溶けてこぼれて

斧間徒平

溶けてこぼれて

炬燵こたつの中で食べるアイスが一番おいしいと思うわけよ」


「……何を期待してるかは知らんが、外はクソ寒いから絶対に買いに行かんぞ」


 一面の銀世界が広がる窓の外を見たまま、僕は彼女の頼みをそっけなく断った。午後に入ってさらに気温が下がったのか、窓の縁にはすくえるほどの結露がついていた。

 先回りされた形になった凛子は唇を尖らせて拗ねている。そのすぼめられた唇はリップクリームでも塗っているのだろうか。乾燥しがちなこの季節でも、みずみずしい潤いを保っていた。


「じゃあはっきりお願いするわ。アイスが食べたい。この炬燵に入ったまま。お願いだから買ってきて。一生のお願い」


「一生のお願いは、今日だけでもう三回目だ。生まれ変わったら、もう少し丁寧な人生を心掛けろ」


「こんなに可愛い子が、こんなにお願いしてるのよ。雪だろうが嵐だろうが買ってくるのが真の漢気ってもんじゃないの?」


 凛子はこういう奴だ。断られても決してめげることはない。今も炬燵に入ったまま、「お願い、お願い」と念仏のように唱えながらズイズイとこちらに近づいてくる。やがて、彼女の太ももが僕の足に触れ、ついでその手が僕の手と重なった。

 柔らかな感触とじんわりとした熱が伝わってきて、僕の鼓動は高鳴った。僕にとって単なる幼馴染以上の存在である彼女のそれは、あまりに刺激が強すぎるものだった。


「やめろって。寒いんだから絶対に行かないぞ」


 バッ、と手をふりほどく。

 好意を知られたくない焦りから、僕の声は自分でも驚くほど大きくなった。

 さすがにバツが悪くなったのか、凛子は「ご、ごめん」と言ったまま目線を落とした。僕も同じ気持ちではあったが、彼女の身体に異性を感じた事実が、殊更ことさらにかたくなな態度を取らせていた。


「……じゃあ俺が行ってくるよ。凛子、何のアイスが良いか教えてくれ」


 それまで黙っていた親友の圭司が立ち上がった。普段は寡黙で目立たないが、こういう時には率先して損な役回りを買って出る奴だ。

 だが、


「いいよ、圭司。そう言ってこの前もお前が買いに行ってただろ。今日は僕が行ってくるよ」


 さすがにこんな雪の中、親友を買い出しには行かせられない。圭司にそんな事をさせるくらいなら僕が行った方がマシだ。チラリと凛子の方を見ると、「本当にいいの?」と言いたげな瞳でこちらを見上げていた。僕は、その瞳に言葉を返さず、罪悪感をごまかすように足早に自宅を後にした。


 アイスは近所のコンビニにあるにはあった。だが、こんな天候でもアイスを欲しがる人が凛子以外にもいたのか、予想よりも種類は少なかった。凛子の好きなカップアイスを三つ買うと、僕は帰路を急いだ。

 しんしんと降る雪は服を濡らし、ひやりとした外気を伝えてくる。ただ凛子に触れられた指先だけが、今も熱を持っているような気がした。


 あの時振りほどかなければ、もっと彼女に近づけたのだろうか。もっと触れ合えていたのだろうか。そんならちもないことが頭をよぎる。

 気が付いた時には、お互いにこの距離の中にいた。つかず離れず、かと言って付き合うわけでもない、面映おもはゆさに満たされた距離感。付き合え、付き合えと無責任にはやし立てるクラスメイトに苛立つ一方で、彼女とこうした関係にあることに、どこか誇らしさも感じていた。


 ふと通りがかった商店街ののぼりにはクリスマス商戦の雰囲気が漂い始め、大きなもみの木にはもうイルミネーションが付けられていた。


 ──このアイスを渡せば、さっきのぎこちない感じはなくなるかもしれない。そうしたら、きっと彼女を誘える。もうすぐクリスマスに包まれるこの街に。


 降りしきる雪を眺めていると、世界が急に広がったような、不思議な高揚感に包まれた。まるでクリスマスを待つこの街のすべてが、僕の背中を押してくれているようだった。


 帰宅すると、ドアを少しだけ開けて冷気が入らないように中に滑り込んだ。少しだけ侵入した雪は、暖房に暖められてたちまち溶けて消えた。

 廊下の先には僕の部屋の光景が見える。そこに見えた凛子と圭司は、まだ炬燵に座ったまま互いに向き合って談笑していた。

 出かける前となにも変わらない。ただ、二人の唇がしっとりと潤っている以外は。

 僕は思わず身を隠した。見てはいけないものを見たような気がした。もちろん、隠れたからといって今見た光景が消えるわけではないし、いまさら忘れることなど出来はしない。ただ、それ以上その光景を見続けたくはなかった。

 それでも、おせっかいな暖房の風は二人の会話を僕の耳へと運んでくる。


「……早く伝えた方がいいと思う。それにこれだけ三人でつるんでるんだ。あいつだってもうとっくに気づいているさ」


「はっきり伝えたら三人で遊べなくなりそうでツラいよ。この三人で遊ぶの、私すごく楽しいんだから」


「あいつなら大丈夫だよ。きっと俺らのことも喜んでくれる」


 それは確信を得るのに十分な会話だった。

 そう。そうだったのだ。ただ僕だけだった。僕が気付いていないだけだった。きっと、ずっと二人はそうだったのだ。

 涙に歪む視界の片隅に、圭司が凛子を抱き寄せて唇を重ねる光景が映った。


 ──どうしよう。アイスが溶けたら、凛子をクリスマスに誘えない。


 止めどなくあふれる涙とは裏腹に、そんな馬鹿みたいなセリフだけが、僕の唇をついて出た。

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溶けてこぼれて 斧間徒平 @onoma_tohei

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