第4話

「普通に話せるじゃない!」


 放課後、帰ろうとしていた光を、下駄箱のところで瑞樹が呼び止めた。誰にも気づかれないよう、物陰に隠れて。


「清宮がきっかけを作ってくれたおかげだ。俺一人では、どう話せばいいかわからなかった」

「そ、そうなんだ。ならよかったけど。しばらくは一人で話せそう?」

「ああ。お前に迷惑をかけるのも悪い」

「でも最初に話した時は続かなかったんでしょ。ねえ、一応LINE交換しときましょうよ。何かあったら相談に乗ってあげる」

「俺は、江草さんと今日みたいに話せれば、それでいいんだが」

「なに草食系男子みたいなこと言ってるの。話してるだけで、男女の仲が進展しなかったら意味ないでしょ。最初のほうは趣味が一緒だから話がはずんでも、それ以外は何も話題が合わなくて自然消滅、ってパターンもあるんだからね」


 光は多くを求めないつもりだったが、瑞樹の言うことは一理ある、と思った。結局、すでにスマホを準備していた瑞樹とLINEを交換してしまった。


「手伝ってあげるから、あのことは秘密だよ?」

「別に言うつもりはない、と前から言っているだろう」

「本当かなあ。まあいいや、またね」


 瑞樹はさっさと帰ってしまった。光があとから続き、下駄箱から靴を出していたら、ちょうど同じクラスの福永大地という男子が隣にきた。


「よっす」

「おう」


 福永大地はサッカー部のエースで成績優秀、性格も優しい男だ。容姿も申し分なく、女子からの人気は高い。彼女はいないそうだが。

 この大地という男子、光とはなぜか気が合い、学校ではよく話していた。本人いわく話す相手はそれなりに選んでいるらしいが、光はお気に入りの一人らしかった。

 光は大地と友達になろう、とは思っていなかったのだが、大地の方からよく話しかけられていた。部活や委員会をせず、成績は大して良くもなく、活発に遊び回っている訳でもない光は、大地のようなリア充とは無縁だと思っていたのだが、とにかく光は大地に気に入られたのだ。大地と話せることで、大地の取り巻きのリア充男子とも接点ができ、クラスではそれなりに居心地よく過ごせているから、光はそれで助かっている。


「清宮と、何話してたの」


 どうやら、瑞樹と話していたところを見られていたらしい。少し棘のある言い方だった。光は表情を一定に保つのが上手い(だから周囲にビビられるのだが)ので、心の動揺は大地に伝わらなかった。


「狙ってるの?」


 何も返事をせずにいたら、大地が追撃してきた。


「いや、そういう訳ではない」

「気をつけろよ。清宮、人気者だから。もし付き合ったりしたら、恨み買いまくりだぞ」

「そう、なのか?」

「ああ。入学してから今まで、何人の告白を断ってきたか、本人も数えきれないほどらしい。女子にも告白されたらしいぞ。しかも先輩の」

「あれだけ美人で気の利く女子なら、もてるのは当たり前だろう」

「ははっ、相変わらずおっさんみたいな事言うよな、お前。まあ気をつけろよ。本人が何も思ってなくても、周囲が誤解することもあるんだからな」


 部活がある大地は、早足でグラウンドへ向かっていった。

 瑞樹を狙っている、と大地が誤解していたことは、光には意外だった。今日は万帆と話した日なので、万帆狙いだと気づかれていないか、そればかり心配していたのだ。

 ただ、大地が言うとおり、これまで接点のなかった光と瑞樹が急に話し出すのは、不自然だ。大地は光へ、親切にも警告をしてくれたのだ。これまでも光は、クラスの男子たちの微妙な権力闘争に気づかず、大地にフォローされて仲違いを回避した、という事を経験していた。

 瑞樹とはいろいろあったが、やはりこのまま接触を続けるのは危険だ。この時から、光はそう考えるようになった。


* * *


瑞樹が一度アシストした後、光と万帆は定期的に話すようになった。

主に、光が万帆へおすすめの本を勧め、その代わりに万帆からもお気に入りの本を借りる、という流れだった。読み終わると、それぞれ少しだけ感想を言い合った。光には、その瞬間がたまらなく楽しかった。万帆の勧める本はどれも面白かったが、光としては、とにかく万帆に気に入られたい一心なので、万帆がどのような場面に感銘を受けたか、予想しながら読んだ。気にいったシーンは、不思議と二人とも同じような場面だった。

そんな関係が一週間ほど続いたある日、万帆が光にこんなお願いをした。


「図書室の本の整理、手伝ってほしいのですけど……」


 万帆は図書委員をやっていて、毎週木曜日は本棚の整理をしていた。光もそのことは知っていた。というか、万帆を見るためだけに毎週木曜日はなるべく図書室へ行っていた。


「わたし、背が低いから届かないところがあって。ちょっとだけ、手伝ってくれませんか……?」


 図書委員は、他の委員会活動と違って、定期的に図書整理という肉体労働を課せられるため、不人気な委員会だった。光のクラスでは、万帆以外に志望者はいなかった。だから万帆は、面倒事を押し付けている、という負い目を感じて、かなり控えめのお願いだった。

 もちろん光は、万帆と一緒にいられる時間が一秒でも増えればそれでいいので、二つ返事で了承した。

 放課後、光と万帆は図書室に案内された。

 この県立青柳高校はかなり歴史が長く、校舎も古い。本棚は、利用者のことなど全く考えていない、とても背の高いタイプだ。百九十センチ越えの光でも、最上段にある本には背伸びしなければ手が届かなかった。


「一番上の棚の本、誰も並べられないから溜まっちゃって……私だと、踏み台を使っても届かないので……」


 申し訳なさそうに、万帆が十冊くらいの本を運んできた。光は万帆に場所を教えてもらい、さっさと本を戻した。


「ありがとうございます! すごく助かりました」


 万帆は手を合わせ、とびきりの笑顔で言った。それは、光にとって、天使の笑顔であった。


「いや、これくらいの事なら、いくらでも手を貸すよ」

「あの……光くん、一つだけ、聞きたいことがあるんですけど……」

「何だ?」

「これを言うの、すごく恥ずかしいんですけど……こ、ここなら誰にも聞かれてないので」


 光と万帆は図書室の一番奥にいた。周囲に人影はない。

 誰にも聞かれたくない話、となると、光には告白としか思えなかった。

 万帆は心なしか顔が赤く、少し緊張しているようだった。もしかしたら、本来の目的は図書委員の仕事の手伝いではなく、この話だったのか?

 まさか、少し話しただけで、万帆は自分のことを好きになったのか?

 

「も、もし嫌な質問だったとしても、わたしのこと、嫌いにならないでくださいね……?」

「お、おう、心配するな、俺は江草さんのことを嫌いになったりしない」

「その……前から、気になっていたのですけど……」


 万帆が、光のすぐそばまで近寄り、手を顔にあて、ひそひそ話の格好をする。

 光は、自分の顔が万帆の顔にぐっと近づくなんて、そんなことあっていいのか、と心臓をドキドキさせながら、背を曲げ、万帆に耳を貸した。

 そして、光の耳にはこそばゆい吐息とともに、万帆がつぶやく。


「山川くんって、お、男の人が好きな人なんですか?」

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