1、過去
友達か友達じゃないかの境界線は非常に曖昧であると思う。だから私はお互いがお互いを友達だと思える関係、それこそが本当の友達であると、そう定義づけた。自分が友達だと思っていても相手が自分を友達だと思っていてくれないというのは本当の友達とは言えない。もちろん逆も然りである。そしてもう一つは対等な関係であること。この二つの関門を突破して、そういう関係を築き上げるということは、想像以上に難しい。
三崎沙耶が私を友達だと思っていくれているのはどれだけ鈍感な私にだってわかっている。でもあれは何かが違う。三崎は私を対等には見ていない。それは彼女が、小学校の時に私にしていた仕打ちがあるからだろう。
あの時は確か、そうだ。卒業式前日だ。忘れもしない、あの公開処刑の如き所業を。
「みなさんは明日でこの学校を卒業し、晴れて中学生となります」
帰りの会で担任の先生は、私たちにそう告げた。若い女の先生で、四月はまだ不慣れな様子だったのだが、あの時にはもう立派な先生然としていた。
「みなさんはさらに一歩大人に近づいていくのです」
そんなものを実感できるはずもなかった。なぜならあの時の私は、大人になる未来よりも、今を生きる現在で手一杯だったからだ。
「そこで一つ、みなさんが大人に近づく前にやっておかなければならないことがあります。大人になるにあたって、必要なものはなんですか? 算数? 体育? 違います。 友達? なるほど、それは少しおしいですね」
何人かの生徒は挙手もなしに、先生の問いに対して次々と解答していく。先生もそれに一つ一ついちいち対応していく。
「正解は思いやりです」
大人になるのに必要なものとして、それを一番に上げるのはいかがなものかと。当時小学六年生の私ですらそう思った。子どもの社会にだって思いやりくらいは必要なのだ。何も大人に限ってのことではない。
「いいですか、みなさん。みなさんは明日卒業するのです。しかしながら私はみなさんを卒業させてあげることはできません」
教室中がざわめく。
「静かに! 残念ながらみなさんはまだ、思いやりという点においてはどうも欠けているそうです。そうですよね、森さん?」
突然の名指し。適当に聞き流そうと呆けいた私は、先生の目を見てきちんと対応する。
「えっと……」
何も言えなかった。が、思いやりに欠けているという話。そして私に同意を求めてくる。先生が何を言いたいのか粗方検討がついた。しかしそれを明日卒業式を控えたこの時期にいうのは間違っているではないか。私は今までずっと我慢してきたと言うのに。
「先生は知っています。みなさんは森さんにいつも何をしていますか?」
今まで騒がしくしていた生徒のほとんどが俯き始めて、教室中が静かになった。チラチラと私の方に視線を向ける者もいる。なんだこれは。やめてくれ。
「中学生になる前にこの問題を解決させましょう。みなさん、先生が何を言いたいのか、わかりますよね? あとはみなさん自身で解決に努めてください。一度先生は職員室に行きます。十分後にまた来ます」
思いやりの話をするために私が使われたとしか思えない。私がこのクラスメイトと過ごしてきた一年間の苦しみを、あの教師はたった十分でなかったことにしろというのか。
私は小学六年生の時、所謂いじめのターゲットにされたことがあった。理由はいまだにわからない。教室に入れば男子にふざけてボールをぶつけられ、トイレに入っては女子に水をかけられた。私が通る道はわざとらしくみんな避けて行った。クラスの全員が示し合わせたかのように、まるで最初から私をいじめるための台本が存在していたかのように、私をいじめない人間はそこに誰一人としていなかった。
こんなにも長い一年間は他になかった。でもそれ以上にあの時先生が設けた無意味な十分間……あれ程に長かった十分間はきっと今までに無いだろう。暫らく続く沈黙。誰も何もしようとはしない。ただただ時間は過ぎていく。ゆっくりと、まるでヘドロの中にいるような、気持ちの悪い感覚を味わった。グニャグニャと頭が回り、そして金属の擦れるような耳鳴りがして、呼吸ができなくなりそうで。
何もないまま。十分が過ぎた。
「みなさん、どうでしたか?」
先生が帰ってきた。最悪だ。
「そして何より森さん、もうみなさんと仲直りできたでしょうか?」
どうして私に聞くのだ。仲直り……ふざけたことを言うな。
「それでは森さん、みなさんに何か言いたいことがあれば今のうちに」
もうやめろ。
私は立ち上がった。みんな一様に私に視線を向けて、何か喋るのを待っているのだ。
「先生……」
みんなを許せるはずない。そして先生も。今まで何もしてこなかったというのに、ここにきてどういうつもりだ。
おそらくあの公開処刑のおかげではなく、中学に入って環境が変わると私へのいじめは自然と消滅し、私をいじめていた人も何食わぬ顔で声をかけてきたりした。その一人が三崎だった。三崎とは偶然にも高校も一緒になって、今ではよくわからない関係となっている。三崎の方はきっと昔のことなんて何とも思っていないのだろう。時効だとか、そんな風に思っているのかもしれない。今では、私のことを友達だと思ってくれているのはわかるのだ。でも私にはどうも過去のあれが引っかかって、彼女のことは本当の友達とは思えない。いや、というよりも……私は……。
きっと卒業式前日にあんなことをされたから、今の私はこうなってしまったのだろう。
あの時の私はもう何もかもが嫌になって、自分ではそれについて触れないことにしたのだ。だから確か私はあの時席を立った後先生にこう言って、何事もなかったかのように帰宅したのだった。
「ところで思いやりと友達って……どこが惜しいんですか?」
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