが好きなのよ!」と言っていたのを聞いたことがあり、それを密かに試していた、ということもあったのだが、このことは万帆には話さなかった。まさか感づかれるとは思わなかったのだ。


「ちなみに、わたしはもし山川くんが、お、男の人が好きな人でも、ヘンな目で見たりしませんよ……?」

「いや、それはない。男をそういう目で見たことは一度もない」

「じゃ、じゃあ、女の人が好きな人、なんですね?」

「そうだな」

「……それは、よかった、です。えへへ」


 少し表情がほころぶ万帆。光にはその反応が疑問だった。仮に光が同性愛者だとしても差別しない、と言っていたのに、異性愛者だと知って喜ぶのは、なぜなのか?


「よかった、のか?」

「えっ、あっ、いや、何でもないです、今日はありがとうございました」


 光がそれを指摘すると、万帆は顔を赤くしながら、逃げてしまった。


* * *


「ほーん」


 その翌日の放課後、光はこれまでの出来事を瑞樹に報告した。瑞樹に呼び出され、誰にも見られることのない、家庭科準備室という物置のような部屋に集まった。瑞樹は生徒会に関わっているので、教室の鍵はだいたい持っている、とのことだった。

 瑞樹は、光の報告をとてもつまらなそうに聞いていた。


「普通に脈ありじゃない」

「そう、なのか?」

「……あんた、そこまで仲良くなって、気づかないの? あんたのことをゲイじゃない、って知ったあと江草さんが喜んでたのって、江草さんとあんたが付き合える可能性があるから、ってことよね。ゲイだったら付き合わないでしょ、普通」

「そういうこと、なのか……?」

「そういうことよ! そもそも、気になってる男子以外に『あんたゲイなの?』なんて聞かないわよ。聞いてる方だって、ヘンな奴だと思われちゃうかもしれないんだから」


 確かに、いきなり女子から性的嗜好を聞かれたら警戒するだろうな、と光は思った。それにしても、『男の人が好きな人』などとオブラートに包んだ言い方だった万帆と比べ、瑞樹の表現は実にストレートで、光は同じ女子なのになぜこうも差があるのか、と不思議に思った。


「で、これからどうするのよ」


 瑞樹はカ○リーメイトをばりばりと食べながら、光に迫った。これは単に不機嫌なのではなく、うじうじしている光に発破をかけるため、威圧しているのだ。


「しばらくは、このまま本の貸し借りを続けて……」

「却下」

「なぜお前が決める」

「あのねえ、女の子のハートを掴むにはタイミングが重要なのよ。長いことゆるい会話を続けて仲を深めるのは確かにありだけど、長い付き合いになるぶん悪いところだっていくつも目に入るの。相手の気が変わらないうちにぐっと攻めて、既成事実をどんどん作っちゃうのよ」

「き、既成事実だと……?」

「今エロいこと考えたでしょ」

「それ以外に何かあるか?」

「ねえ、あんたもしかして平成か昭和から来たの? 今どき、気になった男子と軽くデートするくらい、高校生なら普通にするわ。付き合ってなくても、何度かデートして、そこそこいい雰囲気で終わった、ってなればいいのよ。あんた、どうせ告白とか苦手でしょ? 別にちゃんと告白とかしなくても、なんとなく流れで付き合った、でいいんだから」


 光は彼女の作り方など全くわからないので、瑞樹の言葉を信じることにした。


「しかし……」

「あー、はいはい、デートの誘い方でしょ。面倒だから私がセッティングするわ」

「なに?」

「もう生徒会の時間だから、私行くね。あっ、あのことは絶対、他の人に言っちゃ駄目だよ! こんなに手伝ってあげてるんだからね!」


 瑞樹がなぜその秘密にこだわるのか、光には疑問だった。これだけ光のために骨を折っている瑞樹に対して、光はむしろ感謝しているほどだ。秘密を守るための対価以上のものを、光は受け取っている。

 そもそも、光は瑞樹の秘密を誰かに言うつもりなど、全くないというのに。

 瑞樹の真意はわからなかったが、万帆をデートに誘う方法はもっとわからなかったので、光は従うことにした。

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