第2話

「え、江草さんが好きなんだ……な、なんかすごく、意外、というか、はは、ははは」


 瑞樹の表情には、単純な驚きと、恋バナをする女子特有のいやらしさが入り混じっていた。その瑞樹の顔を見ると、光は恥ずかしくなり、うつむいてしまう。強面の光だが、意外にも恋愛には純情で、好きな人の話題になると何も言えなくなってしまうのだ。


「あっ、でも、いいと思うよ! 江草さん普通に可愛いし、男子からは密かに人気だって聞いたよ!」

「そう、なのか?」

「うん! 今のところ、アタックしてる男子はいないみたいだけど」

「それは良かった」


 奥手な光は、自分が江草万帆と付き合えるとは思っていなかったが、他に彼氏ができることを恐れていた。光が一部の男子としか話さないように、江草万帆は一部の仲良しの女子としか話さないタイプなので、その可能性は低かったのだが、あらためて確認できて光は満足だった。


「はあ。でも山川くん、そんなんじゃだめだよ。好きなら、行動に移さないと。絶対気づいてくれないよ」

「それはわかっている。だが、俺は江草さんと話せたことが一度しかない」

「一回はあるんだ。なら大丈夫だよ。女子って、生理的に無理な男子とは絶対話さないから。仮に話したとしても事務的なことだけで打ち切るから。勘違いされても困るし」

「お、おう」

「どんなことを話したの?」

「江草さんが読んでいた、本についてだ」

「本? ああ、そういえば山川くん、よく本読んでるよね」

「俺は、恩田陸という小説家が好きなんだ。最近、ピアノコンクールをモチーフにした作品で直木賞を受賞したが、それ以前からとてもいい作品を書いている。恩田陸の作品は、既刊はほとんど読んだほどだ」

「そうなんだ。私は読んだことないけど、そのピアノコンクールのやつなら知ってるよ。映画にもなってたよね」

「ああ。実はその作品を、江草さんが読んでいたんだ。その時はまだ、江草さんのことを、す、好きだという自覚はなかったのだが、本のタイトルがちらりと見えて、もしかして恩田陸のことが好きなのではないかと思って、話しかけてみたんだ」

「ほうほう。それでそれで?」

「江草さんは、恩田陸の作品はあまり読んでいなくて、その本を最近本屋で見かけたから手を出してみただけだった。俺は、恩田陸でおすすめの作品をいくつか教えた。そうすると、江草さんはそのお返しに、江草さんの好きな本をいくつか、おすすめしてくれた」

「それだけ?」

「ああ、それだけだ」

「それだけで好きになっちゃったの?」

「考えてみろ。俺みたいな近寄りがたい男に、面白い本を教えてくれるような優しい女子は、江草さんが初めてだったのだ。体格にも強面の顔にもびびらず、俺に優しく接してくれた女子は、江草さんしかいない」

「山川くん、ちょろいね……もし私が先に話してたら、私のこと好きになってたんじゃないの?」

「どうだろうな。とにかく今、俺は江草さんのことしか考えていない。何かにつけて江草さんの顔色を伺ってしまう。授業中も、休み時間もだ」

「重症だねえ。まあ、でも、心配しないで。そんな風に、好きな子のことばっかり気になっちゃう子、男子でも女子でもけっこういるから。で、一応確認するけど、山川くんは江草さんと付き合いたいのね?」

「……俺なんかが、江草さんと付き合えるとは到底思えないが」

「自信持ちなよ! 山川くん、たしかにちょっと怖いけど、女子からけっこう人気なんだから! 一学期のソフトボール大会でホームラン打った時とか、けっこう噂になってたよ。山川くんかっこいいなあ~って」


 光はスポーツをやっていないが、パワーだけはあるので、ソフトボールでは長打で活躍していた。光としては、自分のそのような何気ない行動が、女子に影響を与えるとは全く思っていなかった。光には女子の世界が全くわからない。瑞樹が光をフォローするために嘘をついているのかと疑ったほどだ。


「だからさ、きっかけさえあれば、江草さんと仲良くなるのは簡単だと思うよ」

「しかし……いきなり告白しても、俺みたいな男を、江草さんが好きになるとは……」

「あははっ! 山川くん硬すぎだって! いきなり好きになるわけないじゃん。両思いなんてありえないんだから、徐々に仲良くなって、そのうち好きになってもらえばいいのよ」

「そういうもの、なのか?」

「そうだよ。山川くん、まさか私が告白の段取りすると思ってた? 違うから! まずは仲良くなるところから、お手伝いするの! 上手くいってるカップルって、なんとなく仲良しな二人がそのまま発展するパターンが多いんだよ。いきなり告白なんかしたら、相手も身構えちゃうからね。成功率下がっちゃうよ」

「そうなのか。さすが、経験者は違うな」

「えっ」


 光は瑞樹のことをよく知らないので、自分の経験でものを言っている、と思っていた。だが実際のところ、瑞樹は男子と付き合ったことがない。勉強や生徒会活動に忙しい、というのが表向きの理由なのだが……


「わ、私は男子と付き合ったことないよ」

「そうなのか? なら、なぜそんなに詳しい?」

「女子はね、好きな人の話とか、友達どうしでしょっちゅうするの! したくなくてもしちゃうの! 女子ってそういう生き物なの。だから、私のことじゃないけど、友達の恋愛相談とかしてるうちに色々詳しくなっちゃった、ってだけだよ!」

「そういうものか」

「そうだよ。少なくとも、山川くんが一人で考えるよりは、私と一緒に色々仕掛けるほうがいいよ」

「それは間違いないな」

「でしょ。じゃあ、どうする? 山川くん、江草さんに話しかけられる?」

「無理だ。江草さんが近くにいるだけで、思考回路が強制シャットダウンする」

「あー、そう。本当なら、まずは山川くんが江草さんと自然に話せるよう、話術を鍛えるのが先だけど……めんどくさいから、私が手伝っちゃうね」

「手伝う? どういうことだ?」

「そうねえ……あっ、もうこんな時間! 今晩、寝ながら考えておくから! 明日以降、江草さんといつでも話せるように心の準備だけしといて! じゃあ帰るね!」


 瑞樹は時計を見たあと、一方的に帰ってしまった。

 光は、思わぬ形で江草万帆と接触できそうなことに喜びを感じていた。瑞樹が指摘したとおり、一人では江草万帆との距離を縮められる要素が全くなかった。一方、接触してみた結果が駄目だったら、そこで江草万帆への恋も終わる。その不安もあった。しかし、瑞樹のポジティブさと、経験から裏打ちされた作戦は、光にはとても魅力的なものに聞こえた。

 瑞樹に体操着の匂いを勝手に嗅がれる、という珍事件はあったものの、光はこの日、とても満足な気持ちで学校を後にした。

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