1、大凶(2)

 私は彼女の方に座っている椅子を少しだけ寄せて


「あのさ、この文化祭どう思う?」そう耳打ちした。


 初めて会話した。だからこそ本音で喋れるのではないかと、私は思った。クラスメートの総意で決定した人探し。正直言って私は反対だった。三年生のように人生最後の文化祭というわけではないが、だからと言って他クラスが多大なる情熱を向けているこの文化祭にどうして私のクラスだけはこうも消極的なのだろうかと。わたしは不服でならなかった。


「楽しくはない……」


 期待通りの言葉が彼女から返ってきた。


「やっぱり、そう思うよね!」


「うん、まぁ。そもそも企画に問題があると思うの」


「同感!」


 ついつい大声を出してしまった。私と同じことを思っている人がいてくれるとは。


「人探しなんてさ、賞品もあれでしょ。一番良いやつでそこのボロっちい遊園地のペアチケット。まぁ……あそこちょっと値段高いから、悪くはないんだけどね。だからってあれ目当てに人探そうとは思わないよね……」


 彼女はコクリと頷いて


「私も……そう思う」


 時刻は十一時十分。あと二十分で他の生徒と交代の時間だった。


「それより森さん、もう行ってもいいよ」


「え?」


「確か十二時から森さんは水泳部の方で仕事があるって」


 彼女は文化祭のしおりを隅から隅まで読んでいるのだろうか。確かに十二時からは水泳部としての仕事がある。屋上のプールを使って、シンクロナイズドスイミングを演じるのだ。廊下に掲示されているポスターやしおりに、それを行う部員たちの名前が記されている。彼女はきっとそれを見たのだろう。


「よく知ってたね」


「うん、まぁ。お客さんも来ないし、あとは私が見てる。準備とか最終確認とか大変だろうから……。それに私はどうせ十一時半からは9の字の担当だから」


 そう言いながら彼女は私に自分の手の甲を見せる。そこには既に『9』の数字が書かれていた。店番の後は犯人役か……なんだかんだ言って彼女も忙しい身らしい。


 お言葉に甘える形で、私は早速屋上へと向かう支度を始めた。教室の隅にあるクラスメート全員の荷物から、自分のカバンを見つけ出し、水着袋を取り出す。私がカバン探しに夢中になっている間、どうやら一人お客さんが入ったらしい。いつの間にか黒くて大きめのキャリーバッグを引きずっている若い男性が、彼女から企画の趣旨を聞いていた。


「それじゃあ……ありがとう」


 私は彼女に礼を済ませる。


「あ、そうだ」


 彼女は客の男性と話をしていたが、どうしても一つだけ聞いておきたいことがあった。せっかく話したのだからこれくらいはきちんと知っておかなければ。


「本当に申し訳ないんだけど、えっとね……名前」


「……私の?」


 彼女は人差し指で自分を指しながらそう言った。私はすこし申し訳なさそうに「そう」と頷く。


「知らなかったの?」


「本当にごめん」


「ううん、いいの。気にしないで。私も知っておいてもらいたいから。最後くらいは」


 彼女の言う最後の意味がこの時の私には知る由もなかった。あまり気にも止めず私は無言という形で、彼女の言葉の続きを伺う。


「私の名前は……葵、水野葵」


「水野葵、ね。綺麗な名前だね」


 私は携帯電話をとりだして、葵と番号の交換を提案した。「機械は苦手だから」と葵は少し戸惑っていたが、何とか番号とアドレスの交換は成功した。


「それじゃ……すみません待たせてしまって」


 客の男性に謝罪を済まし、彼の横を通り過ぎて行く。男は私に気を使ってか、キャリーバッグを少し自分のところに寄せて、軽い会釈をした。その時カランと金属のぶつかる音がした気がしたが、私はそんな些細なことに気を留めることは無かった。

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