1、落下(2)
「もりーっ」
その時私を呼ぶ声と同時に、私の頭上で誰かの頭が私と日光との間を遮った。
「どうしたんさ、こんなところで。さっきも四階で大きな声で電話してたでしょ?」
見上げると、そこには三崎沙耶が立っていた。中腰で私を見下すようにして、彼女は私に右手を差し出した。
「私もあの時四階にいたの気づいてた? ……ほら、立ちなよ」
わけがわからない。もうどういうつもりなの。友達面はよしてよ。私にはもう……近づくな。
「どういうつもり……」
私は三崎の右手を、強く払い除けた。
「何で私に話しかけてくるの! どうせ私のことなんて自分より下に見てるくせに……」
言ってしまった。自らあの時のことを掘り返すようなことを。
「……森」
「だってさ変だよ、三崎さ、六年生の時私に何してたか覚えてないの? もちろん三崎だけがやってたわけじゃないし、三崎にだけ言うのは間違ってると思うよ。でもだからって……私が」
あれ。
「私が……」
あれ。
「ああ……ぐ」
声が詰まる。目の奥が熱くなって、胸の辺りが変にざわざわして。
何かが目から飛び出して、つつつと頬を伝っていって。
「私は三崎を……友達だなんて、思えないよ」
告げた。思っていたことを。簡潔に。率直に。
「……知ってた」
三崎は私が払い除けた右手を再び私の方に差し出して、今度は強引に私の左手を掴むと、ぐいっと引いて私を立たせた。
「知ってたしわかってる。森にそう言われたって私には言い返す言葉もない」
「……何で偉そうなわけ……?」
顎の辺りでぶら下がっている水滴を、手の甲で拭き取りながら私は三崎を睨みつける。
「偉そうにしてないさ、私はいつも通り。言い訳をするつもりはないし、なんていうかドラマとかによくあるテンプレみたいで説得力も欠片もないかもしれないけど……。誰かがいじめられていたとして、そしてそれを見ていたとして、自分もそれをしないといけない空気を作られたとして、それをやらないと自分もいじめられる側になってしまう可能性があったとして……ってこと……私の場合は完全にそれだった」
「それは言い訳……でしょ」
「まぁそうか……こりゃ言い訳だな。でも一つ勘違いしないでほしいのは、私は森を見下してなんてないし、こうやって普通に話しかけることを罪滅ぼしだなんてそんな風にも思ってないってこと。ただただ私が森を好きなだけ……まぁ森からしたらもしかしたら迷惑以外の何ものでもなかったのかもしれないけど」
「……うん」
「ははは、まぁそうだよなぁ。今でも覚えてるし今でも後悔してるんだよ。何であんなことに流されちゃったんだろうとか、何であの十分間の時に謝ることもできなかったんだろうとか。ずーっと後悔してる。でも……やっぱりなかなか口にする機会がなかったんだ。だから……」
その時、私は思い出した。三崎は確かクラスで占いをやっていて忙しいはずだということを。なのに何で……何でこんなところのいるのだろうか。しかも一人で、だ。遊んでいる様子もなく、何かを食べたりしている様子もない。それなのに三崎はこの校門付近で一体何をしていたというのだろうか。……まさか。
三崎の頭がゆっくりと下に下りていく。
「本当にごめん……」
どうしてよ。どうして今になって謝るの。
こんなのは……ずるい。
「っと、こんなんで許してもらおうだなんて虫が良すぎるって思うよ。だから続きは後夜祭の時……その時にちゃんと話し合いたい。……ダメか?」
私は無言のまま何も言えなかった。だから私のこの無言を三崎がどう捉えたのかはわからない。三崎のことだからまた自分勝手にいろいろ決めてしまうのだろうけど。
そして三崎は唐突に
「屋上行くぞ」
と言って歩き出した。三崎の言ったことの真意がわからず、私は三崎の背中に問うた。
「何で?」
「ほら、あれ」
三崎は校舎の上の方を指差した。屋上だ。
「今見つけた。何でなのかは知らないけど、森はあいつのこと追ってるんでしょ?」
屋上で景色でも眺めているのだろうか。そこにはもう学校から出て行ってしまったと思っていたあいつ、キャリーバッグの彼が立っていた。彼のいる場所は調度真下に外階段が設置されているところだ。
「ほら、急ごう」
何で三崎は私があいつを追っていることを知っているのだろうか。疑問点はいくつもあった。しかし今はそれらの全部を考えるのをやめて、私は屋上へと走って向かうことにした。
が、その時だった。
遠くてよくは見えなかったのだが、キャリーバッグの彼が景色を見るのをやめて、後ろを振り返ったのが見えた。しかし移動するわけではないらしく、どうやら誰かと喋っているようだ。
言い争っているのか、焦っているようにも見える。
そして次の瞬間。
「……え」
何かがふわりと宙に浮いた。黒くて大きな四角い何かだ。その正体がなんなのか理解した時にはもう遅かった。彼は軽々とそれを持ち上げて、屋上から真下にそれを投げたのだった。中に葵が入っているはずの、それを。調度真下の四階から一階に繋がっている外階段にキャリーバッグは着地して、ゴロゴロと転がりながら階段を落ちて行く。
「……葵っ!」
叫んだってしょうがない、それなのに勝手に声が出てしまった。落下の際にガコンガコンとそれなりに大きな音は鳴ったものの、周りの騒々しさに掻き消されて気づいている人は私と三崎以外に誰もいない。
キャリーバッグは二年生で構成されている三階の踊り場でゆっくりと静止した。
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