1、人探し(1)
私は葵を探しながら一つの仮説を立ててみた。しかしその仮説は、立証するにはあまりにも証拠不足で、仮説というよりはそれこそ私の妄想と言っていい程のものだった。二年九組にはたまにしか客が入ってこない。午前中に店番をしている間も、入ってきたのは大きなキャリーバッグを引きずった男性だけだった。もしかしたら彼が何かを知っているかもしれない。さらに言ってしまえば彼こそが、葵を殺す予定の……いや、あまり悲観的なことを考えるのはやめておこう。
探している最中、何度か担任の先生に事情を説明してみようかとも考えた。だがまだ、事を大きくしないほうがいい気がして。水野葵が見当たらない、それだけでも学校側としては大事になり得る話だと言うのに、殺されるかもしれないだなんて、言えるはずもなかった。そして何より、こんな話を信じてもらえる気もしなかった。
きっと私は、一人で文化祭に興じている可哀相な女子生徒に見えるに違いない。人ごみを掻き分けながら、まずは四階を捜索する。四階は主として一年生の教室で構成されている。その中でも一際目立っていたのが二つのお化け屋敷だった。他のクラスと違って企画の性質上、中を覗くことが出来ない形態をとっているお化け屋敷は、人を探すという点においては迷惑極まりないものだった。9の字の仕事を放棄してまでお化け屋敷にいるとは考えにくいものではあるが、念には念を。
片方のお化け屋敷で受付を担当しているであろう、黒のマントを羽織っている女子生徒に声をかけ、葵の特徴を伝える。右手の甲に9の字が書かれているはずだ、と。彼女はお化け屋敷とはそぐわぬ満面の笑みで
「えと……すみません、見てないですね」
やはり葵は中にいないらしい。黒マントの彼女に対して会釈をすることすら忘れて、私はひたすらに四階を早足で抜けていく。
「あ、そうだ」
四階から三階に降りる階段の踊り場で、私は葵と携帯番号を交換していたことを思い出した。こんなにも簡単な解決方法を忘れてしまっている程に、私は焦っているようだ。しかしながら、誰もが携帯電話での解決方法に頼っていないところをみると葵の番号を知っているのは、きっと九組で私だけなのだろう。
アドレス帳を探っているとマ行で『水の葵』を見つけた。〝野〟が変換されていないのには何か意味があるのだろうか。
数回の呼び出し音。ここで何事も無く葵が電話を出てくれれば万事解決なのだ。しかし呼び出し音は一向に止むことなく、鳴り続ける。
その時。4階から微かに。
呼び出し音と連動して、携帯電話の着信音が聞こえた。もしかすると近くに葵がいるのかもしれない、葵が持っている携帯電話鳴っているのかもしれない。そんな淡い期待を抱きながら、私は踊り場から一段抜かしで階段を駆け上がり四階へと急いだ。
人が多いため、誰の携帯電話が鳴っているのかわからない。だが、そこに葵がいればいいのだ。それなのにいない。いない。いない。
人の声でにぎわっている中で、微かに鳴っている着信音。確実に存在しているその音が、私が関知できないところに消えてしまわないよう、細心の注意を払いながら耳を澄ます。
そして私は見た。見つけた。
最終的には聴覚ではなく、視覚にてそれを捉えた。残念なことに、それは葵ではなかったのだが。確実に、先から鳴り響いている着信音はその中から。
私は彼の背中に声をかける。慎重に。
「あの、すみません」
彼は引きずっているそれを止めて、私の方に振り返った。
「はい……なんでしょうか」
あの時、客として入ってきた男性。彼が持っているキャリーバッグの中から、着信音が鳴っていた。私が呼び出しを止めると同時に、キャリーバッグの中の着信音も止んだ。
つまりこれは……。
「申し訳ないのですが……キャリーバッグの中を拝見させていただいてもよろしいですか?」
彼はあからさまに嫌そうに、眉をひそめた。ギロリと睨まれているような、そんな気がして私は彼から目を逸らしてしまう。立ち止まっている私たちを見て、迷惑そうにしながら何人もの人間が通り過ぎて行くが、私はそんなことに気を使っていられるほど余裕はなかった。
「嫌だと言ったら……どうなりますか?」
「それなら……嫌だとは言わせない、と言ったら……どうなりますか?」
「なるほど……あーどこかで見たと思ったら……あなたさっきの」
私はコクリと頷く。同時に大きく唾を飲みこんだ。
「えっと……そもそも何故見たいんですか? 別に大したものは入っていませんよ」
「大したものでないのならなおさら……見せてください」
キャリーバッグの中から聞こえた着信音。いくら探しても見つからない葵。彼がこうして、キャリーバッグの中身を見せようとしないことで、可能性は徐々に大きくなっていく。葵が……キャリーバッグの中にいる可能性。生きていようが、既に殺されていようが、その可能性はどんどん肥大していく。
「うちのクラスのとある女子に電話をしたんです……そしたらあなたのキャリーバッグから着信音がして」
「つまり僕は携帯電話を盗んだ、と?」
「いいえ、そんなチンケな話ではなくて……」
彼をあまり刺激しないよう、慎重に言葉を選びながら少しずつ少しずつ、彼との間合いを詰めていく。こうなったらもう強引にことを運ぶしかない、そう考えた。彼が自分からキャリーバッグの中を見せない以上、葵の行方はもう知れたも同然なのだ。手を伸ばせばもうキャリーバッグを奪うことは可能だ。あとはそのタイミングを見計らうだけ……。
「森っ! あの子見つかった?」
その時背後から、私の名前を呼ぶ声が聞こえた。この声は……あのおせっかい女だ。私は反射的に後ろに視線を移してしまった。瞬間、自分がした失態に気づいて再び前方に視線を戻すが遅かった。私の隙を狙って、男はキャリーバッグを引いて、逆方向に走り出していた。
「あーもう!」
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