#0116 コーラス同好会 (1)
今日も2話投稿しています。
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新入生歓迎会が終わるとその日はそのまま放課になった。
午後はすべて部活動の見学時間に充てられることになっていた。
おれたちが通学鞄を持って生徒昇降口へ向かうと、すでにチラシやプラカードを手にした群勢がとりかこんでごったがえしていた。
おれたちは絶句するしかない。
朝、命かながら勧誘の嵐を突破してきたというのに、またこの人垣に身を投じないといけないのか。
おれは果てしなさに気が遠くなりそうだった。
「ボート部興味ありませんか? 去年、男女ともインターハイに出場した強豪なんだけど、みんな始めたのは高校からだから」
「いや、チラシなら朝もらいましたので……」
「あ! "奇跡の新入生"が来た!」
「しかもふたり揃ってるぞ!」
「野球部、女子マネージャー募集してるんだけど。やってみない?」
「なっ、ボクはマネージャーなんてやらないって朝断ったじゃないか」
「ルールならおれたちが教えるからさ」
「しつこい! だいたいなんで女子がマネージャーなんだ。他の人をあたってくれ!」
「そうだぞ引っ込め男子!」
「吹部に入ったら好きな楽器やらせてあげるよ。ピアノの粕谷栞ちゃんだよね?」
「サッカー部なんだけど、今、女子の競技部員も募集してて……」
「きゃあ!」
「あ、綾に触ろうとしただろう今!」
「嘘! ごめん、そんなつもりは」
気づけば先輩たちに完全に囲まれてしまった。
おれたちだけ周りの新入生たちと人の集まり方がまったく違う。
壁を背に3人で身を固くさせあっているところに、大量のチラシをつきつけられていた。
「葵。これじゃきりがないよ」
「そうだね……」
「コーラス同好会の人、見当たらない……」
さっきの歓迎会で、あの『夜の女王のアリア』を歌いきった先輩は誰だったのか。
歓迎会のプログラム冊子には部員や顧問の先生の名前も活動場所も、なにも書かれていなかった。
きっとこの人たちにまぎれて部員の人が新入生の勧誘をしていると思っていたんだけど……
とりあえず、ここを抜け出せないと始まらないから、人当たりのよさそうな先輩についていってしまおうか?
……いや、興味もないのに見学に行ったら不要な期待をさせてしまうし、先輩も迷惑だろう。
「あの! おれたちコーラス同好会に行こうとおもってるんですけど、どこで活動しているか分かりませんか」
おれは意を決して、囲んでくる先輩たちに訊いてみることにした。
「……は?」
「えっ」
途端に、目の前の吹奏楽部の先輩が険悪な表情を見せた。
「悪いことは言わないから、あそこに行くのはやめて」
「どうしてですか」
「それは……行ってもじきに廃部になるんだし」
おれが訊き返すと、先輩はなぜかばつが悪そうに顔をしかめてたじろぐ。
「おい、どうして行かせてやらないんだ。困ってるだろう」
ふいに人の壁の向こう側からよく通る声が聞こえてきた。
おれたちの目の前まで迫ってきていた先輩たちは何事かと後ろを見やって、左右に分かれていくと、さっきの歓迎会で目にした背の高い先輩――女子バスケの藤野先輩が練習着姿でおれたちのもとへやってきた。
「コーラス同好会に行きたいんだな」
「あ、はいっ」
「案内するよ。あいつらは研修会館で活動してる」
藤野先輩は人垣を手で押し避けながら人が通れる道幅をつくってくれた。
おれたちは群衆の視線が集まる中、先輩の背中についていって、ようやく人の密集地帯から抜け出すことができた。
穏やかな足取りに戻ることができてほっとする。
「ありがとうございます。助かりました」
「気にするな。ああいう強引な勧誘は好きじゃなくてな、見ていられなかったんだ。ほら、ここが研修会館」
案内されたのは、生徒昇降口から歩いて1分ほどの距離の、駐輪場のわきに立っている3階建ての建物だった。
灰色のコンクリート製で、おれたち1年生の教室がある旧校舎とおなじくらい古そうだ。
「たしか2階が茶道部、3階がコーラス同好会のはずだから、行ってみるといい」
「ありがとうございます」
「礼にはおよばないさ。そのかわり、よかったらクラスで女子バスケの宣伝をしておいてくれないか。知名度あげたいんだ」
先輩はかるく手を上げてにっと笑った。
未練がましくなく去っていったあとも、白い歯が覗いていたのが記憶に残っていた。
引き戸の入口には鍵はかかっておらず、中に入ると建物内は人の気配はしないようだった。
広いフロアにテーブルと椅子がずらりと並んでいる。
どうやら学食があった跡だろうか。
しかし蛍光灯はすべて消されていて薄暗く、一切の物は片付けられていて無機質な印象をうけた。
厨房のあるコーナーも殺風景で、窓越しに外の喧騒がはっきりと聞こえてきた。
