1、落下(1)
人一人を詰め込めるだけ大きなキャリーバッグ。その中に女子一人詰めて、彼はまだこの学校の何処かにいる。何度も何度も同じところを回ったがなかなか彼は見つからなかった。校内には隠れる場所なんてないと言っても過言ではない。だからきっと私が彼を見つけられないのは、本当に偶然なのだと思う。私が北にいれば偶然彼は南にいて、私が西にいれば彼は東にいる。きっとそうやって不運が重なり合ってしまっているのだ。
捜索の最中、何回か二年九組のクラスメートと遭遇した。しかし誰もが真剣に葵を探してなどいなかった。葵の捜索は他クラスの企画を楽しむついで、くらいにしか思っていないのだろう。これでは二年九組が実施している、あのしょうもない人探しと何も変わらない。
こうなると校門でキャリーバッグの男が逃げないよう監視する役を私の指示通りに全うしてくれている人は誰もいない可能性がある。学校外に出られては、もう追いかけようがない。私は誰かがきちんと監視を行っていることを願いながら、自らも校門へと向かう。
もちろん道中を捜索することも怠らない。念には念を入れて、女子トイレの個室一つ一つにも気を配る。
時間は既に三時を過ぎていた。昇降口で上履きから下足に履き替えて、校門に向かう。相も変わらず人が多い。近くに彼がいたとしても、見逃してしまうかもしれないほどだった。
私は考えた。もし葵が既に死んでしまっていたらどうするのか、と。もちろんその可能性があるからこそ私はこうやって動いているのだが、やはり心のどこかでそんなはずはないと思ってしまっているのだ。
あのキャリーバッグを奪ったら、まだ葵は中できちんと生きていて……もしかしたら口を縛られているかもしれないし、睡眠薬で眠らされているのかもしれない。なんにせよ無事で帰って来る、私の脳内にはそんなビジョンしか浮かんでこないのだ。それは殺人という事象が私にとって現実味のないことだからというのと、もう一つは葵を校内で殺すことは難しいように思えたからだった。もし校内で殺すのであればきっと現場は二年九組になるだろう。周りはどのクラスも盛況しているし、どこもかしこも人がいる文化祭の最中に殺人を行える場所といったら二年九組しかない。人はいないし、確かおせっかい女が教室に戻ってきた時には電気蝋燭も消えていたらしい。校内で殺人を行うのならあそこしかありえないだろう。加害者が男、被害者が女である以上、トイレでの殺人も不可能だ。
人を殺す際、被害者側は声が出てしまうのではないか。そうなってはいくら薄暗いからと言って二年九組の教室でも誰かにバレてしまうだろう。しかしその疑問もすぐに解消された。葵は自分が殺されることを知っていた……いや、願っていたのだ。望んだ死、なら声も出ない。彼が自分を殺すことを知っていて、もちろんそれを了承しているのだから。叫んで助けを呼ぶことも、恐怖で声を荒げることもない。何かしらの痛みで反射的に声が発せられてしまう可能性もあるにはあるが、おそらくそれはそういった殺害方法は避けているだろう。絞殺等なら声も出ない。紐やロープを用意するという手立てもあるし、二年九組には電気蝋燭も置いてある。あのコードを使えば首を締めることだって可能だ。
こうやっていろいろ考えれば考える程、私の歩く足は早くなっていく。殺されているはずなどない、そう考えてはいても条件が揃ってしまっている以上はゼロではないから……。
校門の周りにも人はたくさんいた。しかし辺りを見渡したところで、二年九組の生徒は誰一人として見当たらなかった。やはり誰も、本気で葵を探している人なんていなかったのだ。
バカだ。私は何でこうも手放しで自分のクラスメートを信用してしまったのだろう。あの時……小学六年生の時のあの屈辱を忘れたわけではないはずなのに。クラスメートなんてものはアトランダムに分配されたただの同い年の集合体に過ぎない。その狭い空間で、限られた人数で、仲良くなることを強いられる。私に言わせればそんなものできるはずもないのだ。話しかけられればなるべく明るい人を演じるようにもしているし、来るものはなるべく拒まないようにしているつもりでもいる。それでもやはり無理なものは無理だ。三崎のように私を友達だと思ってくれていても、私がそう思えないことだってある。
でも私の場合は……逆の方が圧倒的、いや全てがそうなのだ。私がどれだけ友達になろうとしても、相手がそう思ってくれない。きっと私はあの六年生の公開処刑の時から、人との接し方がわからなくなってしまったのかもしれない。だから私には、どれだけ強がっていても、どれだけ自分を偽り続けても、どれだけ明るい人間を演じようとも……
……本当の友達がいないのだ。
私を友達だと思ってくれて、私も相手を友達だと思える。そんな関係が私にはまったくない。私の学校生活を相関図でまとめるとするならば、担任の先生と私を線で結び付けて、お互いを〝先生〟〝生徒〟とする以外、私には線を引く相手が存在しない。それくらいに私は一人なのだ。
だからああやって、クラスの中でも存在感の薄い葵と文化祭のシフトを組まされたのだろう。
私は校門の近くに立っている大きめの木に寄りかかって、そのまましゃがみこんだ。私がキャリーバッグの彼を捜索している間、既に彼は校門から抜け出してしまっているかもしれない。いや、普通ならとっくにそうしているだろう。だからもう彼はこの学校内にいないと考えていい。キャリーバッグはもうない。葵もいない。だからそれを探す意味も無くなった。
葵が生きてキャリーバッグの中に入れられていたのだとしたら、学校外に出た彼は葵をどうやって殺すのだろうか。学校内とは違ってどんな殺し方だって構わないはずだ。キャリーバッグの中から聞こえたあの金属音は今に思えば凶器だったのかもしれない。ナイフや包丁の類か、あるいは一般人の私にはわからない殺人用の何かか。
恐怖で鳥肌が立った。
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