#0114 新学期の活気 (4)
今日は2話投稿しています。
作中の歌詞は作者による訳です。
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この歓迎会に先立つ朝のLHRでは、生徒会が編集した部活動紹介の冊子が配布されていた。
表紙をめくると、1ページごとに各部活の勧誘メッセージやイラストや写真が掲載されていた。
掲載順は吹奏楽部に始まって、運動部、文化部、同好会……とこの歓迎会での出演順とリンクしていた。
新入生たちは皆、部活ごとに入れ替わり立ち代わり眼の前で演じるパフォーマンスを、時折手元の冊子に目を落としながら見ていた。
発表の内容は部によってさまざまで、全面のスペースを目一杯つかって実際のプレーを実演してみせたり、スクリーンで自主制作PVを投影する部、はたまたフリップであるあるを演じたり、部とはまったく無関係の漫才を披露して笑いをとっていく先輩までいた。
体育館の空気は驚きと期待でわきかえっている。
けれどおれは、あるひとつの事柄に気がついてしまってから残念な思いが消えなかった。
美術部、演劇部、文芸部と続く文化系部活動の紹介ページ。
蓬高校には文化部の数もとても多くに上っている、けど、「合唱部」の文字を探しているが見つからないのだ。
おれの左隣の綾も、つい今しがたページをしきりに捲りはじめて気がついているかもしれない。
綾が見てみたいと言っていた合唱部。
春休みに綾とインターネットで探した時も具体的な活動についてはなにも見つからなかったのは、やっぱり高校のホームページに載ってたのは古い情報で、すでに無くなってしまった部活なのだろうか。
そうだとしたら、仕方がないとはいえやっぱり残念だ。
おれはステージ上で行われた将棋部のコミカルな対局コントを眺めながら、思わず落胆の息が漏れ出てしまっていた。
文化部のセクションもいよいよ終わって、舞台上は同好会の発表に移っていた。
同好会は1団体に割り当てられた持ち時間が少ないのか、凝った演出はあまりない。
数人が出てきてシンプルに言葉でアピールして退場、という発表がいくつか続いていた。
田舎町の中学出身のおれにはは部と同好会の違いもよく分かっていないけど、この学校では扱いが別のようだ。
4限目の終了時刻も近づきつつあって、次々と出番が入れ替わり、見てるこちらも少々食傷気味な雰囲気になりつつあった。
その中、見覚えのある女子生徒がステージ中央にひとりで立つと、周囲の注目がすこし集まる。
「――女子バスケットボール同好会部長の、3-6藤野千空だ」
マイクを通して耳に残る声が体育館に渡った。
今朝早く、駅を出たすぐのところで最初に声をかけてきた先輩だった。
制服姿のすらりと長い手足は、線の細いのもあいまって凛とした印象を与える先輩だった。
「なぜ、メジャースポーツであるバスケが、しかも女子だけ同好会なのかと不思議に思う新入生もいるだろう。私もそう思っている」
クールな外見に反して、藤野先輩の言葉は明るい熱意がこもっていた。
「理由は、部員不足で公式試合の出場ができないからだ。けど、スポーツとバスケが好きな仲間が集まってる。今年は大会に出たい。バッシュと練習着があればいつでも見学だけじゃなく練習に参加できるし、マネージャーでも貴重な部員の頭数に入るから、興味ある新入生はぜひ力をかしてほしい」
深々とおじぎをする先輩に、心なしかさっきまでよりも温かい拍手が送られていた。
先輩は顔を上げてほっと表情をほころばせる。
気安そうに手をふって舞台袖に下がっていく顔はすがすがしさに満ちていた。
かっこいい先輩だ。
「かっこよかったね」
「えー、いってみようかな。掛け持ちって良いんだよね?」
周囲からも好意的な反応が上がっていた。
こういう感嘆の声があがるのも、なんだかずいぶん久しぶりじゃないだろうか。
……と、この時おれは周囲の反応に気を取られていた。
そのせいでステージ上にコツ、と靴の音が響くのを聞きそびれていた。
気がつくとステージには、真っ黒のプリンセスラインのドレスに身を包んだ女子生徒が単身、無言で佇んでいた。
ストンとまっすぐ胸のあたりまで伸ばされた涼やかな黒髪。
頭の上にはティアラまで戴っていた。
口元を引き結んで、まっすぐこちらを見据えていた。
仁王立ちという言葉があっているかもしれない。
「え、なにあの人……」
「ドレスすごいボリューム……」
ずっと無言で何もしない。
20秒くらい経っただろうか、こちらが困惑して静まりはじめた時、突然ピアノの激しいトレモロがそれを破った。
それが、
この
おれは一瞬で血の気が引いた。
モーツァルトの歌劇『魔笛』から、アリア『復讐の炎は地獄のように我が心に燃え』――通称『夜の女王のアリア』だ。
劇中第2幕、ソプラノが演じる夜の女王が、娘パミーナの手に短刀を握らせ、神官ザラストロを殺せと迫る場面で歌われる
ドレスの少女は舞台上で半歩踏み出して、目を見開いていた。
この曲が、ソプラノにとって最も歌唱困難なコロラトゥーラ・アリアと呼ばれる所以は、怒りが極限を超えたのを表すように
ほとんど絶叫するようなhigh Cを軽々と出して見せたかと思うと、それをはるかに上回るhigh Fにまで達する……!
「嘘でしょ……」
常人には到底出せない、出せたとしても声がすりきれてしまうほどのハイトーンにも関わらす、少女は平然と歌い上げていた。
右腕を伸ばすその指先に、叫ぶ相手がいるかのようだった。
……先輩とはいえ、高校生が歌えるのか。この歌を。
あの細い体のどこから、あんな力強い声の響きが出せるんだ。
ピアノのめまぐるしい間奏が、ソプラノのソロをさらに勢いづかせていく。
伴奏をしているのは、髪をポニーテールに括ったブレザー姿の女子の先輩だった。
さっきの吹奏楽の演奏の後、グランドピアノだけは完全に仕舞われていなかったのだ。
それは、このアリアを演奏するためだったのか。
そうだ、一体誰なんだろう。こんな歌が歌えるのは。
そのことにようやく思い至る。
歌声に呑まれてしまって、今ここが新入生歓迎会ということすら思考から消えてしまっていた。
膝の上に折りたたまれていた冊子をしばらくぶりに開いて、目線を落とした。
なぜか動悸がする。
おれは戸惑いをどうにか抑え込んで探した。
女子バスケ、の次だ。
右側のページの下半分に視線が吸い込まれた。
――コーラス同好会 部員求ム!!!
極太マジックの手書きでそうとだけ書かれていたのだ。
……どうして見落としていたんだ。
真っ先にそう思った。
コーラス同好会……その文字列は、おれたちが見たかった部活動に、限りなく近い意味を持っていたのに。
一瞬の空白が訪れる。
ドレスの少女はさらに前に踏み出て、両手を大きく広げた。
曲の大きなクライマックスだ。
高いBの音に強烈なヴィブラートをかけて長く長く伸ばす。
心臓を掴まれて揺さぶられるような力強さがあった。
固唾をのんでいる新入生を前に圧倒的な歌声を披露し終えた少女は、雷鳴のようなピアノの後奏の間に黒いベールを翻して、ステージ上手にすぐに姿を消してしまった。
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作者の近況ノートで、作中に登場した楽曲を聴けるリンクを紹介しています。
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