「……勝手に入っちゃって良かったのかな」
「ううん、分かんないけど。先輩にここだって案内されたんだし、ひとまず行ってみよう」
ためらう綾の先におれが立って、さらに中に歩を進めることにする。
奥の鉄扉を開いてあらわれた階段を上っていくと、2階から上には2段ベッドが2つ置かれた宿泊室が廊下の両側に並んでいた。
なるほど、どうやらこの研修会館は蓬高校の生徒向けの簡易的な宿泊施設ということらしかった。
その間取りは3階も変わらない。
廊下を進んだつきあたりには、塗装のはげかかった両開きの扉があった。
第二音楽室、と古そうなプレートが扉の上には掲げられていて、扉の正面には「コーラス同好会、部員ぼしゅう中♪」という張り紙のなかで音符のキャラクターが踊っている。
間違いないだろう、ここだ。
「ここ、だよね……」
「うん。入ってみよう」
人の気配のない建物だけど、扉の先には部員の人が来訪者を待っているのだろうか。
とたんに緊張して、おれはぐっと息をのみながら扉に手をかけた。
やっぱり鍵はかかっていない。
失礼します、と声をかけて、おれはおそるおそる扉を開いて中を窺ってみた。
おれたちの恐縮をさしおいて、室内は無人だった。
電気と暖房だけは点けられたままで、ほんの少し温かみのある空気が漏れ出てきた。
広い室内はカーペット敷きで、入口のまわりだけが四角く切り取られている。
ここで靴を脱げということだろうか。
おれはほっと息を吐いて、扉をそっと開け放してみせた。
「……誰もいないみたい。ほら」
綾と栞にも室内を見せると、ふたりとも胸をなでおろしていた。
おれたちはとりあえず室内にあがらせてもらって、部員の人がやってくるのを待ってみることにした。
室内の壁には天井まである年季の入ったスチールラックが固定されていて、黒い楽器ケースがいくつも収納されていた。
吹奏楽部の楽器だろうか。
すこし離れた楽譜棚には折れ曲がってしわくちゃになった紙束が乱雑に押し込められている。
CDケースの背もいくつも並んでいるのが見える。
けれど、音楽室というのにグランドピアノはなくて、かわりに部屋の真ん中には鍵盤蓋がひらっきっぱなしの電子ピアノが置いてあった。
それから、会議用テーブルとパイプ椅子がいくつか出されていた。
入口側にあるテーブルには大袋のお菓子とジュースのペットボトル、それに紙コップが用意されて、椅子の背にはふたり分のコートがかかっていた。
それから奥の方のテーブルには、メトロノームと譜面台と水筒とタオルと……そういったものが一箇所にまとめられていた。
すぐそばには足のたたまれたテーブルと椅子が重ね積みされている。
窓の外からは、まだわいわいと大人数がひしめく声がどこか遠くのもののように聞こえてくる。
そのうちに吹奏楽部が金管合奏の演奏をはじめて外はわき返っているようだった。
部屋の扉を開ける時は緊張したけれど、誰もいない音楽室におれたちだけいるというのは、それはそれで不安になってきていた。
「……ここで合ってるんだよね。もう今日は来ないのかな」
「コートがかかってるしお菓子まで用意があるんだから、きっと来ると思うよ。ずっと立ちっぱなしも大変だから、おれたちも椅子を出して座らせてもらおっか」
心配する綾にそう声をかけて、3人ぶんの椅子を出そうと室内の奥に足を向けた時だった。
「……って、トキちゃん」
「とっととしよー。もう新入生ようおらへんわ」
部屋の外から、階段をのぼる足音と会話が近づいてくるのが聞こえた。
「うちらもはよー勧誘に行かな」
「もう、自分で借りたドレスくらい自分で持ってよ」
「だいたい、同好会だけ宣伝が1分間なんて、音楽系のうちらには不可能や。それをあの生徒会長わかってへんし、説教長すぎや。なんや、最近金髪伸ばしよって、不良や不良!」
「ちょっと、見た目で判断するのは良くないわ」
綾と栞とおれは、一斉に顔を見合わせた。
この声はもしかして――
ガチャ、という遠慮のない音でドアノブが回って扉がうしろに引かれた。
現れたのは、背後にむかって口を開きかけたジャージ姿にストレートヘアーの先輩と、丸められたドレスを腕に抱えたブレザー姿にポニーテールの先輩だった。
「……へ?」
視線を前に向けてようやくおれたち3人を認めて、入室しかけた赤のスニーカーが第二音楽室の敷居を踏んだまま固まっていた。
そのうしろで、ポニーテールの先輩の足も止まっていた。
3秒くらい、おれたちは見合ったまま時間が静止した。
「……」
「……」
「……」
「……あ、あのっ、おれたちコーラス同好会の見学に来たんですけど」
ジャージの先輩の肩から通学鞄がぼとりと床に落ちた。
「ううううう嘘や! な、なんで"奇跡の新入生"がこないなとこにおんねん! しかも2人も!!」
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