1、人探し(2)
私もすぐに彼を追って走り出す。
「え? 何、森どうしたの?」
「あいつ!」
説明などしていられず、とにかく前方を走る彼を指さして、一目散に追いかける。キャリーバッグを持っている分、私の方が早いかと思ったのだが、大勢の人が障害になるせいで速度は似たようなものだった。
クラスメートに電話をかけるため、走りながらポケットの中の携帯電話を取り出す。相手は誰だって良かったのだが、偶然すぐに見つかったのがおせっかい女だった。今ではもう遥か後ろにいて、後ろを振り返ったところで彼女の姿は見えない。
「あ、もしもし!」
「あ、森! あんんた一体何な……」
「葵見つけた!」
「はあ?」
聞き取れなかったわけではなく、おせっかい女は本当に意味がわからないといった様子で聞き返してきた。おそらく今朝までの私同様に彼女、葵の名前を把握できていないのだ。そういえばさっきも彼女の口から葵という名前は一度も出てこなかった。それも仕方がない。彼女はそれほどに存在感が無く、クラスでもあまり馴染みがないのだから。
「キャリーバッグを持った男を追って! 見つけたら捕まえて!」
「えっとつまりどういう……」
「あと学校の校門に誰か行かせて! キャリーバッグ持った奴がいたら絶対に外に出さないように! それじゃぁね!」
伝えたいことだけを伝えて、電源を切る。今ここで私が彼を捕まえてしまえば全ては終わる。そうなれば私が出した指示は何の意味も持たなくなってしまうのだが、むしろ今はそれが望ましい。
彼との距離は一向に縮まらない。「待て!」 や、「止まれ!」等の言葉を叫びたくてしょうがなかったが大事にできない手前、グッと堪える。キャリーバッグをガラガラと音を立てながら走る男に次いで、それを追いかける女子生徒という絵面だけでも目立ってしまうのだから、追いかける以上のことはできない。
端まで追い込めば、後は階段で下りるかもしくは屋上に上る以外に選択肢はない。葵がいくら細身だからと言って、一人の女の子を入れたキャリーバッグを担いで上に登るのはきついだろうし、何より上には逃げ場がない。おそらく彼は下に向かうだろう。何にせよペースダウンが望めるのは、このタイミングだ。
遠くで彼が廊下の端に辿り着いたのが見えた。思ったとおり彼はその場で立ちすくんでいる。しかしすぐに状況を判断して、下へとおりていくはずだ。それより先に誰かを三階に待機させることができれば……。私は再びポケットの中に右手を突っ込んで携帯電話を引き抜く。彼との距離は徐々に縮んで行く。もしかしたらこのまま行けば三階に誰かを待機させるよりも先に、私が彼を捕らえられるかもしれない。それでも失敗を想定して、わたしはまたおせっかい女に電話をかける。
「あ、もしもし! 誰でもいい、三階西階段に行って!」
そしてすぐに切る。こうでもしないと彼女は、理由を聞いてきたりとやかましい。
もうすぐ、もうすぐだ。私は頭の中で詳細にイメージする。彼に追いついてキャリーバッグを奪おうとすればきっと彼は抵抗するはずだ。振り切って階段で下に行こうとするだろう。それでも私はめげずに彼の進行を妨害しよう。時間が稼げれば、その間に誰かが三階で待機をしに来てくれるだろう。
彼は私の存在を横目に確認した。彼と目が合う。焦っているようだが、もう遅い。もう私と彼の距離は十メートルとない。絶対に捕まえてやる。そう決意して両足に力をこめて全力で走る。
その瞬間だった。
ガタン、と何か大きなものが動いたような、機械音がどこからか聞こえた。直後彼は、白い蛍光灯に照らされた。
「な……っ」
この学校の階段の横には、エレベーターが設置されていたのだ。普段はほぼ使われることのない、車椅子及び教師専用。そんな固定観念が無意識に私の中にあって、存在自体を忘れてしまっていた。もちろん使用するという選択肢があるということも。
「なんだよっ」
彼の姿が私の視界から消える。私がそこに辿り着くのと同時にエレベーターのドアが閉まった。私は思いっきりドアに体当たりをかましてしまい、すぐにボタンを連打する。しかし既に遅かった。四、三、二、一、と上部に設置された数字のパネルが順に点滅していく。
地域の人が集まる文化祭で再び彼を見つけることは骨の折れる作業だ。私は息を切らしながら、その場で壁に寄りかかった。
校門には誰かがいてくれているはず。つまり彼が学校から逃げることは不可能。そうともなると文化祭が終了するまでの間、残り二時間近くの間で彼を見つけ出して捕まえなければならない。
見つけて、捕まえて、あのキャリーバッグを奪って……葵を取り返す。
どうして私はこうまでに必死に葵を取り返そうとしているのだろうか。葵が殺されるかもしれないから? 葵が殺されているかもしれないから?
私にもわからなかった。でもきっと葵を見つけたら、その時はこの答えがはっきりするのだろうと、そう思うのだ。
私は再び走り出す。
本当の人探しはまだまだ始まったばかりなのだ。
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